いやあ、今年の夏は本当に暑かった。扇風機とアイスノンでどうにか乗り越えたものの、仕事から帰ったらへばっているだけ、大好きなはずの創作活動も止まってしまっていた有り様。だから猛暑の中で闘う高校球児たちの情熱には素直に感服した。
残念ながら我が母校の広島大学附属中・高等学校には硬式野球部はなかった。しかし、甲子園にも負けないくらいのとびっきりのイベントがある。
それは体育祭。高校3年生が中心となって企画・運営するこの伝統行事はアカシア最大のイベントといっても過言ではない。なんてったって高校2年生の体育祭が終わったその翌日から、一年後の体育祭に向けてもう準備を開始するのだから。注ぐ予算も時間も労力も、そして何より情熱が尋常ではない。そんじょそこらの体育祭とはあらゆる意味で次元が違うのである。
そんなわけで、はっきりいって自慢話だが、今回は我が母校・アカシアの体育祭とその情熱について研究してみたい。
1.表舞台と裏方
では一年もかけて一体何を準備しているのかをまずはご説明。
みなさんはマスゲームというものをご存じだろうか。地面にマス目を描き、その上で行進して様々な陣形を作る演舞だ。これがアカシア体育祭の目玉。自分たちでその内容を練り上げ、使用する音楽を選定し、そして練習に明け暮れるのである。さらにもう一つの目玉は応援合戦。応援団とチアガールも負けじと一年前から稽古をしている。
アカシア体育祭はこれら表舞台のパートに所属する生徒たちにとって、年に一度、一世一代のお披露目会なのである。
もちろん一年かけて準備しているのは表舞台のパートだけではない。裏方のパートに所属する生徒もたくさんいる。
まずは衣裳チーム、マスゲームに出演する者全員の服をデザインし、採寸し、ハンドメイドで一着ずつ縫い上げる。そして櫓(やぐら)や山車(だし)といった大道具チームも、デザイン・設計そして実際の組み立てから塗装まで自分たちで行なう。
そんな裏方パートにとっても、体育祭は自分たちの作品をお披露目する年に一度の舞台なのである。
以上、ご理解いただけただろうか。アカシアの生徒はまずクラスによって赤軍と白軍に分かれ、それぞれに表パートと裏パートがあって一年がかりで準備する。つまり赤と白は競技だけでなく、演舞や大道具のクオリティでも競い合うわけだ。スポーツ対決であると同時に、エンターテイメント対決でもあるというのがアカシア体育祭の最大の特徴である。
ポイントとしては、毎年同じことをやるわけではないということ。マスゲームも応援団もチアガールも、衣裳も櫓も山車も、どのチームも同じネタを使い回さずに毎年自分たちだけのオリジナルで作り上げるのだ。そりゃあ準備に一年かかりますって。
ちなみに各チームのリーダーを大幹(だいかん)と呼ぶが、公式な役職ではないはずなのに、大幹はアカシアではまるで一国を束ねる皇帝の風格。生徒会長や委員長をも凌ぐ英雄になってしまうのである。
2.構想と夢想
では僕がどこに所属していたかというと…赤軍裏パートの櫓チーム。運動音痴の自分に演舞ができるとも思えなかったし、正直真夏の炎天下の運動場で毎日練習する体力の自信もなかった。僕にとっての表舞台は文化祭、体育祭は裏方がお似合いだった。
とはいえ裏方は裏方でかなり大変。大道具には毎年テーマが与えられるのだが、白軍はヨーロッパが多いのに対し、赤軍は何故か一定しない。高校2年生の時は中国がテーマだったので、ベニヤ板で瓦屋根の城を作ったりした。
そして今回与えられたテーマは…古代マヤ文明。巨大な石の階段の遺跡や太陽王の伝説を思い浮かべる人も多いだろうが、正直僕らとしても知っているのはそれくらい。世界史の授業でもそこまで時間が割かれる単元ではなかった。
どんな櫓を作ればよいのか全くイメージが湧かない。そこでまずやったのが放課後の図書室に通ってマヤ文明の書籍を読みあさること。色々見ているうちに、だんだん実際の遺跡や壁画の写真に大きく興味を引かれていった。
近代の色彩鮮やかな芸術、細かい装飾とは異なる、古代人ならではの造作がなんだかとても味わい深かった。まだ建築の技術も道具も乏しい時代、石をそのまま積み重ねたような建造物も多い。確かに地味だが、その荘厳さは力強い。そして描かれている絵は現代人にはないセンスで、時に妖しく時に可愛い。これらを再現できれば面白い櫓になるんじゃないか、と構想が出来上がった。
設計部門は男子が中心。実際に方眼紙でミニチュア櫓を何パターンか作ってみた。難しかったのは、カーブのない四角いだけのシンプルな方がマヤ文明っぽいのだが、それは一歩間違えるとただの手抜きに見えてしまうということ。そこで考えたのが、古代人が石を彫って絵柄を残したように、僕らも実際に凹凸を再現しようということ。そしてやっぱりマヤ文明なのだから、櫓の屋上に大きな祭壇を作り、最上段に壺を置こう、壺の中に発煙筒を仕込んで煙を出そうという夢想で盛り上がった。
