心の名作#14 スパイラル ~推理の絆~

道に迷った時に手掛かりを示してくれる、そんな心の名作を研究するシリーズの14回目です。

研究作品

90年代、『金田一少年の事件簿』とそれに続く『名探偵コナン』の大ヒットを受け、少年誌は競うように推理漫画を連載していました。ミステリファンの僕としては非常に嬉しいことでもあり、あまりの乱作に少々辟易もしていました。
そんな中で発表された本作、他の推理漫画とは明らかに違う独特の世界。大学時代はずっと連載を追い続け、気付けば卒業後の人生に一つの希望を残してくれました。今回はそんな『スパイラル ~推理の絆~』の研究です。幸せになりたかったら俺を信じるな!

ストーリー

高校1年生の少年・鳴海歩は多くの才能に恵まれながらも自分に自信が持てず後ろ向きに生きていた。その理由は兄・鳴海清隆の存在。清隆は神と形容されるほどの天才であり、歩の欲しかったものはことごとく彼に奪われていた。そんな兄が謎の言葉を残して失踪して一年、歩の周囲でブレードチルドレンと名乗る謎の少年少女が不穏な事件を起こし始める。望まずもその渦に巻き込まれていく中で、歩はやがて自らの過酷な運命に対峙することとなる。はたして絶望を希望に変える論理とは?

福場的開設

1.序盤での路線変更

上述のように90年代は推理漫画ブームの真っ只中。そのほとんどが、事件に巻き込まれた主人公とヒロインが警察を差し置いてその不可解な謎を解き明かす…という設定。お手並みの上手・下手はあれど、正直どの作品も『金田一少年』の二番煎じの味でした。実は本作も連載当初はまさにその設定で、歩が通う高校で殺人事件が発生、巻き込まれた彼がヒロインの少女と協力してトリックを解き明かし犯人を指摘、警察官の姉を驚かせる…という展開でした。僕は読みながら思わず「またこのパターンか」とツッコミを入れたものです。

そんなわけであまり期待はせずに読んでいたのですが、その後本作は華麗なる路線変更を遂げていきます。一言で表現するなら、それは『推理漫画』から『論理漫画』へのチェンジでした。

2.中盤での論理戦

殺人事件に巻き込まれて謎解きをする、という形式は早々に中止。中盤からは、ブレードチルドレンが仕掛けてくる命懸けのゲームをどう攻略するか、という頭脳戦・心理戦が物語の主軸になっていきます。そう、歩の最大にして唯一の武器は『論理力』とでもいうのでしょうか、目の前の困難を乗り切るためにいかなる論理を組み上げるか、というのが本作の見所に変わったのです。
例えば「52枚のトランプから相手が選んだ1枚をたった1回の質問で特定するにはどうしたらいいか?」、「どちらかに毒が入った2つのコップからいかにして安全な方を選べるか?」、「圧倒的な戦闘力を持ち銃を構えた相手をどうすれば暴力を使わずに無力化できるか?」などの命題が示されます。トリックや犯人を見破るのとはまた違う知的快感であり、脳みそは新鮮な刺激を感じました。これが有象無象の推理漫画に飽きかけていた多くの読者の心を掴み、本作は『金田一』や『コナン』とは別の栄冠を手にしたのです。

改めて考えるとここまで理屈っぽい漫画もすごい。登場人物たちがああでもないこうでもないとただ座って論じているだけで一話が終わってしまう。本作は月刊連載なので、話し合いをしているだけで平気で数ヶ月経過することもありました。体は動かしていなくても思考は巡り論理は踊る、殴り合いだけがバトルじゃない…まさに新感覚の少年漫画といえるでしょう。

3.終盤での解釈戦

物語の後半では本作はさらにもう一段階チェンジします。ブレードチルドレンとの命懸けのゲームが終わるとついに彼らの正体が明かされ、さらには歩自身にも悲しい運命が待ち受けていることがわかるのです。
登場人物の立ち位置と彼らを取り巻く状況がチェス盤に例えられ、誰がどこに配置され誰がどう動けばこの絶望としか思えない現状を希望に導けるのか…終盤で示されるこの命題が本作最大の難問です。
同じ現実に対して、清隆と歩はそれぞれ異なる論理を組み上げます。それはもはや論理というより『解釈』の対決。絶望をどう解釈すれば希望に見えるか。推理漫画から路線変更してまさかここまでやるとは、と驚かされました。

「物事に対する捉え方や考え方を変えることで、心が受けるダメージを減らす」というのは、精神科医療でお馴染みの認知行動療法の基本です。そして捉え方・考え方を変えることを『認知修正』と呼びます。専門用語でいうとなんだかすごく難しいことのようですが、実はこれ、人間なら多かれ少なかれみんな持っている力。「怪我の功名」、「不幸中の幸い」、「塞翁が馬」、「禍転じて福となす」などの諺はまさにそれですね。
本作で歩が立たされたのは、どこをどう見ても絶望しかない現実。そこに希望を見いだすにはかなりの無理がありました。それでも論理と解釈を駆使した壮大な認知修正によって、全ては希望につながると歩は示します。自分を蝕む孤独と絶望さえも根拠に変えて、失うことさえ力に変えて、彼は閉じない運命を証明してみせたのです。そして多くの者がその論理を信じ、自らも希望の一端になる生き方を選びます。
『スパイラル』というタイトルに集約させたラストシーンは本当に見事でした。推理小説の伏線回収とは違うカタルシス、とことん理屈っぽかった本作だからこその解決編といえるでしょう。

