この4月から成人年齢が20歳から18歳に引き下げられた。日本において成人年齢が変更されるのは146年ぶりらしいが、多くの国では18歳から大人というのがスタンダード。とはいえ、この変化によっていったいどんなメリット・デメリットが生じるのかは一考察しておきたい。
1.大人の階段昇ってる?
そもそも大人になるとはどういうことか。大昔から度々話題になるテーマであるが、結局はっきりした答えはない。働いて自立していれば大人? 結婚していれば大人? 常識や知識が備わったら大人? 感情より理性を優先できたら大人? 割り切りや聞き分けがよくなったら大人? …色々考えてみても決定打はない。
正直、40歳を過ぎた自分のことを思っても大人になったという実感は乏しい。昔好きだったアニメやヒーローは変わらず好きだし、ギターを弾いたり小説を書いたりという日常もそのまま。とっくにそんな分岐点は過ぎたはずなのに、未だに将来何になろうなんて空想したりもする。今の自分で大人らしい所といえば、唯一仕事をしている点くらいではなかろうか。
幼い頃は学校の先生や親たちが大人に見えた。迷いや弱さなんてない完璧な人たちなんだと思っていた。でも実際に自分もその年齢まで来ると、20代でも30代でも迷いだらけの弱さだらけ、不完全を背伸びとハッタリでカバーしているのがよくわかる。
ドラえもんのエピソードに『パパも甘えんぼ』というのがあるが、会社で嫌なことが合って酔いつぶれて帰ってきたのび太のパパをタイムマシンで生前のおばあちゃん、つまりパパのお母さんに会わせてあげるお話。子供のように泣いて甘えるパパの姿が印象的だった。きっと人間はいつまでも子供っぽくて大人になりきれない所を持ち続けていくのだろう。どんな肩書きや立場を得たとしても、そこにはまり切らない物分かりの悪さは完全には消えないのだろう。
この辺りの心境は嘉門達夫さんの『大人の階段昇時』という曲でも歌われている。これは番組の視聴者から「大人になったと感じたのはどんな時か」というネタを募集しそれを歌詞にして作られた曲。今回久しぶりに聴いてみると、カードで買い物した時、わさびがうまくなった時、初めて給料もらった時、温泉で泳がなくなった時、親父と二人で酒を飲んだ時、健康診断が怖くなった時、自分の限界に気が付いた時、などなど面白くも切ないフレーズがたくさん登場している。
ちなみに当時26歳で社会人になったばかりだった僕は「ネクタイが苦しくなくなった時」というネタを楽曲に採用していただいた。あれから十五年、僕は一段でも大人の階段を昇れているのだろうか。
2.境界線は18歳? 20歳?
そんなわけで主観的には成人年齢を迎えたからといっていきなり大人になるわけではない。しかし社会的・対外的には今後は18歳を迎えると大人、自分で自分のことを決められる、その代わり自分のやったことは自分で責任を取らなければならなくなるわけだ。
さて、では18歳が成人年齢として妥当かについて考えてみる。これまでも18歳という年齢は何かと境界線にはなっていた。結婚できるのも18歳、選挙権も18歳、普通運転免許も18歳、R指定作品も閲覧は18歳からであった。職種によっては18歳以上でなければ雇ってもらえない仕事もあった。成人が18歳未満の相手を連れだしたり、性的交渉を持ったりした場合、例え本人同士が了解していたとしてもそれは守るべき子供を大人が傷付けた行為として、誘拐や淫行の罪に問われることが多かった。
ただ18歳ではなく、20歳で境界線が引かれているものもあった。その代表が飲酒・喫煙・ギャンブル。そして携帯電話・クレジットカード・ローン・部屋を借りるなどの手続きも未成年の場合は保護者の同意が必要だった。犯罪事件の報道では、加害者グループの中の20歳以上のメンバーだけが実名を報道されていた。
3.メリットとデメリット
今回の改定では、飲酒・喫煙・ギャンブルについては20歳からのまま、そして実名報道もしばらくは段階的にやっていくようだが、それ以外の多くのことが成人年齢の18歳に統一されたので、わかりやすくなったと言える。18歳から成人、だから結婚もできるし選挙にも行ける、自分でカードも作れるし住む場所も就職先も決められるということだ。
だが一方で戸惑う部分もある。これまでは20歳が成人、それと同時に飲酒・喫煙・ギャンブルも解禁だったから、あまり守られていないという実情はあったにせよ「お酒は大人になってから」という言葉で一応の抑止効果もあった。しかし今度は成人になっても飲酒・喫煙・ギャンブルはまだ禁止、大人の仲間入りはしたがまだ大人の嗜好品はやってはいけないことになる。ちゃんと二年間のお預けを待てるのか、以前よりも破ってしまう人が増えるのではないかという心配はある。