しかし、僕らはそのことで大幹と何度かぶつかった。もちろんお互い同級生の男子、普段は対等なクラスメイト。なのに大幹が「それは危ないからダメだ」、「そんなのは認めない」と僕らのアイデアに反対してくる。一時期険悪なムードになってしまった。もちろん、彼は彼でリーダーとしての責任を背負い、みんなの安全を第一に考えてくれていたのだが、当時の僕はそこまで考えが及んでいなかった。反省点である。
まあそれはさておき、かくして若干のいざこざもありつつ方針が決定。僕らは木材で彫刻を再現するという前代未聞の緻密な設計に取り掛かるのである。素人が設計図を引くのだ。授業で授かったグラフ用紙、そして数学と物理の知識が大いに役立った。やはり学問は偉大である。
その頃、女子は同時進行で美術部門を担当。櫓をどんな色で塗り上げるか、どんな模様や絵を描くかを考えていた。せっかくなので古代人が描いた絵を櫓の壁画として使いたい、でも本の片隅の小さな写真を2メートル以上に拡大するコピー機なんてない。
そこで彼女たちはまずその写真を先生に頼んでプロジェクターで壁に投影。そこに模造紙を貼って鉛筆で写し取っていた。さすがは天下のアカシアガール、頭が切れるねえ。まさかマヤの人たちも、数千年の時空を越えて自分たちの絵を写し取る女子高生が現れるなんて予想もしていなかっただろう。
実は男子や女子のこれらの作業、今なら3Dプリンターやパソコンを使えばもっと簡単にできてしまう。でもいいのです。アナログだから価値があるのです。当時の教室には櫓のミニチュアや壁画のイラストなどがたくさん転がっていた。休み時間になると、我らが裏パートはそこに群がって、ああでもないこうでもないと授業中より真剣に頭をひねっていたのである。
実は櫓チームよりも悩んでいたのはお隣さんである山車チーム。山車は毎年廃車のトラックにベニヤを被せて戦車や戦艦を造るのが通例。しかし…どんなに文献をあさっても、古代マヤ文明の時代には乗り物なんてないのである。乗り物がないのにどうやって山車を作るのか。山車チームは途方に暮れていた。しかしアカシアソウルがこんなことで負けを認めるはずがない、それはみんなわかっていた。
3.アマチュアカーペンターズ
櫓の設計図と美術デザインが完成したらいよいよ実際の大工作業。木材はどこから調達するかというと、なんともう使わない選挙ポスターの掲示板をもらってくる。まずはそれを解体して無数のベニヤ板と角材にするところから僕らの夏は始まる。
放課後に少しずつ進めてはいたが、集中的に作業するのはやっぱり夏休みに入ってから。中庭にベニヤを広げ、工具を持ち出し、あちらこちらで切ったり削ったり叩いたり。僕も首にタオルを巻き、不慣れなノコギリやトンカチを必死に走らせた。中には電動ドリルや糸ノコギリで活躍する達人もいる。
作業の中で、「そうだ、太陽を反射させるために鏡を貼ろう!」など新たなアイデアもどんどん加わっていく。そして出来上がった物から女史がペンキで色を塗ってくれる。そうやって少しずつ櫓のパーツが完成していくのは本当にワクワクした。
特に感動したのが祭壇が出来上がった時。四段ほど上った上がちょっとしたステージになっていて、さらにそこに台座、その上に壺。もちろん壺も含めて全て木材で製作。壺から煙が出る演出はどうしてもやりたかったので、発煙筒ではなくドライアイスを使うことにした。リハーサルで壺から溢れ出た白い煙が祭壇を下っていった時には、思わずみんなで拍手して盛り上がった。なんだなんだと他のチームの生徒も見に来たりしていた。
おっと、自分たちの話ばかりで失礼。もちろん夏休みに作業しているのは僕らだけではない。ふと視線を上げれば、マスゲームが音楽をラジカセで流しながら渡り廊下で腕を振る練習をしている。遠くの芝生ではチアガールが一人のメンバーを空中に投げあげ、それをみんなでキャッチする練習をしている。耳を澄ませば体育館から応援団の掛け声と太鼓の音も聞こえてくる。窓を覗けば教室では衣裳チームがミシンを走らせている。そして時々エプロン姿の差し入れチームがやってきて、冷えた手作りコーラスをみんなに配ってくれるのだ。こんなにうまいドリンクはそうそうない。
夏の長い一日。夕暮れまで鳴り止むことのないトンカチの音、音楽、掛け声…それが僕らの青春のBGMだった。ええ話やなあ。
しかしみなさん、冷静に考えてみてもらいたい。これは高校3年生の夏休みなのだ。受験生にとっては追込みの時期、勝敗を分けるともいわれる夏期講習の季節に毎日学校に来て体育祭の準備。予備校はいいのか?勉強はいいのか?