4.美しい演出

本作の魅力に言葉の美しさがあります。これは論理の漫画だからという事情も大いに関連しているのですが、だってどんな論理も言い回しが下手だと全く説得力がありません。逆に同じことを言うのでも、言葉一つで希望を含ませることも絶望に染め上げることもできる。
本作では登場人物たちが美しい言葉・美しい表現でいくつもの名言を吐いてくれます。日常生活の中でそんなセリフがスラスラ言えるはずはないのですが、これも論理劇という世界観だからこそ許されてしまうのです。

そしてもう一つ、音楽という要素も本作に花を添えている大きな魅力。特にピアノは物語のキーアイテムであり、フランツ・リストのピアノ曲『孤独の中の神の祝福』はとても象徴的に使用されています。もちろん漫画なので音色が聴こえるわけではないのですが、曲を想像するのもよし、実際にCDを流しながら読むのもよし。
美しい言葉、美しい旋律で紡がれる物語をぜひご堪能ください。

5.信じないままの主人公

本作でもう一つ興味深いのは、歩が最後まで自分を信じていないということです。少年漫画のセオリーからいえば、自分に自信が持てなかった主人公が最後は自分を信じて勝利を手にする…となりそうなもの。実際に物語の前半では「歩が清隆に勝てないのは自分を信じていないから」、「自分を信じた者だけがいつも幸福でいられる」といったメッセージが何度も告げられます。

しかし物語終盤に至っても彼は自分を信じていません。夢が必ず叶うなんて信じていない。自分に人を救える力があるなんて信じていない。それでも逃げ出すことはしない。信じてはいないけど歩は顔を上げ、自分が示した希望に向かって螺旋の運命の上を歩いていくのです。
自分を信じないからこそ立ち向かうヒーロー…なんと斬新な設定でしょう。

福場への影響

本作には『スパイラル・アライヴ』という物語の前日談を描いた続編があります。でも僕はそれを途中までしか読んでいません。理由は一つ、視力が低下してしまったから。本作は僕が自分の視力で読み終えることができた最後の連載漫画なのです。
しかも物語が最終回を迎えたのはちょうど人生を放浪していた時代。終盤の展開、特にとある事情で歩の身体の能力が徐々に衰えていく流れは、どうしても視力が衰えていく自分と重ねてしまいました。もちろん彼と比べたら僕の事情なんて些細なことですが、それでも孤独と絶望の中にいる彼がどうやって希望を示すのかは、ただの読者としてではなく当事者として注目していました。
そして示された論理…正直すぐには呑み込めませんでしたが、最終回近辺を何度も何度も読み返して考えました。そして孤独と絶望の中にいる人間だからこそ示せる希望がある、だからこそその論理に説得力が生まれるんだというメッセージにたくさん勇気をもらいました。

また、前述した「何も信じない」という歩のスタンスからも大きな影響を受けました。精神医学はあまりに曖昧な部分が多い学問。病気に対する考えも、症状の解釈も、治療の理論も、そして目指す回復もいくつもの答えがある。正反対のことを言っている専門科だってたくさんいる。どれだけ患者さんの役に立てているのかもさっぱりわからない。そんな中で自分は一体何を信じてやっていけばいいのか、随分迷ったりもしました。
でも、歩のように何も信じないと決めたことで心は楽になりました。正しいなんて信じない、間違っているとも信じない、ただ逃げ出さずにやり続けるだけ…そんな精神科医もありかもしれないと思いました。
今僕は自分の目がこのまま一生見えないなんて信じていない。いつか必ず治るとも信じていない。一生この仕事ができるとも、できないとも信じていない。ただ顔を上げて歩いていくだけです。

好きなシーン

強敵を前に全てをあきらめかけた歩だったが、仲間の叱咤を受けて奮起する。そして必死に論理を巡らせて歩が組み上げた作戦、その第一段階は校舎内のどこかにいる敵を誘い出すことだった。どうやって誘い出すのか尋ねる仲間に歩は後述のセリフを告げ、音楽室のピアノに指を下ろすのだった。

→歩にとってピアノは、兄に勝てなかった絶望の象徴でもあり、好きだから完全にやめることもできなかった希望の象徴でもあります。つらい思い出だったとしても、ナンバーワンじゃなかったとしても、自分が頑張って手にした技術はいざという時に自分を助けてくれるものですね。
物語としても、歩が本当に顔を上げて歩き出したのはここから。銃をぶっ放す敵にピアノで応戦しようという本作らしい方法も含め、とても大好きな場面です。

好きなセリフ

「腹立たしいが、俺にはピアノがある」
鳴海歩

令和3年11月1日  福場将太