脱コンビニ宣言?

みなさんはどのくらいの頻度でコンビニを利用しているだろうか。気が向いた時に立ち寄る人もいれば、毎日通うのが習慣という人もいるだろう。
僕も以前は毎週必ず行き、一週間分の買い物をそこで済ませることも多かった。しかしここ半年ほどは脱コンビニを宣言して一切利用せずに生活してみた。これはこれで味わい深い日々だったので、今回はそれをレポートしてみたい。

1.全てはここから始まった

きっかけは今年2月の断水騒動。あれ以降無洗米を家に常備するようになり、必然的にごはんを炊く頻度が多くなった。それまではレンジでチンのインスタントごはんについつい頼っていたけれど、ちゃんと炊いたごはんはやっぱりおいしい。炊飯器のスイッチを押して別のことをしながら待っていると、家の中に炊き上がりの香りが漂ってくるのがとてもワクワクしてしまう。

そしておいしいごはんを炊いたならやっぱりおいしいお惣菜、というわけで自然とコンビニではなくスーパーへ足が向くようになったのである。

2.コンビニ食 vs スーパー食

脱コンビニで生じたメリットとしては、まず出るプラスチックゴミの量が明らかに減少、さらにスーパーのタイムセールを狙えば出費も大幅に削減できた。
ただデメリットとしては、スーパーだと店内が広いのである程度歩き回らねばならないということ。目が悪い人間にとってはやはり難儀である。

続いて商品の比較。コンビニにはなくてスーパーにはある物とは何だろう。それは魚やお肉の生鮮食品。イカそうめん、カツオのたたき、自宅でできる焼肉セットなどはごはんにもよく合うのでおかずとしてとても重宝する。
逆にスーパーにはなくてコンビニにはある物とは何か?おそらくそれは数えきれない。
そう、コンビニとスーパーの商品の一番の違い、それは変化の激しさである。
毎週コンビニに通っていた頃は、行く度に商品が変化しているのが当たり前だった。弁当もパスタもサラダもドリンクも、次々に新製品が登場する。味付けのバリエーションも豊富で、ジャンバラヤやボンゴレロッソなんて言われてしまうとつい購買意欲をそそられてしまう。よくもこんなに次から次へと新製品を出せるものだ、開発部の人たちは寝る暇もないんじゃないかと過労が心配になる。人間は常に新しい刺激を求めてしまうから、コンビニの商品はまさにそんな消費者の貪欲さに応えていると言えるだろう。
スーパーの商品ももちろん移り変わってはいくが、そのスピードは緩やかで基本的には同じ物がずっとある。前述したイカそうめんやカツオのたたきはいつだってそこにいてくれるのだ。まあその分お惣菜の味付けのバリエーションには乏しい。単品で売っている白身フライやポテトサラダ、ふと見ると幕ノ内弁当に同じ物がそのまま入っていたりするし、でき合えの焼きそばやナポリタンは良くも悪くも平凡な味である。

3.幸せって何ですか

みなさんはどちらがお好みだろうか。常に新しい刺激をもたらしてくれるけど、お気に入りの商品を見つけてもすぐにそれも移り変わってしまうのがコンビニ。いつも同じ商品がそこにあるけど、地味で変わり映えしないのがスーパー。
刺激を求めるか、安心を求めるか…まるで小悪魔ガールと良妻賢母の比較のようで、恋愛するならコンビニ、結婚するならスーパーといったところだろうか。そんなことを言ったら女性陣に怒られそうだが。

実は先日久しぶりにコンビニへ行ってみた。脱コンビニと宣言してあっさり浮気をしたわけだが、あまりに刺激的でびっくりした。目新しくて魅力的な商品がたくさんあり、ついつい全部買ってしまいたくなった。
そして半年ぶりのコンビニ弁当は、スーパーのお惣菜よりも味付けが濃く、調味料が豊富で、まるでレストランの料理のよう。炊いたごはんにカツオのたたきをポン酢で食べるのと比べると、うまいとかまずいとかではなく、なんだかおいしさの種類が違うように感じた。

刺激と安心、きっと人間はどちらか一つでは物足りなさを感じてしまう生き物なのだろう。家が一番落ち着くけどやっぱり旅行にも行きたい、お袋の味が一番好きだけど時々は外食もしたいのが人情なのだ。
ただ刺激は追い求めればきりがないのに対し、安心はさり気なくそこにあるもの。刺激がもたらすものが快感であるなら、安心がもたらすものは感動に近い。人によって価値観はそれぞれだろうけど、幸福感とは百の快感よりも一の感動でもたらされるように思う。

そのことを忘れずに、時々はコンビニの刺激も取り入れていこう。念のために言っておきますが、浮気を肯定しているわけではありません。あくまでこれはごはんのお話です!

4.研究結果

幸福な食卓には、ほのかに感動の味がする。

令和3年10月2日  福場将太