では自信を持ってお答えしよう…いいのである。
4.前夜の奇跡
二学期に入るといよいよ大詰め。さすがに鉄骨の骨組みは素人大工の僕らにはできないので、プロが来てやってくれた。運動場に赤軍と白軍、二つの櫓の骨格が誕生。僕らはそこにこれまでに製作したパーツを貼りつけていく。あらかじめ空けていた穴にワイヤーを通し、ちょっとやそっとの風ではビクともしないように強く強く巻き付けていく。そして自信作の祭壇はバラバラの状態で骨格の屋上まで運びその場で組み立てる。ここでもまたトンカチの音が鳴り響く。
隣を見れば、同じように白軍の櫓も少しずつ衣を着せられている。運動場を見下ろせば、マスゲームが最終リハーサルの段階に入っている。さてさて各チーム、本番ではどんな姿をお披露目してくれるのか。
そして体育祭前夜、僕らは最終チェックと見張りを兼ねて櫓の中に宿泊した。まあそれらは半ば口実で、実際にはひと夏かけて作った櫓と少しでも一緒にいたかったのだ。だって明日体育祭が終わったら壊される運命にある一日限りの城だから。もちろんこんな宿泊を学校が許可しているはずもなく、安全第一の大幹の彼は苦言を残してさっさと帰宅してしまった。
でもやっぱり友人と泊まるのは楽しい。鉄骨の中なのでけして寝心地は良くないが、ランタンノ灯りだけで僕らは相変わらずの馬鹿な話をしたり、トランプをしたりしながらキャンプ気分を味わっていた。
夜明けまで二時間といった頃だったか。嫌な音が櫓の表面のベニヤ板を叩いた。まさか…そう思うが早いか誰かが叫ぶ。
「雨だ!」
そう、この夏ほとんど降らなかった雨が最後の最後の体育祭当日に降りやがったのだ。もう全てのパーツを固定して櫓は完成している。せっかくの造形を、女子が描いてくれた美術を、雨に台無しにされるわけにはいかなかった。慌ててみんなで真っ暗な運動場に出る。隣では同じように白軍の櫓から人が飛び出してきている。
どうする?どうするんだよ?…なんてわめき合っていると、校舎の方から一つの光がどんどん近付いてくるのが見えた。それは自転車のライト、乗っているのは…大幹のあいつ、しかも後部座席には大きなビニールシートが積まれているではないか。僕は夢かと思った。あまりにもタイミングが良過ぎるし、そもそもあいつは宿泊を拒否して家に帰ったはず。
「みんな、これを櫓にかぶせろ!」
大幹命令。誰も逆らう者などいない。僕らは阿吽の呼吸でシートを広げて左右に分散、急いでそれで櫓を覆い、雨から宝の城を守ったのである。もちろん赤軍も白軍もなく助け合った。
一段落してから話を聞くと、大幹の彼はどうしても空模様が気になって夜中に自転車で学校に向かったという。ちょうど着いた時に雨が降り出し、そこですぐそばの倉庫からビニールシートを抱えてきたとのこと。これにて大幹はその名に恥じぬ大活躍を見せ、勝手に宿泊していた僕らも結果オーライで櫓を守るのに貢献、みんなで肩を組んでお互いを讃え合った。いつぞやの喧嘩はどこへやら、最後の最後で最高のチームになれたのである。
嘘つけ、演出過剰だとこれを読んで思われた読者もおられるかもしれない。でも紛れもなくこれは僕の高校3年生の夏に起こったこと。あの時ビニールシートを積んだ自転車であいつが駆け付けてくれた感激を、僕は一生忘れないだろう。
5.いざ本番
雨天のままなら中止だったがやがて雨は上がり、曇天の下で体育祭の本番は決行された。ついに揃い踏む二つの櫓。左には赤軍のマヤ遺跡、右には白軍のヨーロッパ城。色彩も形も全く異なる二つの建造物は、土色と白色、地味と派手、重厚さと軽快さ、そんな良いコントラストでお互いがお互いを引き立て合っていた。…これはちょっと欲目かな?
