5月12日はフローレンス・ナイチンゲールの生誕にちなんで、日本では看護の日となっています。看護師さんは病院において最も人数が多く、最も患者さんに寄り添っている時間が長い存在。僕自身もたくさん助けてもらいながら普段仕事をしているわけですが、今回は恐れ多くも看護の心についての考察を少々。
1.天使にラブソングを
『戴帽式』というものをご存じでしょうか。医療業界では看護学生が病院実習に出るに当たってナースキャップを授与されるセレモニーのことを戴帽式と言います。母校の大学にも当時三年制の看護学校が併設されていたので、毎年この時期になると戴帽式が催されていました。
僕が所属していた柔道部には看護学生も入部していたので、当日は医学部の部員たちも講義を抜け出して会場へ駆け付け、式が終わって建物から出てくる彼女たちを花束とプレゼントで祝福したものです。普段は柔道着姿や私服姿しか見ていないので初めてのナース服姿はとても新鮮、ああこの子たちはちゃんと看護師さんになるんだなあと当たり前のことを実感しました。
抱えきれない花束をもらって口々におめでとうの言葉を贈られる白衣の天使たち。少しはにかみながらも微笑むその笑顔が青空の下に眩しい。しかも屈強な男子部員に胴上げされて柔道部の天使たちは本当に宙を舞う。もちろん他の部活もあちらこちらで天使を囲んで記念撮影や拍手喝采のオンパレード。戴帽式の日は大学構内がちょっとしたお祭り騒ぎなのでした。
ちなみに柔道部ではオリジナルソングをみんなで歌ってプレゼントするのも恒例でした。その企画の取りまとめをやっていた僕としては録音したカセットテープを当日届けるのが使命、部活の現役引退後も毎年どうにか授業や実習を抜け出して会場へ走っていました。きっと同じように校舎や病院から消えた医学生がたくさんいたはずですが、この日だけは先生方も大目に見てくれていたのでしょう。
まあそんなこんなで戴帽式は僕にとっても忘れられない学生時代の思い出です。もし柔道部員たちが歌った歴代戴帽ソングに興味のある方は、当サイト放送室のボイレコラジオ第14回で特集していますのでそちらをどうぞ!
2.三年間の自分のドラマ
それにしても、いつも感じていたのは看護学生たちの成長の速さでした。入部した時は同期だった女の子も2年生で戴帽式、そして病院実習へ。こちとら医学生は病院実習なんてまだまだ先の5年生。後輩として入ってきた看護学校の子たちもどんどん自分を追い越して卒業していくわけです。
ただ逆に言えば、すごく青春が短いなあとも思っていました。医学生は六年間のうち四年間を部活の現役として過ごしますが、看護学生は三年間のうち二年間だけ。せっかく入部してもすぐ引退。柔道部の看護学生は寮に住んでいる子も多かったので、部活が終わってみんなでごはんを食べていても門限が迫ると慌てて帰宅、いつも本当に忙しそうでした。
そういえば柔道部の師範は試合のことを「三分間の自分のドラマ」とおっしゃっていたけど、彼女たちの学生時代は「三年間の自分のドラマ」。学業だけでも忙しい日々の中で、部活もして恋もして、バイトだって頑張るのです。
だから余計に戴帽式が盛り上がるのかもしれませんね。頑張って実習に臨める切符を手にした喜び、そこに寄せられるたくさんの祝福。本当にあの日はみんなキラキラしてました。
ちなみに医学部には実習に出る前にそのような感動のイベントは一切なし。事務的に白衣とネームプレートが教室で配布されるだけ。しかもその頃にはみんないい歳になってておぼこくもなければ可愛げもない。社会経験も乏しい癖にプライドだけがいっちょ前に肥大したスレた存在。実習に出られる喜びの感慨はどこにもなく、あるのは留年せずに進級できたぞというみみっちい安心と、自分はまだ学生なんだという苦笑いの自嘲だけ。そりゃキラキラするはずもございません。この辺りの情景は当サイト図書室に連載した『Medical Wars』という小説に詳しいので、ご興味のある方はそちらをどうぞ!
