生きる場所を求めて放浪していた時代を振り返るシリーズの8回目。今回は決断するための最後のパワーをくれたあの人との再会について書いてみたい。
前回までのあらすじ:
腹をくくって挑んだ二度目の国家試験。不眠でフラフラになりながら、それでもどうにか僕は医療業界に飛び込むチケットを手に入れたのだった。
1.奇縁
大学卒業から一年。とりあえず…本当にとりあえず国家試験は突破できた。しかし免許があったっていきなり医療の仕事ができるわけではない。それにいくら仕事を習得しても網膜色素変性症が進行すればどの道続けられなくなる。そう思っていた当時の僕はまだ医者として働く決断ができずにいた。割り切りの悪い性分に自分でも嫌になる。
4月は少し広島の実家に帰り今後について両親とも相談した。母校の大学に頭を下げて研修をお願いしてはどうか、西丸與一先生に頼んで船医の助手にしてもらってはどうか、など現実性があるようなないような選択肢を考えたりした。しかしいずれも行動に移す気にはなれなかった。結局は自分の心の問題だった。
就職先は自分で探すと言い残して再び東京へ戻った5月。以前のコラムでも書いたが、この時テレビで見た『笑点40周年記念スペシャル』は最高の笑いと感動を与えてくれた。
そして僕にとってもう一人、笑いの達人として忘れられない人がいる。それは嘉門達夫(現・嘉門タツオ)さんだ。これも以前のコラムで書いたが、中学・高校時代は嘉門さんがやっていたFMラジオ『爆裂スーパーファンタジー』に夢中になり、常連ハガキ職人となって日夜送るネタを考えながら青春を過ごしていた。ギターを始めたいと思ったきっかけも嘉門さんである。
ふとそんなことを思い出して久しぶりに嘉門さんの情報をネットで探してみる。するとちょうど4月からパソコンテレビGyaOで新番組をやっているというではないか。当時YOUTUBEもまだ知られずパソコンでテレビを見るなんて未経験だったが、僕はワクワクしながらアクセスしてみた。
そこにいたのはあの頃の憧れその人。黒髪オールバックからイメージチェンジして金髪ショート、40代後半となり顔にはシワが少し増えていたが、その芸風はまさしく嘉門さんだった。『爆裂』と同じく嘉門ワールドのネタを視聴者から募集し、ギターを手に大騒ぎしながらそれを紹介している。番組名は『ナリキン投稿天国』、優秀な投稿作品は嘉門さんのCDに採用、印税ゲットで視聴者も成金になれるというのがコンセプトだった。
『爆裂』が最終回を迎えたのが高校3年生の僕の誕生日。まさかここにきて再び嘉門さんの番組と巡り会えるなんて、しかもまたしても人生の進路に迷っているタイミングで!
2.復活
そんなわけで僕はハガキ職人ならぬメール職人となった。ペンネームには中学・高校時代と同じ「快感な男」を用いた。すると、驚くべきことに嘉門さんはその名前を憶えていてくださった。「爆裂の時のあいつがまた送ってきた」と言いながら僕の投稿したネタを読んでくださる姿を見て、なんだか胸の奥が熱くなった。
当然ますます調子に乗った僕はさらに投稿を加速。何かネタになることはないか? 面白いことはないか? そう思いながら暮らしていると何てことない毎日も違って見えてくるから不思議だ。無事CDにもネタの採用が決まり、僕は番組の企画で嘉門さんと直接電話でお話することもできた。「前にもたくさん送ってくれてたよなあ。そうか、あの頃は13歳やったのか」なんて言われて、人生のどん底にいたはずなのにあっさり有頂天、割り切りが悪いくせに実に単純な性分である。
しかも無職の分際で念願の権利収入、印税の契約書にサインするなんてもちろん初めての経験だった。実際にCDを購入した時、他の投稿者と並んで「快感な男」の名前がそこにクレジットされていた時には嬉しいやら嬉しいやら。
3.旅人
お笑いと医療はもちろん別の世界。それでもそんな日々を過ごすうちに、僕は何故か重い腰が上がって就職活動に動き出せるようになった。
一つの理由は、いつか医療の仕事ができなくなったとしてもそれで全てを失うわけじゃないと思えたから。医師免許がなくなっても自分には別の力もあると信じることができた。
そしてもう一つは嘉門さんの生き方を思い出したから。高校在学中に笑福亭鶴光師承に弟子入り、卒業後に落語家デビューして一時は人気ラジオ番組のDJにも抜擢されるが、古典落語よりも新しい笑いを生み出したいという気持ちが強まりやがて破門、全てのレギュラー番組も失った。そこからアルバイト暮らしをしながら日本各地を放浪。ある日スキー場のペンションでギターを持って宿泊客の前でパフォーマンスした時、「音楽と笑いの融合」という独自の道を発見した。紆余曲折を経てその道を究めながらやがて歌手デビュー、ついには紅白歌合戦に出場するほどのギャグシンガーとなったのである。
嘉門さんの座右の銘は「念願は人格を決定す、継続は力なり」。回り道でも前を向いて動き続けることが自分のパワーになる、結果的に失ってゼロに戻ったとしてもそれは何もしなかったゼロとは全く違う。嘉門さんにとって最初は落語家を目指したことも必要な過程だったのだ。
嘉門さんの壮絶な旅に比べたら僕の放浪なんて散歩くらいのものかもしれないが、僕だってきっと大丈夫。いつか続けられなくなってもその日まで医療の道を進んでいくことは無駄にはならない。だって医師免許よりももっと大きな誇りが僕にはある。それは嘉門さんのCDに作詞を採用していただいたこと、そして『爆裂』では果たせなかった夢、『ナリキン投稿天国』でポイント獲得ナンバーワンになったことだ。
こうして嘉門ワールドからパワーを得た僕は、夏に向かう東京で就職先を探す活動を開始。やがて一つの病院へ赴くことを決めるのである。
4.研究結果
芸は身を助ける。いや、助け過ぎだろ。
令和4年6月11日 P.N.快感な男 こと 福場将太