じゃあいっそ飲酒・喫煙・ギャンブルも18歳にすればいい、という考えもあるだろう。確かにその方がわかりやすいが、そうなると制服姿の高校生が飲酒・喫煙・ギャンブルに興じることになる。同じ制服姿の下級生と見分けがつかずますます法律を破る者が出そうだ。
医療の観点から言っても、若年での飲酒・喫煙・ギャンブルは望ましくない。アルコールが脳の発達に有害なのは間違いないし、ニコチンが呼吸器に有害なのも自明の事実。飲酒とギャンブルは一歩間違えると依存症やうつ病を引き起こす危険な物。アメリカのある州で飲酒年齢を18歳から20歳に引き上げたら18歳・19歳の自殺者数が減少したというデータもある。やはり飲酒・喫煙・ギャンブルは20歳からのままにしておいた方が健康的には絶対良いと思う。できればゲーム依存症・買い物依存症の引き金になるクレジットカードやローンの手続きも20歳からにしてほしい気持ちもあるが、成人として認めるのに金銭管理を親がするというのも変なので、やはりここは自覚を持って頑張ってもらうしかない。
そう、自覚があって自立心の高い若者には今回の改訂は背中を押す。未成年というだけで悪質な親の犠牲になっている18歳にとっては、自立して自分の人生を取り戻せるチャンスになるのだ。ただ比率としてはまだまだ精神的にも経済的にも親に依存している18歳の方が圧倒的に多いだろう。自分自身も18歳の時はモラトリアムの真っ只中、どんなにいきがっても親の手の中で守られていた。甘えてばかりで本当の自立心なんてほとんどなかった。これからの若者にはそれが求められるとすれば大変なことだと思う。
4.いくつかの疑問
他にも、例えば教育の現場への影響はどうだろう。これまで「生徒」と呼ばれる高校生までは未成年、「学生」と呼ばれる大学生・専門学校生からは成人も含まれるという構図だった。だが今後は高校3年生に成人が含まれる。教師と生徒の関係が必ず「大人と子供」だったのが「大人と大人」になる。「子供たちよ、先生は大人として」とか「君たちは子供なんだから」なんてセリフは使えなくなってしまう。
甲子園にも成人が出場するので、「高校球児」とか「少年たちの暑い夏」という言葉には語弊が生じる。図書室の常連だった女子も高校3年生の18歳を迎えると「文学少女」と呼べなくなる。金田一少年は17歳なのでギリギリ大丈夫だが、モンキー・D・ルフィは19歳なので「海賊王を目指す少年」ではなくなってしまう。小説の世界でも「18歳の美少女」という設定は存在しなくなる。その他多くの場面で「高校生だけど少年少女ではない」ということに戸惑いが起こりそうだ。
そういえば17歳同士の高校生カップルで一方が先に18歳になって成人した場合、性的交渉を持ったら淫行で罰せられることもあるのだろうか。同級生みんなで羽目をはずして何かトラブルになった場合、成人している生徒の方が責任を強く追及され、報道の扱いも変わったりするのだろうか。
また今回の改訂でこれまでは少年少女だった18歳が成人になり、悪質な犯罪に巻き込まれる危険もある。言葉巧みに売人や売春まがいのことをさせられた時、「でもそれは成人の本人が同意したことだから」と、守られる側でなく責められる側になってしまわないだろうか。
5.可能性を信じて
もちろん今回の改定で「自分はもう成人だ」という自立意識が高まり、ちゃんと危機感と責任感も育ち、若者が以前より積極的に社会参加できるようになるのはよいことだ。日本社会にも新たなエネルギーが加わるだろう。
ただスマートホンやSNSで巻き起こっている数々の悲劇を目の当たりにすると、どう考えても技術の進歩に倫理も法律も追いついていない。今回心も体も幼いままで扱いだけが成人になってしまったら、それと同じような悲劇が起るのではとついつい心配してしまう。だがそれは18歳・19歳の彼らを信じていないからこその心配、彼らを一人前としてちゃんと認めてあげなければ育つ意識も育たない。しばらくは心配の癖も出てしまうだろうが、若者を信じて活躍を期待しよう。そして成人の先輩として少しでも憧れてもらえるような自分でいなければと思う。
6.研究結果
モラトリアムが短くなってしまったけど、その分早いスタートが切れるようになった。頑張ってくれ、若き新成人!
令和4年4月1日 福場将太