そして開会式では山車が各軍の王様とお姫様を乗せて運動場に登場。白軍の山車はタイタニック号。ちょうど映画が大ヒットしていた時期で、かなり細かい所まであの豪華客船を再現していた。
では我らが赤軍の山車はというと…なんと神輿!そう、日本のお祭りでもお馴染みの、人間が担ぐ御神輿である。廃車のトラックを使うという従来の手法は捨て、斬新なアイデアで勝負に出たのだ。確かに神輿ならマヤ文明にも実在した。図鑑にもそんな絵があった。ちゃんと古代文明らしいデザインで布とビーズで装飾されているのが憎い。しかも背負うのは真っ黒に日焼けした屈強な体育会系男子。上半身裸で腰布を巻いたその姿はまさにマヤの男たち。観客からは黄色い歓声も飛ぶ。そしてこの男くさい神輿だと、運ばれる小奇麗な王様とお姫様の衣裳がさらに際立ち、きらびやかでなおかつ威風堂々であった。
やられた、と正直思った。やってくれたな、山車チーム。運動場の中心まで進み出る野性的な神輿と優雅なタイタニック。これも見事なコントラストで甲乙つけ難い名勝負だった。
その後は各軍の王様が全校生徒の前に出て開会宣言。体育祭のはずなのにこの辺りは学芸会顔負けの演出だ。あらかじめ打ち合わせておいたので、赤軍の王様が櫓に向かって剣を掲げてくれた。祭壇の裏に隠れていた僕らはそのタイミングで壺の中にドライアイスを投入、かくして煙を出すと言う夢も無事叶ったのである。
開会式が終わるといよいよ体育祭のプログラムが進行していく。長欄姿の応援団はやっぱりかっこいい。実は白軍の団長は文化祭では一緒にバンドをやったドラマーだったりするのだが、その時とは全く違う真剣な顔が本当に凛々しかった。また客席を楽しませてくれるのはやっぱりチアガール。笑顔で明るい掛け声を揃えながら舞い踊る彼女たちはまさしく健康の象徴、夏の天使であった。
お昼が近付くといよいよ目玉のマスゲーム。生徒や教員、保護者だけではない。これを見るためにたくさんの観客が毎年訪れる。
激しい音楽が流れ出した。まずは男子の部、地面に描かれたマス目の上を力強く入場し様々な陣形を描いていく。右腕を振るリズムもビシッと揃っている。赤軍は盾、白軍は長いポールの旗を各自左腕に装備しており、一斉に盾を翻したり、ポールを回したりする技はまさに圧巻、その度に客席からは熱い拍手と声援が贈られた。教室ではアホなあいつも、チャラいあいつも、悔しいくらいにかっこよく見える。その息の合った動きに熱い男の友情を感じた。
続いて女史の部。風にヒラヒラ舞うドレス風の衣装で軽やかにステップを踏み、巨大な花の絵を描いたり、一人一人が花びらの様に回転して綺麗な花吹雪を見せたりする。回った時の彩りがちゃんと計算されていたんだな、とここで衣裳チームの技術も思い知らされた。普段は真面目で制服も着崩したりしない子が、マスゲームではアイドルみたいな露出の多い格好でくるくる回る。そのギャップと可愛さに男子諸君は当然ドッキドキである。
そして最後の部では男女織り交ざっての演舞。ここでも衣裳の色彩が効果的、男女で織りなす陣形はとても美しく、全員で巨大な風車となって回転した時には一年の努力の成果をこれでもかと見せつけられた。風車だから、当然一番中心にいる者、中ほどにいる者、一番外側にいる者とでは動きのスピードを変えなくてはいけない。しかも男子は右腕を振る、女子はすてっぷを踏むというそれぞれの基本動作も行ないながらだ。それが一糸乱れぬ完璧な動きで揃っていた。さらに風車の状態のまま、お得意の個人回転による演舞技も披露。もうこれはブラボーと叫ぶしかないではないか。お見事、アカシア体育祭の目玉に恥じない名演だった。
そして僕ら裏パートとしては、そんな喝采を浴びるマスゲームの隊列が自分たちの作った櫓の門から入場し、やがてまた櫓の中へ退場してくれるのがとても嬉しかった。
すごかったよ。頑張ったんだな。こっちも手を抜かずに作ったんだぜ!
