東京に暮らしていた大学生の頃から好きなテレビドラマに『相棒』がある。主人公の天才刑事・杉下右京とその相棒刑事の活躍を描いた大人気シリーズ、今月そのシーズン21が開始した。二十年以上続いているというだけでも驚きだが、今回は特にシーズン7で卒業した初代相棒・亀山薫が復帰ということで、長年追い続けているファン冥利に尽きる展開だった。このドラマの大きな見所はタイトルが示すとおり二人の相棒関係。息の合った動きを見せたり、相手の苦手をカバーしたり、かと思えば反発したり、時には相手の暴走を抑止したり、ただの仲良しコンビではないのが魅力である。
みなさんにはそんな相棒がいるだろうか。大学時代の音楽部で僕にはそう呼べる存在がいた。別に亀山薫の真似をしたわけではないのだが、実は今月僕もその相棒と十数年ぶりの再会を果たすことができた。今回はそんな思い出を。
1.第一印象は最悪
その相棒の名は仮に山田としておこう。大学1年の夏、入部した音楽部で同輩がみんな辞めてしまい僕だけが残った後、後期から半年遅れで入部してきたのが彼である。ただ当初は別々のバンド所属で、またお互い「こいつとは合わない」と第一印象で感じてもいたためほとんど話をしなかった。
少し距離が縮まったのは2年生の前期だ。初めて同じバンドになり、先輩から「お前ら二人で何かやれ」と言われて一緒にオリジナル曲を演奏した。その時に「案外悪い奴じゃないかも」と印象が変わった。
そして2年生後期、とあるライブイベントに出演する話になり、僕と彼と先輩二人とでHAPPY EARTH DAYというバンドを結成。音楽の魔法が作用したのか、一緒に演奏しているうちにいつしか気心が知れていた。そしてこのバンドで作った『Medical Wars』というオリジナル曲がその後何度も演奏する学生時代の代表作となった。
2.得意技が違うから
色々な話をするようになって感じたが、彼と僕は様々な点で違っていた。趣味嗜好はもとより、価値観、考え方、立ち振る舞い…共通点を探すことの方が難しいくらいだった。でもそれは得意技が違うということでもあった。
3年生になると新入部員の勧誘をするのだが、本当に彼のすごさを思い知らされた。勧誘隊長として新1年生たちにどんどん声を掛け、素敵な新入部員を次々にゲット、ティッシュ配りのバイトをしても一人も渡せなかった僕には絶対できない芸当だった。さらに後輩を連れての飲み会やイベントも次々に企画、みんなをどんどん仲良くしてくれた。一方の僕はライブハウスや合宿先の手配、スタジオ練習のスケジューリングといったマネージメントを得意とし、二人でうまく業務分担することができた。
音楽の好みに関しても僕はアナログなアコースティックサウンド、彼はトランスなどのデジタルサウンドと正反対だったが、それがお互いの刺激になった。また部活も三年目となると技術や知識も増え、色々な曲を作ったり演奏したりするのがもっともっと楽しくなった。完全燃焼した夏合宿最終日の早朝、二人で前夜の花火の残骸を拾いながら心の内を語り合ったことは今も忘れない。
そして4年生になると幹部学年、この一年は音楽を楽しむことより部活の運営に二人で心血を注いだ。たかが大学の部活とはいえそれなりに色々な問題が起こるもので、彼とは数え切れないほど徹夜をして話し合いをくり返した。
ここでも得意技の違いが活かされた。年単位で計画を立てたり準備したりするのは得意だが割りきりが悪く即決できないのが僕の弱点。しかし彼はその逆、出たとこ勝負が得意で瞬発力に優れている。僕が点滴なら彼は静脈注射。だから話し合いの中で僕が袋小路に迷い込むと彼が「これはもうあきらめろ」「いいからこれでやろう」とズバズバ言ってくれるのが助かった。
とはいえ例年は五人以上の4年生が話し合って決めていたことを二人でやっていたわけだから、見落としや偏りは多々あったはず。それでも引退までやれたのは部員のみんなの優しさに救われたからに間違いなく、本当に良い仲間に恵まれたと感謝しかない。
3.狂った世界の中で
