流浪の研究第四楽章 脱衣所監禁事件

生きる場所を求めて放浪していた時代を振り返るシリーズの4回目。今回は単身生活に潜む恐怖について書いてみたい。

前回までのあらすじ:
予備校での勉強にも少しずつ身が入り始め、ライフワークの音楽もまた楽しめるようになった僕は、野外ライブイベント『ドリームライブ』に参加して世界の広さと生き方の自由さを思い知るのであった。

1.独居

挑戦することの心地良さを再認識したことで、僕は勉強と並行して公募やコンテストに応募するのを一つの楽しみにするようになった。作詞、短編小説、キャッチフレーズ、テーマソングなどなど、結果は芳しくなかったが、それでも応募して結果が出るまでのドキドキ、小さな賞でも評価された時の嬉しさはたまらないものがあった。つくづく僕はしめ切りまでに作品を用意する、という作業が好きなんだなと実感した。

そんなわけで新生活にもそれなりに楽しみを感じられるようにはなってきたのだが、一つ問題があった。それは人との触れ合いの不足。必ず医者をやるぞというモチベーションにはまだまだ達していなかったので予備校で周囲と会話をすることもなかったし、大学時代の学友と連絡を取るのも抵抗があった。かといって広島時代の友人にも自分の現状は詳しく伝えていなかったので、電話しても結局は本音で話せない。両親や親戚には言わずもがなであり、毎日誰かと会話をしていた学生時代から一変、全く言葉を発さない日がほとんどとなっていた。

まあこれはこれで悪くない、元来一人で過ごすのが好きな僕はさほど危機感は持っていなかった。しかし、そんなある日…。

2.密室

当時暮らしていた部屋は、その広さに比してやたらにドアが多い物件だった。寝室兼居間から台所へ、台所から廊下へ、廊下から脱衣所へ、脱衣所からトイレへと、一つ一つは小さな空間なのに、ベッドからトイレまで通算四枚のドアを開けなくてはならなかったのだ。まあそこが気に入って借りていたわけでもあるが。

僕は普段使わない折り畳みのテーブルを廊下の壁に立てかけていた。そして寝室で勉強してもすぐに横になりたくなるので、台所に勉強机を置いていた。確か昼下がりだったと思うが、勉強が一区切りついた僕は台所のテレビで好きなアニメを見て寛いでいた。そしてトイレに立ったのだが、この時廊下に立てかけてあった折り畳みテーブルに体が当たったらしい。しかしさほど気にせず次のドアを開けて脱衣所へ、そこからまたドアを開けてトイレへと入る。用を足してトイレを出て脱衣所、そして廊下へ出ようとしたら…なんとそのドアが開かないのだ。

もちろん鍵など掛かっていない。何が起きたのかはすぐにわかった。廊下に立てかけてあった折り畳みテーブルがこちら側に倒れ込み、ちょうど壁とドアの間のつっかえ棒のようになってしまったのだ。厄介なことに四角いテーブルは1メートルほどの幅があり、それがドアの横幅よりも長く完全にドアを押さえ込んでしまったのである。

僕は血の気が引く。内側からこのつっかえたテーブルをはずすことは不可能だと直感した。試しにドアを全力で押してみるが多少は歪むものの隙間はできない。テーブルはちょうどドアノブの下にはまり込んでいるらしく、ドア越しに振動を送ってもビクともしない。ドアから脱出するのはやはり無理に思えた。

あとはトイレの窓しかない。しかしここは東京、窓を開けた先にあるのは隣のビルの壁。叫んでも誰にも届かないし、窓も少ししか開かない。ガラスをぶち破ったとしても3階から飛び降りれば大惨事だ。窓からの脱出も無理である。

…じゃあどうする?これは完全な密室状態だ。しかもさっきまで見ていたアニメは『金田一少年の事件簿 飛騨からくり屋敷殺人事件』。台所のテレビから金田一がどうやって犯人が密室を脱出したかを解説する声が聞こえてくる。一瞬期待したが、あの秀逸なトリックを今この状況で使えるはずもなかった。

3.救援

携帯電話はもちろんトイレに持ち込んでいない。自力で脱出できないなら後は助けが来るのをひたすら待つしかない。しかし…それもかなり望みが薄いことに僕は気付く。学生時代なら無断で学校を休めば誰かが気に掛けてくれたかもしれない。しかし今は予備校生、休んだからといって心配してくれる者はいない。仮に奇跡的に知り合いが訪ねて来たとしても、1階の自動ドアはオートロックなので僕がインターホンに応答しなければ帰ってしまうだろう。そして両親は遠い広島県にいる。ずっと連絡がつかなければ様子を見に来てくれるだろうが、それは何週間先、下手すれば何カ月先になるかわからない。

幸いトイレなので排泄はできる。漫画本も積んであるので暇も潰せる。脱衣所は当然浴室にも繋がっているので飲み水は確保できるし入浴もできる。しかし…それだけで何日暮らせるだろうか。その間に救援が来る可能性はあまりにも低い。せめて隣室の住人と交流でもしておけばよかったが、互いに干渉しない…それが東京という街のルールだった。
座して死を待つ、そんな言葉が冗談抜きで頭をかすめた。まずい、このままではまずいと僕は本気で焦り始める。

★読者への挑戦状
さあ、密室を打ち破る脱出ルートは一体どこにある?最大のヒントは、開かなくなったのが脱衣所のドアだということ。あなたならどうしますか?

4.脱出

僕はふと視線を落とした。脱衣所のドアだけに存在する物がある…それは通気孔、ドアの下部にはブラインド状のプラスチックになっている部分があるのだ。硬い木製のドアは斧でもなければ壊せないが、ここなら破れる可能性がある。

僕はトイレや脱衣所にあったなるべく硬い物を使ってガンガンとそのプラスチックのブラインドを叩いた。正直そんなに大きな通気孔ではない。仮に手が入っても何にもできないかもしれない。それでももうここに賭けるしかなかった。

汗だくになって作業する。『刑事コロンボ 初夜に消えた花嫁』で、監禁された花嫁が食事のドレッシングを塗り込んで必死にドアの蝶番をはずそうとする場面が浮かぶ。僕はどれだけ殴り続けたか、やがてブラインドがはずれた。

思わずその穴に手を突っ込む。しかし、その細い隙間には肘までしか入らず、外に出た前腕を動かしてもつっかえているテーブルに触れることはできない。絶望しかけたが、ここであきらめたら本当に終わりだ。僕はトイレに積んである漫画本の中でできるだけ薄くて硬い材質の物をまるめて棒を作ると、それを握ってもう一度通気孔の穴に腕を突っ込んだ。そして棒を振り回すと…。

当たった。テーブルに届いた。へしゃげそうになる棒をなんとか動かし倒れ込んだテーブルを向こうに押し出す。そしてまた倒れてつっかえる前に全力でドアを開けたのである。
ようやく帰り着くいつもの廊下、台所。自分の部屋でこれほどの爽快感を覚えたことがかつてあっただろうか。まあ…ドアの通気孔を壊した理由を大家さんにどう説明するかはこれから考えなくてはいけないけれど。

かくして、単身生活の危険を体感した僕は、今後トイレに携帯電話を持ちこむようになる。そして、一つの旅立ちを決意したのであった。

5.研究結果

一人暮らしは楽しい。でもやっぱり一人じゃ生きていけない。
自分を気に掛けてくれる人の存在がどれだけ有難いことか。

令和3年8月1日  福場将太