6.最後の炎
一体僕はどこまでこのコラムを書くのだろう。まだ指は止まってくれないのでこのまま突き進みます。
なんだかアカシア体育祭はエンターテイメントショーばっかりやってるように感じられたかもしれないが、もちろんスポーツの祭典なので通常の競技もやっている。しかし3年生は正直当日までの準備で疲労困憊、櫓の中でスヤスヤ眠っている者までいる始末。まあ競技は下級生諸君に頑張ってもらえばよいのだ。
やがて夕方が近付くと眠っていた連中も起き出してくる。プログラムもいよいよ大詰め、男子騎馬戦の時間である。何故か帽子や鉢巻を取るのではなく、相手の騎馬を崩したら勝ちというワイルドなルール。見れば各騎馬に乗っているのは髪の毛を原色に染めたり、ビリビリに破ったTシャツを着たりしている猛者ばかり。できればそんな戦いは御免こうむりたいが、どういうわけか僕は応援団長の騎馬の一員。確かに体はでかいけど、根っからの文化系人間にどうしろというのか。開戦のホイッスルが鳴る。もうヤケクソ、みんなと一緒に吠えて土埃の中を敵軍に突っ込んでいくしかなかった。
最後の競技は赤白対抗リレー。これはやっぱり盛り上がった。鈍足の僕はもちろん出場しない。バトンを手に走る各クラスを代表する韋駄天たちに大合唱のような声援が贈られる。憎い演出でこの頃には得点板がはずされ、両軍の点数は不明。だから全力で戦うのみ。勝つのはどちらだ、これで勝負は決する。中にはマスゲームやチアガールの衣装のまま走っている選手もいて、なんだか今日の集大成といった趣だった。
そんな熱気の中、櫓や山車の所にやって来て記念撮影しているお客さんたちもいる。とある親子が「ほらこの壁、段差になってるよ!」、「ただの絵かと思ったらちゃんと立体なんだな、すごい!」なんて話していた。近くで聞いていて僕らは密かにニンマリ。そうそう、そこをこだわって作ったんだよ!
そして全てのプログラムが終了し体育祭は閉会。364日準備して、たった一日の本番。終わってみれば呆気ない、なんだかあっという間だった。それでも胸の中にはあたたかい満足感。
心残りがないわけじゃない。リハーサルの時はずっと晴天続きだったのに本番だけが曇天。衣装も櫓も山車も、青空の下で映えるように作っていたからくすんだ色になってしまった。せっかく櫓に貼っていた鏡も輝くことはなく、壺から噴き出した煙も曇り空ではほとんど見えなかった。
でも…やっぱり心は晴れやかだった。多少残念でもお釣りがくるくらいの幸福感に満たされていた。きっとみんなそうだったんだと思う。表パートも裏パートも、誰もがとてもいい顔をしていた。
生徒や保護者が解散していく中、3年生は記念写真のラッシュ。もちろん僕らも櫓の最上階に立って撮影した。やがてポツポツと雨が落ち始める。そんな中でも、マスゲームの3年生はいつまでも運動場に残り、抱き合ったり、笑い合ったり、中には号泣している姿もあった。本当に…感無量なのだろう。
一番頑張った表パートのみんなには心行くまで感動してもらおう。でも僕ら裏パートには最後にもう一仕事残っている。それは櫓の解体作業。取り付けたパーツを剥がし、城をまたただの骨組みに戻さなくてはいけない。そして剥がしたパーツを運動場の隅まで運び、そこで燃やしてしまうのだ。
図書室に通って練った構想。方眼紙でミニチュアを作って考えた設計。時には喧嘩しながらもみんなで決めたデザイン。ノコギリとトンカチで組み立て、ペンキで色を塗った夏休み。そしてそれが結実して完成した僕らの櫓。
この一年間の全てが今、炎の中でメキメキ音を立てながら壊れていく。もう二度と蘇ることはない。ついぼんやり眺めそうになるが、うかうかしていたら日が暮れる。僕らは立ち止まらずに黙々と解体作業を続けていった。
薄暗い黄昏の中、雨を受けても激しく燃え上がるオレンジ色の炎。鮮やかで寂しいあの色も僕は一生忘れないだろう。
7.理由のない情熱
こうやって改めて書いてみると、すごい経験をさせてもらえたんだなと思う。完全に生徒が主体で、あそこまで大きなイベントができたのは、やはりアカシアという学校が持っている力のおかげだ。