5・6年生の時は病院実習と国家試験に向けての勉強の日々。ただ僕は、学生を留年の恐怖で支配して足並みを揃えることだけを覚え込ませる医学部という世界がおかしいとずっと思っていた。みんなと同じ資料を使って同じように勉強したら進級できる、試験でみんなが解けなかった問題を自分だけ解いてもそれは不適当問題とされ得点にはならず、レポートもみんなと同じであることが何より要求される。個性や挑戦なんて不要、自分たちは医者にしかなれない、医者になるんならとにかく失敗してはいけない、群れからはずれてはいけないと思い込まされる。
その結果起こるのは人心の荒廃。カンニングなんてまだ可愛いもんで、試験情報の隠蔽や資料の東南といったあさましくて虚しい事件がたくさんあった。そして周囲に合わせる能力と引き換えに、自分で考える力を、それに従って行動する力を、医療に対する自分自身の信念を失っていくのだ。
僕はそれが馬鹿らしいと思ったし、彼もそれをわかってくれる人間だった。僕らはグループに属さず一人で勉強をやった。国家試験の三日間も、同級生はみんな直前の情報戦に目を血走らせていたが、彼だけは「これは祭りだ!」と毎晩酒をあおっていた。明らかに異質ではあるけれど、心貧しい受験生に比べるとなんだかとてもすがすがしかった。そして国家試験が終わった夜は彼の部屋に泊まり、同級生たちは宴会や卒業旅行へくり出す中、僕らはまたオリジナル曲を作っていた。
大学から見れば不適応者かもしれないが、あの狂った世界で心を荒ませずにすんだのは、彼がいてくれたおかげが本当に大きかったと思う。
それに医学部の在り方には反発していた僕らだが、医学そのものを嫌っていたわけではない。医療や生命観についての会話もたくさん交わした。一つの症例についてどうするべきかを議論したりもした。相変わらず意見は相容れない部分も多かったが、だからこそ学んだこと・気付かされたことも多かった。それは国家試験対策の講義や実習では絶対にできない勉強だった。
今でももし判断に迷うことがあったらやっぱり彼に相談したい。自分と違うからこそ意見を聞きたい。きっと相棒とはそういうものなのだ。
4.それぞれの道へ
卒業後はお互い東京を離れた。彼は地元の長野へ帰り、僕は新天地を求めて北海道へ。それなりに忙しい日々の中、何年も音沙汰がなかったと思ったらひょっこり電話がきたりと、そんな関係が続いた。
最期に会ったのは彼の結婚式でスピーチをした時。そしてあの結婚式以来、十数年ぶりに長野を訪ねての今回の再会だった。何ら真面目な話をすることはなく、感動の涙もなく、相変わらずの馬鹿な言葉を交わして楽しんだ。
次に会うのはいつだろう。あっという間にまた十年くらい経ちそうだけど、今回の再会もきっと未来の予告編。お互い相手にはできない生き方をしよう。
5.それでも医学部を愛してる
実は今回の長野旅行を企画してくれたのは大学の同期二人。「山田に会いに行くんだけど一緒に行かないか」と、僕の目の事情を承知の上で誘ってくれたのだ。空港でも旅館でも温泉でもみんなが優しくサポートしてくれた。正直学生時代、僕は同級生との交流にあまり重きを置いていなかったのに、いつかの研究コラムでも書いたが、同期の桜のエンブレムは本当に有難いものである。
そして一緒に食事を囲んで語らって実感した。あの頃の医学部教育が異常だったことは実はみんなもわかっていたんだと。それでもどうすることもできず必死に心を殺して頑張っていたんだと。一人が「未だに試験に遅刻して留年に怯える夢を見る」と話すとなんと全員が共感。僕もしょっちゅう国家試験に寝坊する夢を見るから、みんなもそうだったことを知って驚きと共に大笑い。あの頃のトラウマは本当に恐るべし。
改めて思った。ボロクソに書いておいて今更だが、その矛盾も含めて自分はやっぱり医学部というものを愛しているんだなと。医学生の苦悩を描いた小説版『Medical Wars』をまた読み返してみようか。物語に登場した主人公の親友の山さん、あのキャラクターのモデルはもちろん言わずもがなである。
6.研究結果
共に過ごした相棒、共に戦った仲間たち。みんなにはいつまでも元気でいてほしい。
今度はぜひ北海道に集まって最高のおもてなしをさせてくれ。
令和4年10月12日 福場将太