映らないテレビ

 我が家の居間には一台のテレビが置いてある。20年以上前に年賀状のお年玉くじで当たった景品で、当時は珍しいワイドな液晶の薄型テレビだったが、今となれば画面も小さくフォルムも古めかしい。当然地デジ対応でもない。そんなテレビを東京にいた学生時代からずっと愛用しているのだが、今回はそれにまつわるお話を一つ。

1.衝撃の事実

 5年ほど前、我が家に遊びに来た友人が驚くべきことを教えてくれた。普通にテレビで番組を流していた僕に友人はこう言ったのだ…「このテレビ、画面が映ってないぞ」。
 そう、長い歳月が過ぎ引っ越しをくり返す中でテレビは故障していたのだ。いつから壊れていたのかはわからないが、そのことに僕が気付かなかったということは、僕の目が見えなくなったよりも後に壊れたということだ。普段慣れ親しんだ家の中にいる時は自分が視覚障害者だとあまり意識しないし忘れている。だがこういう時にやっぱり自分は見えていないんだと思い知らされてしまう。

 そんな衝撃の事実が明らかになったわけだが、じゃあ急いでテレビを買い換えたかというとそんなことはない。今なお我が家のメインテレビとして居間に鎮座している。
 だって…普通に役立っているから。画面が見えない僕にとって、画面が映らないテレビでも何ら問題はない、音声さえしっかり出ていてくれれば十分なのだ。映らないテレビに見えない僕、名コンビじゃないか。

2.残された機能

 わかっている、きっと僕はこのテレビに自分を重ねているのだ。通常なら画面が映らなくなった時点でテレビとしては失格、廃棄されたっておかしくない。でもこいつはまだ頑張ってる、残された機能で役割を果たしている。
 僕もそうだ、目が見えなくなった時点で本来なら医者失格、お役御免にされても文句は言えない。でもあきらめ悪くまだ働いてる。

 たくさんの機能を備えた家電はもちろん便利だ。医者だってたくさんの機能を持っていた方がきっと重宝されるだろう。でも、たった一つの機能しか残っていないポンコツだって、役に立てることはあるんだ。まだまだ引退するわけにはいかない…なんてらしくないことを、テレビを点ける度に思ったりする。

3.研究結果

 我が家のテレビよ、お互い歳を取ってガタがきてるな。でもまだやれることはある。安心しろ、画面は映らなくてもそこは僕の記憶力と想像力がカバーする。だからまだ引退するなよ! こっちもたくさんの人たちにカバーしてもらいながら、まだなんとか働いてるぜ。

令和4年4月16日  福場将太