その一つは先輩から後輩へ代々受け継がれてきたノウハウ。ずっとやってきた伝統だからこそ僕らにもできた。内容は毎年オリジナルでも、それは一年一年分厚くなるしっかりした地盤の上だから立ち上げることができたのだ。
夏休みには卒業した先輩たちが遊びに来る。差し入れに来たはずなのに、気付けば懐かしのノコギリを手にちゃっかり作業に参加している…これも密かな伝統だったりしている。
ただこの偉大なる体育祭が実現できる最大の力は、先生方、そして保護者の方々の寛大さであることは間違いない。だってリスクという点で考えれば、この生徒主体の体育祭は危ないことこの上ない。
経験もない生徒が設計し刃物や工具を扱って怪我をしたらどうする、組み立ての最中に転落したらどうする、朝早くから夜遅くまで演舞の練習をして事故や事件に遭ったらどうする、夏休みを潰して準備して受験に失敗したらどうする…挙げていけばきりがない。絶対安心、絶対安全なんて学校側にも保証できるわけがない。リスクを考えればこんな体育祭はやらない方がいいに違いない。
それでも先生方はやらせてくれた。保護者も許してくれた。前夜にこっそり宿泊していたことだって、きっと暗黙で目をつぶってくれていた。そんな大人たちの優しさの上に僕らの青春は成り立っていた。
いつかもこの研究コラムで書いたが、そんな大人たちの寛大と信頼を裏切ることなく、ちゃんとわきまえて情熱を燃やせるのがアカシアの生徒なんだろうと思う。任せてもらっている以上事故を起こさない、自由を与えてもらっているからこそはめをはずさない。そんな返報の魂がきっと僕らには宿っていたのだ。
だからこそ、体育祭が終わったらきっちり勉強に心を切り替える。そしてちゃんと大学受験でも成果を出す。それができてしまうのがアカシアの生徒なのである。はい、自慢ですね。でもそれが僕らの誇りなのだ。
ここに書いたのはもう二十年以上前のアカシア体育祭。今はきっとそうはいかない時代だと思う。新型コロナウイルスのこともあるが、例えそれがなくても、寛大と信頼だけでは大人が子供を守りきれないほどこの社会には危険が増えている。子供たちの情熱も、友情や恋愛の形も、人とのつながりも、男女の意味も、僕らの頃とは違っている。僕らのアカシアソウルを今の子に押し付けてはいけない。
それでもやっぱり忘れてほしくないな、情熱を。今考えても、どうしてあそこまで一生懸命だったのか自分でも不思議だ。別に誰かからやれと強制されたわけではない。演舞だって大道具だって、楽にやろうと思えばいくらでも手を抜ける。なのにどうしてあんなにみんな情熱を注いでいたのか…。
わからない。よくわからない。でもこのわからないのが重要なんだと思う。将来役に立つからとか、メリットがあるからとか、大人になるとどうしてもそういった理由で僕らは頑張ることを選んでしまう。
でもアカシア体育祭は違う。損得とか打算とかそんなことではなく、理由のない情熱で頑張った。だからこそ、自由の中で僕らは様々な経験を得た。感情を知った。自分が何を好きなのか、何に向いているのかいないのか、今まで知らなかった自分にたくさん出会えた。それが将来どれだけ人生の糧になるかなんて、その時の僕らは知らなかった。知らなかったからこそ手にできた財産だった。
今でもアカシアの仲間で集まれば体育祭の話題になる。おそらく三日三晩語り続けても話題は尽きない。中にはあの経験で興味を持って工学部に進んだ奴までいたりする。僕だってそうだ。何かを作り上げることの喜びは体育祭でますます病み付きになった。
ちなみに僕らの体育祭は『紅茶王子』という漫画で取り上げられたりもしている。まったく、最後まで自慢話でごめんなさい。
8.研究結果
履歴書には載らないけど、偏差値には関係ないけど。
アカシア体育祭よ、理由のない情熱よ、永遠に。
ところで…赤軍と白軍、結局どっちが勝ったんだっけ?
令和3年9月1日 福場将太