心の名作#15 きらきらひかる

いつまでも胸の奥できらきら輝き続ける、そんな心の名作を研究するシリーズの15回目です。

研究作品

「お医者さんってどんな仕事?」と訊かれたら、多くの人が「患者さんの命を救う仕事」と答えるでしょう。でもそうではない医者もいるのをご存じでしょうか。監察医は遺体を検案・解剖し死因を究明するのが仕事。その根底にあるのは法医学、医学の中でも精神医学と並んで特殊だとよくいわれる分野です。
今回は亡くなった患者さんを診る医者、監察医たちの姿を描いたテレビドラマ『きらきらひかる』を研究します。あたしを誰だと思ってんの!

ストーリー

医学部卒業後の進路に迷っていた天野ひかるは、偶然巻き込まれた爆発事故の現場で出会った監察医・杉裕里子の姿に大きな感銘を受ける。背中を叩かれたように新米監察医となった彼女は、頼もしい仲間や憧れの裕里子と共に死者の最後の声に耳を傾けながら、いくつもの輝くような真実と出会っていく。

福場的研究

1.脚本家の力に脱帽

このドラマの原作は同名の漫画作品です。ただ漫画とドラマで共通しているのは主人公が天野ひかるという女性監察医であるということくらいで、法医学による謎解きのネタは引用しているものの、登場人物の設定や物語は完全な別物となっています。こんなに大胆なアレンジをしておきながら、ここまで完成度の高い、原作とは別の輝きを放つ作品にしてしまった脚本家の井上由美子先生は本当にすごい。もし僕が一番尊敬している脚本家を問われたら、迷わず井上由美子先生と答えます。

原作漫画との一番の違いは、主人公のひかるが新人であるということ。経験も知識もない彼女は、遺体の前に立っても一人では何もできません。そこで登場するのが三人の女性たち…先輩監察医の黒川栄子、刑事の月山紀子、そしてひかるが尊敬し目標とする杉裕里子です。物語はこの四人を中心に展開していきます。
見事なのは四人四様の魅力を放っていること。彼女たちは誰もが美しく、可愛らしく、そしてしびれるほどかっこいい。ビデオやDVDのパッケージでは四人が様々な表情を見せてくれているのですが、誰が一番と決められないくらい全員が素敵です。
子供っぽさが抜けないけど一番まっすぐでひたむきな情熱に溢れたひかる、バツイチで男の話ばかりだけどいつも明るく一番大人のバランス感覚を持った栄子、暴走もするけど一番正義感と友情に熱く実は一番純情な紀子、そして人に厳しくクールな現実主義者だけど一番自制心と探求心が強い裕里子。
毎回物語はこの四人がレストランでお食事する場面から始まるのですが、今回改めてDVDでシリーズを見直してみると、第1話の冒頭数分の会話だけでこの四人のキャラクターが十分に表現されていることに驚きました。すご過ぎです、井上由美子先生!

2.異なる信念

このドラマのキーワードは『真実』。彼女たちは共に死者の真実を究明していくわけですが、全員がその姿勢に異なる信念を持っています。そして第1話の最後のお食事シーンで、そのことがまた見事に表現されています。ひかるがみんなに一つの質問を投げ掛けました…「森の奥でとても大きな木が倒れました。誰も見ていないし誰も傷つけてはいない。さあどうしますか?」。

「本当に倒れたのか見に行く」と答えたのは裕里子。妹の死の真相を調べるため外科から法医学に移ってきた彼女は、真実を知ることに人並み外れた欲求を持っていて、それは損得勘定を逸脱しています。たとえどんな真実だったとしても、真実は知るべきだと彼女はいつも言うのです。
特徴的なのはそれだけの欲求にかられながらも彼女は常に冷静沈着な学者だということ。彼女が真実を認定する根拠は必ず科学的。先入観や希望的観測は一切排除し、あくまで遺体に現れた所見のみから判断するのが彼女の信念。死者に借金があったとか、遺族が何を望んでいるかとか、そんな情報は判断には取り入れない。つまり彼女にとっての真実は憶測や解釈を含まない『科学的事実』でなければならないのです。

一方、ひかる自身は倒れた木の質問に「どんな木が倒れたのか見に行く」と答えます。死者や遺族への思い入れが強い彼女は人の内面を重視し、つい誰かの救いになるような真実を求めようとします。例えば近所の少年と川で溺死したホームレスの女性に対して「少年を助けようとして川に入ったのではないか」と証明しようとするのです。その情熱が実を結ぶこともあれば、逆に大きな判断ミスを犯すこともある。そしてこの『死者への思い入れ』を巡ってひかるは裕里子と何度も衝突するのです。
裕里子は諭します、「助けようと舌かどうかなんて本人に歯科わからない」と。ひかるはその度に反省しながらも、やはり死者や遺族への感情移入を捨てられないのです。そんな彼女に少しずつ裕里子も影響を受けていき、最終回で一つの変化を得ることになります。