3.信念の教育
学生の態度だけではなく、教育においても看護学校と医学部は大きく違っていました。看護学生はナイチンゲール誓詞に代表される看護の心をしっかり学んでいる。看護師とは、看護とは、奉仕とは…そういった理念や信念、規範というものについてしっかり心身に叩き込んでいる。だから現場に出てからも使命感や責任感、自制心や忠誠心の強い人が多い気がします。
一方医学生はといえば、確かに病気や治療の勉強はたくさんしたけど、そういった思想的な学びを得た記憶は少ない。医師とは、医療とは、命とは…という議論を学生時代にやったことはなく、だからこそ現場に出た時に多くの場面で戸惑ってしまう。自尊心や虚栄心ばかりで、いざという時に道しるべになる信念が確立されていない。テレビの医療ドラマでも、現場のドクターが治療をめぐって葛藤したり衝突したりする姿が時にかっこよく描かれますが、そもそも学生時代にちゃんとそういう勉強をしておけばそこまで迷わずにすむのではないでしょうか。六年間も学生をやってたくせに、医学知識では多少勝ってるかもしれませんが、心や信念においては完全に看護学生の圧勝です。
4.自己犠牲の美学
では逆に看護学生に不足している教育は何か。それはおそらく「自分を大切にする技術」ではないかと僕は最近よく感じます。あえて名づけるなら『自己援助学』とでもいうのでしょうか、ちゃんと自分自身を助けて守ってあげることが疎かになってしまっている人、自分の健康や時間を犠牲にしてまで頑張ってしまう人が看護師や看護学生には多い。それはきっと前述した使命感や責任感、自制心や忠誠心が強いからこそなんでしょう。
改めて考えてみると、日本人は犠牲の美学が好きですよね。映画や小説でも、顔では笑って心では耐えている姿が美しく描かれたり、ニュースの報道でも、身を挺して誰かを救った人は英雄のように賞賛されたりします。『自己犠牲』は美しく『自己愛』は汚らわしい。『献身』は気高く『保身』は恥ずかしい。そんな文化が僕らにはあります。
ヒット曲でも、自分よりも相手のことを大切に思う歌はあってもその逆はない。試しに名曲の歌詞の「あなた」を「自分」に、「君」を「俺」に置き換えてみましょうか。
●BELOVED/GLAY
ああ夢から覚めた これからも自分を愛してる 今以上自分を愛してる
●Everything(it’s you)/Mr.Children
何を犠牲にしても 守るべきものはただ一つ 俺なんだよ いつでも俺なんだよ
…う~ん、これではヒットしなさそうですよね。自分よりも相手を優先というのは、日本人の美点でもあり、おそらく弱点でもあるのでしょう。
5.自己援助も忘れずに
もちろん医療者はいざという時は自分よりも患者さんを優先しなくてはなりませんし、だからこそ人の心身に触れる権限を与えられているのだとも思います。コロナ時代に突入したばかりの頃、未知のウイルスに医療者だって恐怖しました。できれば部屋に閉じこもって自分の身を守りたい。それでも危険も覚悟して感染症病棟へ出勤したスタッフたちを支えたのは、やはり自己犠牲にも通じる使命感や責任感だったと思います。それを否定する気は毛頭ありません。僕自身もかなりの小心者なので、自分は医療者なんだからという義務感がなければ、新しいワクチンを人より先に受ける度胸は持てなかったと思います。
ただ伝えたいのは、緊急事態はさておき、普段から自分をボロボロにして働く必要はないぞということ。患者さんと同じくらい自分自身も大切にしてほしいということです。ナイチンゲールは『犠牲なき献身こそ真の奉仕』と説いています。けして白衣の天使たちに自己犠牲を推奨してはいないのです。だからこそ看護学生さん、今のうちにちゃんと自分の助け方も学びましょうね! 看護学校の授業に『自己援助学』がいずれ取り入れられることを願っております。
6.不完全だからこそ
僕が所属している『視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる』には、看護師さんの会員もいます。しかし障害を負ってもそのまま病院に勤務している方は、他の職種に比べると少ないです。「五体満足でなければ看護業務は務まらない」という意識が医療業界にはまだまだ強いのでしょう。
ただナイチンゲール自身がそうであったように、自らが病気を負ったからといって看護の心を失うわけではありません。むしろ病や苦労を経験したからこそ患者さんの苦しみをわかってあげられることだってある、五体満足の看護師では持ち得ないケアの力を持っている人もいる。どうしても障害の当事者というとできない能力ばかりに注目されがちですが、逆に秀でた能力もあることをもっとみんなが認知してくれたらいいなと思います。そして看護師さん自身も、障害を負ったら看護師失格だなんて思わないでほしいです。
だって人間は誰もが不完全なんだから。みんな何かが欠けている、それこそが人間の証であり、だからこそお互いの存在から学び合い、支え合い、そして癒し合う。
医者や医学生が持ち合わせていないその崇高な魂を宿し、ぜひ自分自身も大切にしながら、看護の道を歩んでいってほしいと思います。
7.研究結果
HAPPY NURSE DAY! 戴帽おめでとう!
よし、「I love me」というラブソングを作るぞ。…絶対売れないだろうなあ。
令和4年5月12日 福場将太 (研究協力:SUPAの会)