愛用の道具を手放して新しい物に交換するのには勇気がいる。特に目が悪い人間にとっては、記憶しているボタンの配置や慣れ親しんだ指先の感触が変わってしまうと、また使いこなせるようになるまでにどうしても時間と労力を要する。なのでなるべく同じ道具を長く使いたいとついつい思ってしまうものだ。
ただ、ギターやボイスレコーダーなら大切にすれば一生使えるかもしれないが、パソコンや携帯電話はアップグレードが常であり、古い機種はサポートも終了してしまうので、意地を張って同じ物を使い続けるのは難しい。
そんなわけでこの度3Gの携帯電話にいよいよ別れを告げることとなった。今回はそんな研究である。
1.変わりたくない理由がある
「2022年3月末をもって3G対応の携帯電話はご利用いただけなくなります」。
そんなお知らせの郵便は数年前から届いていた。それでも機種変更せずにいたのは上述の理由からであり、けして悪意で無視していたわけではない。とはいえ電話会社の人は目の事情なんて知らないわけで、だんだん頻度が増え、書類のサイズもビッグになりながら郵便は届き続けていた。去年からはメールや電話でもお知らせが来るようになり、今年に入ると通話の前に機種変更についてのアナウンスまで流れるようになった。
まるで包囲されていくようでちょっと怖い感じもしたが、裏を返せばとても手厚いサポートで有り難い。4月から急に電話が通じなくなって困ってしまう、そんな人を出さないための親切な対応だと感じる。粘るのももはやここまで、僕はいよいよ腹を括ることにした。
僕が機種変更を躊躇していた最大の理由は、そもそも使用しているのが『簡単ケータイ』と呼ばれるちょっと特殊な機種だったから。高齢者や視覚障害者が使うことを前提にしたガラケイであり、アドレス帳やメール、インターネットの画面を音声で読み上げてくれる優れもの。スマートホン対応のサイトは閲覧できないが、その分操作がシンプルでわかりやすく、電話とメールが使えて時々ネットのニュースを見るくらいなら正直これで十分。
今回機種を新たにするとなると、電話会社は当然スマートホンへの切り換えを勧めてくる。でもそいつは無理な話、世の中には使いこなしている人もいるらしいが、多くの視覚障害者にとってボタンの感触がないスマートホンは難儀である。
2.ガラアホという挑戦
実はそんな人のために、形はガラケイで機能はスマホという『ガラホ』という代物がある。音声読み上げ機能も備わっていて、一見これで問題ないようにも思える。実際に触ったこともあるのだが、確かにガラケイのようにボタンで操作できた。
しかし色々異なる部分も多く、一つは音声読み上げの違い。文字を入力する際にひらがなとカタカナの区別がなかったり、改行や長音など読み上げてくれない記号もいくつかあった。
またもう一つの違いとして、ボタンを押してから画面が切り換わるまでにかかるタイムラグにも戸惑った。アナログ放送からデジタル放送対応のテレビに変わった時もそうだった。リモコンでテレビの電源を入れても画面が映るまでに1~2秒の間がある。別のチャンネルに回しても、画面が出るのにやはり1~2秒ほど間があるのだ。言い換えれば、昔のテレビに比べてボタンのレスポンスが遅いわけである。
別にたった数秒を待つのが面倒だということではなく、画面が見えていない人間からすればその数秒の沈黙に惑わされてしまうということ。あれ、電源がオンにならなかったのかなともう一度ボタンを押してオフにしてしまったり、間違ってビデオ入力を押したのかなとさらに不要なボタンを押してしまったりするのである。
僕が愛用したガラケイの『簡単ケータイ』はそのタイムラグがなく、押せばすぐ次の画面に行く。インターネットでも戻ったり進んだりがとてもスムーズ。そして何より文字入力の音声ガイドが非常に丁寧で、ボタンのレスポンスの良さと合わせて、とても小気味よく文章を打つことができた。急いでネットで情報を検索したり、すぐにメールを返信したりするには本当に重宝した。仕事でもたくさん使っていたので、ガラホにすることで業務効率が落ちてしまうことが心配だった。
3.神は我らを見捨てなかった
