再会の意味

2022年になりました。あけましておめでとうございます。本年も当サイト『MICRO WORLD PRESENTS』をごゆるりとお楽しみいただけたら幸甚です。
さて、みなさんはどのような年末年始を過ごされたでしょうか。まだ予断を許さぬ情勢、直前まで迷いましたが、僕は故郷の広島へ帰ってきました。今回はそんな二年ぶりの帰省で感じたことの研究です。

1.お正月の定番

施設にいる祖母の面会に行ったり、両親と紅白歌合戦を見たり、訪ねてきた妹夫婦と食卓を囲んで食後はその子供たちと遊んだり…と、まあこの辺りは毎度の定番。みんな相変わらずなようで、きっとそれぞれの二年間があったのでしょう。単身生活愛好者の僕ですが、改めてあたたかい身内に恵まれている幸福を実感しました。

そしてもう一つの定番といえば、中学・高校の同級生、すなわちアカシア時代の友人たちと集まること。普段は広島にいない仲間も帰省して、1月2日はみんなで宴会…というのがなんとなくの恒例でしたが、やはり今年はそんな企画も持ち上がりませんでした。ただそれでも特に親しい二人が家を訪ねてきてくれ、二年ぶりの再会を果たすことができました。
一人は共に部活と音楽に明け暮れた憲司くん、もう一人は遠戚でもある当時の図書委員長です。

2.なくしたくない気持ち

ただこの二人、普段から時々電話でも話しているから、二年ぶりといってもそんなに懐かしいわけではないのです。特段新しい話題があるわけでもないのです。それでも「久しぶり」と強く感じたのは、やっぱり直接会えたというのが大きかったんでしょう。
集まったからといって特別な何かをしたわけじゃありません。同じ部屋にいて、同じテーブルに置かれたコーヒーを飲んで、あの頃の文化祭のポスターを見たり、昔のCDを聴いたりしながら、ただ馬鹿な話をして笑っていただけ。それがなんだかとても貴重なことに感じました。

どうやら僕は思い違いをしていたようです。重要な会議や真面目な講演会はリモートでやれたとしても、友達とのどうでもいい駄弁りはオンラインでは成立しない。そしてこの何気ない幸福こそが、この二年間で奪われていたものだったんだなと再認識しました。
かつては当たり前だった飲みにケイションがそうでもなくなったように、時代が変われば価値観も感性も変わります。人と人とのつき合い方も変わります。もしかしたらリモートだけでも心が通い合う時代がいずれ来るのかもしれません。
それでも「会いたい」や「集まろう」という気持ちは、その喜びを知っている僕らの世代からはきっとなくならないんだろうなと思います。というよりも、なくしたくないなと思いました。

3.研究結果

時々しか会えなくなったけど、またみんなで集まろう。馬鹿な話、どうでもいい話こそ、直接会って話そうよ。

令和4年1月2日  福場将太