流浪の研究最終楽章 中途半端の王様に

 生きる場所を求めて放浪していた時代を振り返るシリーズの総括。

 十五年以上の時を越えて自分の心を巡ってみたわけだが、書いているうちに色々なことを鮮やかに思い出した。医学部卒業、国家試験不合格から始まった流浪の一年半。一番最初に藻書いたが、僕の人生でこれほど有意義な時間は他にない。

 アカシア時代の仲間たち、西丸與一先生、大学時代の部活メンバー、眼科の主治医…色々な人たちの言葉から生きる道を探すヒントをもらった。
 ドリームライブの出演者たち、音楽プロデューサーのフセマサオさん、インディーズCDを作ってくれたアサキミュージックさん、DJをさせてくれたインターネットラジオ局funny-boneさん、作詞を単行本に掲載してくれた創英社さん…これまでの生き方では出会えなかった人たちにたくさん出会えた。
 ドラえもん、笑点、嘉門タツオさん…子供の頃から好きだったものがここにきてまたもや自分を救ってくれた。今でもドラえもん映画のコマーシャルが流れる度にあの新潟旅行を思い出す。笑点を見る度に迷いの中で大笑いさせてくれた40周年記念スペシャルを思い出す。カラオケボックスの嘉門さんの曲で「作詞 快感な男」と出る度に夢中でネタを送ったナリキン投稿天国を思い出す。
 そして、医学部の高い学費の後にさらにもう一年半、生活費を送って自由を許してくれた両親には感謝しかない。

 他にも小さな出会い、小さな出来事が無数にあった。普段なら記憶にも残らない些細なものだろう。でもあの一年半はまるで全てが特別だったみたいに、それら一つずつが喜びと共に、痛みと共に、いくつもの表情と声と共に、今も心に焼き付いている。そして全ての経験のおかげで、世間知らずで苦労知らずの自分がほんのちょっとだけ度胸を持てるようになった気がする。一年半の助走があったからこそ最後に北海道までジャンプできたのかもしれない。

 結局目は予定どおり見えなくなった。予測よりは早かったけど、仮にそれが北海道の紫外線のせいだったとしても後悔は微塵もない。今もなんとか医療の道の上にいる。大雪にもめげずに、むしろそんな季節の移ろいを楽しみながら一人暮らしを続けられている。もちろんそれは北海道で出会えたたくさんの優しい人たちのおかげ。

 白状しよう。新天地へ旅立ったはずが、最初の頃はしょっちゅう東京に帰っていた。毎年音楽部のOBライブに出演し、柔道部の仲間の結婚式に参列し、眼科は変わらず母校に通いそこで白内障の手術も受けた。たまにはドリームライブにも出演し、フセさんからは「北海道からの全国ツアーだね」なんてからかわれた。アカシアの仲間や両親が旅行も兼ねて北海道へ遊びに来てくれたりもした。
 まったく、旅立ちが聞いてあきれる。何が一人で歩いて行くだ。住む場所が北海道になっただけで、僕は結局広島や東京のみんなに支えてもらった。いや、今だって大いに支えてもらっている。

 もう一つ白状。思い残すことはないなんて言ってたはずが、音楽も小説もちゃっかり続けている。目が見えなくても使える録音機材や音声パソコンを駆使して、休日となれば創作活動に熱中。いつか名作を生み出すぞ、なんて夢も性懲りもなく持っている。

 ああなんて中途半端。でもここまできたらもうそれでいい、むしろ割り切れない中途半端が自分が自分である証明なんだと最近では開き直っていたりする。生きる道を見失った時には医師免許が自分を支えてくれた。視力を失って仕事に行き詰まった時には音楽が自分を支えてくれた。歌うのも嫌になった時には執筆が自分を支えてくれた。芽が出ない創作に耐えられなくなった時にはまた仕事が自分を支えてくれた。

 心の医療の支援者であり、視覚障害の当事者であり、おまけに下手の横好きの表現者。
 どれが主旋律ということはなく、三つのメロディは主旋律と対旋律を交代しながら複雑に入り乱れ、中途半端な僕の人生を奏でている。でもそれでいいんじゃないかな。少なくとも今、そんな生き方をしている自分の心は元気みたいだから。
 今年もまた10月が巡った。北海道に着任したのも10月。
 中途半端の王様になろう。好きなことは好きなままで、大切な人たちに感謝して、心豊かに生きていこう。そしてまたいつか、流浪の旅に出てみよう。

 無理矢理な自己肯定ばかりでナルシズム全開のこのシリーズをお読みいただいた方がもしおられるなら、本当にありがとうございました。

令和4年10月16日  福場将太