続いて倒れた木の質問に「マツタケが生えてたら取りに行く」と答えたのは栄子。ただの冗談にも聞こえますが、第4話を見るとこの言葉にも彼女の信念が表れていたことがわかります。彼女は有益ではない真実なら何でもかんでも解き明かすべきではないと考え、彼女にとってその力加減を決める枠組みが『仕事』なのです。
過去の事件の真相を掘り起こしてトラブルになった上司に彼女は言います、「私なら仕事以外の鑑定なんてやらない。やったとしても人の生活を混乱させるような結果なんて言わない。それが私の真実。真実はたくさんあるの」と。いつもおどけている栄子が真剣な顔を見せた数少ない瞬間でした。

そして紀子は倒れた木の質問に「ウサギが被害届を出したら見に行く」と答えました。医者ではなく警察官である彼女は、被害者のため、事件解決のために真実をうのです。人の内面を重視するという点ではひかると共通していますが、ひかるが相手を信じようとするのに対して紀子は徹底的に疑う。それは犯罪者を許さない正義感、彼女にとっては社会正義を貫くことこそが信念なのです。

このように四人の真実に向き合う信念は様々。そしてそれらはいずれも一長一短に描かれています。ひかるの方法が真実を掴むケースもあれば、真実を遠ざけてしまうケースもある。科学的根拠だけでは救われないケース、仕事をはみ出してこそ救えるケースもあるし、医療倫理に縛られない警察だからこそ解決できるケースもある。
本作では誰が最も優秀とは示されていません。異なる信念を持つ者同士が時にはぶつかり合いながら一つずつ答えを出していく。その過程の中でお互いが学び合い、成長していくのだと教えてくれるのです。

3.真実への敬意

本作では『真実』というものがとても神聖で崇高な存在として描かれています。ひかるの上司であり監察医務院の部長である田所の言葉はとても印象的です。
「真実は必ずどこかにあるがたどり着けるとは限らない。たどり着けないと人はつい都合のよい真実お作ってしまう。監察医は絶対に真実を作っちゃいけない」。
かつて彼の妻は謎の自殺を遂げており解剖したのも彼自身。しかし必死になって調べても自殺の理由はわからなかった。それでも彼は都合の良い真実を作らず、永遠にわからないこととして妻の死を受け入れている。悲しいことですが、この設定は真実というものを扱うことについて本作を戒めているように感じます。

事故か自殺かを見極めるために、死亡推定時刻のわずかなずれを修正するために、監察医たちは気の遠くなるような検査や検証をくり返す。そして判明しない時は不明であることを結論とする。彼らが書く死亡診断書一枚はとてもとても重たいのです。
ここが心の医療との大きな違いだと僕は感じました。もちろん精神科も医学である以上科学的根拠に基づいて診断をすべきですが、心の所見というものは数値や画像にならないものがほとんどです。主観的情報・客観的情報を総合して精神科医が解釈しているに過ぎず、それが絶対的な真実かと問われるとそれほど厳密なものではありません。解釈によっていくらでも診断は存在する。その意味では、時と場合に合わせて都合のよい真実を精神科医はいくつも作ってしまっています。
専門が違うから考え方や手法が違うのは当然なのですが、このドラマを見るたびに真実というものの神聖さを忘れてはいけない、精神医学の曖昧さに甘え過ぎてはいけないなといつも背筋を正されます。

4.感謝されない医者

学生の頃は内科・外科・産婦人科などを『メジャー系』、それ以外を『マイナー系』と呼んだりしました。法医学もかなりのマイナー系、やっぱり医学生は「患者の命を救いたい、病気を治したい」という気持ちの人が大半で、死体に向き合うこの分野を最初から志している同級生は稀でした。
本作でも「人の命を助けられない医者は医者じゃない」、「死体の解剖しかしたことないくせに」と批判されてひかるが落ち込む場面があります。裕里子も「普通の神経なら嫌がるわよ、患者がすでに死んじゃってるんだから」と自嘲めいたことを言います。それでも彼女たちは自らを医者と名乗りどこか生き生きとこの仕事を続けているのです。

一体どこにやりがいを見い出しているのでしょうか。解明した真実で死者の尊厳を守ってあげられたとしても、当の本人から感謝の言葉をもらうことはできません。また遺族が望まない真実、逆に遺族を苦しめてしまう真実だってたくさんあり、監察医は感謝されるどころか恨まれてしまうことも少なくない。それでも真実を解明するという使命を貫く…生半可な覚悟でできることではありません。
田所は言います、「観察医は人助けをするのが仕事ではない」、「俺たちは生きている人の言い分を聞くために働いているんじゃない」と。人の命を助けるわけでもなく、解明した真実で人から感謝されるわけでもなく、死体の解剖という多くの人が敬遠する業務をこなしながら、それでも冗談を言い合ったりレストランでお食事したりしながら働く本作の監察医たち。その姿はどこかきらきらしていてうらやましいほど素敵なのです。