できれば期限ギリギリの3月31日まで粘りたいところだが、機種を取り寄せたりする時間を考えればそろそろ動かねばなるまい。そんなわけで僕は電話を掛けて問い合わせてみた。そして目が悪いこと、できれば今の簡単ケータイと同じ使い勝手の物が有難いことを説明した。すると後継機に当たる機種がちゃんとあると教えてくれた。
ガラホには違いないのだが、引き続き高齢者や視覚障害者の使用を前提としたその名も『簡単ケータイライト』、僕が乗り換えるならこれが最適と思われた。
料金プランも見直して電話で申し込むと、コロナの情勢もあってか、なんと自宅までその新しい携帯電話を宅急便で送ってくれた。古い機種からデータを転送すれば新しい機種への切り換えが自分だけでできる…とのことだったがさすがにこれは目が見えないと難しいので、いつも助けてくれる友人に近所のケータイショップまで連れて行ってもらい、そこで設定をお願いした。
そして無事に完了。若干のボタン配置の違い、画面表示のタイムラグはあったけど概ね問題なし、何よりも文字入力の音声ガイドが変わらず丁寧なままでとても助かった。これまではなかったメールの転送機能もついているし、スマホ対応のサイトも閲覧できる。使いこなせればきっと前の機種よりも活用できるに違いない。
ところで3GのGは何の意味なのかと尋ねてみると、「Generation」とのこと。なるほど世代か、だから進化して4Gとか5Gになっていくんだな。抗生物質にも「セフェム系第2世代」とかあるからそんな感じか。でもそれならば「スリーG」ではなく「サードG」と呼ぶべきではないのか、なんて余計なことまで考えてしまうのが悪い癖である。
4.今はまだその時じゃない
というわけで今回の変化は無事乗り越えられた。これからもパソコンや携帯電話については時々アップグレードをしていかなければならないだろう。もうWindowsについては「10から11にしませんか?」というメッセージが最近画面に出るようになった。そこで了解のボタンを押せばアップグレードしてくれるという。
でも僕はまだ応じるわけにはいかない。断じていかない。何故ならパソコンに入れている音声読み上げソフトはWindows10対応だから、11になっちゃうと機能せず、僕はパソコンが使えなくなってしまうから。
もちろん変化は世の常。より良い機能を備えた新機種の開発がなされるのは当たり前、それに文句を言ったり、腹を立てたりするのはお門違い。変化に合わせる努力は自分の方がしていかなければならない。ただアップグレードが全ての人にとって好都合とは限らない、ということはみんなに知っておいてほしいと思う。
心の医療の現場でも、ついつい僕らは回復やステップアップを患者さんに勧めてしまう。それが医療者の責務とも思うが、中には回復したくない、ステップアップしたくない事情の人もいることを忘れてはならない。
人にはそれぞれに適した変化のタイミングがある。将来的に視力が低下していく病気の人に対して、早めに白杖を練習しておいた方がいいよ、早めに音声パソコンの操作に慣れておいた方がいいよ、視力を補ってくれるこんな便利な機器があるんだよ、なんて経験者はアドバイスしがちだ。それはもちろん親切心だし至極まっとうな意見。
ただそれでも実際にやるやらないは本人次第、機器を使うかどうかは本人次第。便利な機器に頼らずに、苦労は多くてもギリギリまで自分の目で仕事をしたい、生活をしたい、という人がいてもよいのだ。どうしようもなくなってから考える、それがその人にとって最善のタイミングかもしれないのだ。
メリットしかない変化なんて絶対にない。どんなに素晴らしい技術でも、どんなに望ましい進化でも、必ずそれによるデメリットはあるものだと僕は思っている。だからこそ、変化のタイミングは本人が決めなくてはいけないのだ。
5.研究結果
人間も道具も永遠ではない。緋村剣心が逆刃刀から逆刃刀・真打に持ち換えたように、麦わらの一味がゴーイングメリー号からサウザンドサニー号に乗り換えたように、それは避けられない変化。
仮に新しい物の方があらゆる面で古い物を上回っていたとしても、古い物には古い物の良さがあったことも忘れずにいたい。
今までありがとう、3Gケータイ。ゆっくり休んでくれ…と言いたいところだが、当面は目覚まし時計として引き続き愛用させていただくぞ。
令和4年2月6日 福場将太