裕里子を象徴するセリフに「私、医者同士が先生って呼び合うのはムシズが走るの」というのがあります。実際に作中では新人のひかるを除き、他の者はみんな年齢も性別も職種も関係なく名字を呼び捨てして会話しています。本作で医療現場では珍しい『呼び捨てし合える職場』が実現しているのも、もしかしたら彼らの「感謝されるために働いているのではない」という生き方が影響しているのかもしれませんね。
心の医療も感謝されることにばかり囚われてしまうと、患者さんの回復という一番大切な使命に反してしまうことがあります。患者さんの人権を守るためには、家族や世間から恨まれても貫かなくてはいけないことがあります。医療には様々な分野がありますが、それぞれに見失ってはならない使命があるのでしょう。

5.愛の言葉

本作で監察医たちは死者の最後の言葉を聞こうと頑張るのですが、実は一番大切な言葉、愛の言葉は日常の片隅の何気ない一言だった、というエピソードがいくつもあります。「好きだ」とか「愛してる」とかではなく、ありふれた平凡な一言が時を超えて愛の言葉の意味を持つ。科学的に証明はできなくても実はそれが何よりの真実。専門用語が飛び交い毎回死という重たいテーマが扱われる本作において、少しだけブレンドされたこの『心の真実』はとても暖かさを感じさせてくれます。
このドラマを見るたびに、人間というのは日常会話の中で実は大切な気持ちのやりとりをたくさんしているんだなと感じます。僕らはつい最後の言葉、最後の瞬間にばかり注目してしまいがち。でも伝えたい気持ちを言えずに亡くなったように見えても、その人とこれまでに交わした何気ない会話を思い出せば、ちゃんとそこに気持ちを汲み取ることはできるんですよね。今回の研究コラムはもう本当にこればっかり言ってますが、井上由美子先生、本作に散りばめられた何気ない愛の言葉、最高です!

6.ちょっとした謎

井上由美子先生は後年に大ヒットを記録する『白い巨塔』の脚本も担当されています。そちらでも見事なアレンジで原作とはまた違う輝きをもたらしていらっしゃるのですが、その中で里見先生が「解剖はご主人の最後の声を聞くことでもあるのです」と遺族に伝える場面があります。もしかしてこれ、『きらきらひかる』ファンへのちょっとした目くばせだったのでしょうか。
ちなみに『きらきらひかる』の中にも栄子が「いくら外科が白い巨塔でもそこまでしないわよ」と言う場面があったりします。これは偶然? それともまさかこの頃から巨塔プロジェクトは始まっていたのでしょうか?

また本作はBGMが秀逸なドラマでもあります。感情が沸き立つ場面であからさまにBGMのボリュームが大きくなる演出も効果的です。特にアコースティックギターのフレーズが印象的な『何も語らぬ人々』は名曲ですね。ただこの曲、スティングの『SHAPE OF MY HEART』にそっくりなのですが、あえてなのか、たまたまなのか謎です。
そして後年のテレビドラマに司法修習生の姿を描いた『ビギナー』というのがあるのですが、なぜかこのドラマの第7話だけBGMが『きらきらひかる』の楽曲になっているのはどうしてなのでしょう。出演者も何人か重複しているので、姉妹番組か何かなのでしょうかね。情報求む!

好きなエピソード

ひかるの中学時代の先輩が地下鉄にひかれて死亡した。友人の負債をかぶった彼は仕事も見つからず借金取りに追われる日々で、しかも亡くなった時は借金返済までは飲まないと誓ったお酒まで口にしていた。そんな事情も踏まえてひかるは自殺の結論を出そうとするが、それは監察医の姿勢ではないと裕里子は叱責。結局事故か自殺かわからないでいたところに今度は目撃者の証言から他殺の疑いも浮上し、紀子は妻による保険金殺人の線で捜査を開始。悩み抜いたひかるが田所に申し出たのは、再解剖の願いだった。

→本作の魅力がたくさん詰まった第2話です。ひかると裕里子の信念の衝突、遺族・保険会社・警察、それぞれの立場と見解の違い、そして法医学という人類が積み重ねた偉大なデータによって解き明かされる『死の真実』、さらにラストに明かされる被害者が妻に掛けた最後の電話での『心の真実』。
本作は正直どのエピソードも甲乙つけ難い素晴らしい完成度なのですが、未見の方にお薦めするオーソドックスな回として第2話を選ばせていただきました。思いっきり泣きたい方は第6話をどうぞ!

福場への影響

医学生の頃、精神医学と並んで興味を持っていたのが法医学でした。それは遠戚に当たる法医学者・西丸與一先生の存在、推理小説ファンであること、そして本作の影響が少なからずありました。実際に3年生の時に法医学のゼミに入ったのですが、薬学や化学が苦手な自分には無理だとすぐにあきらめました。
ただ最終日にはゼミの先生方とお食事に行ったのですが、そこでお話をした時のみなさんの生き生きした雰囲気が印象に残りました。大学内でもけして目立つ存在じゃないけど、きっとこの人たちはこの人たちしか知らないやりがいや魅力を感じて働いてるんだろうな、となんだかほっこりしたのを憶えています。

好きなセリフ

「いいじゃない、自分の懸けるものさえあれば」
杉裕里子、命を救えない医者は役立たずなのかと悩んだ天野ひかるに伝えた一言

令和4年2月1日  福場将太