流浪の研究第三楽章 飛び込め、ドリームライブ!

生きる場所を求めて放浪していた時代を振り返るシリーズの3回目。今回は長年のライフワークである音楽について書いてみたい。

前回までのあらすじ:
東京での生活を再開するも張り合いのない毎日。そこでずっと会いたかった西丸與一先生を横浜に訪ねた僕は、その人間としての魅力にほのかな希望を灯されるのだった。

1.温故

予備校での講義や自習室での勉強も生活習慣になった夏、やっぱり好きなこともしなくてはと、家ではギターを触ることが多くなった。思えば13歳の時に初めてこの楽器を手にしてから、中学・高校・大学と、下手の横好きながら音楽への情熱はずっと尽きることがなかった。思い付いたら曲を作り、録音し、ステージで発表することはこの上ない至福なのだ。学生でも社会人でもなくなり、未来が不確定なこの状況でさえ、やっぱり好きな気持ちは変わらなかった。

しかしまた音楽をやろうにもいくつかの問題があった。まずはバンドメンバーがいない。まあこれはフォークギター弾き語りという基本スタイルに立ち戻ればクリアできる。一番の問題は発表の場がないということだ。今のようにYOUTUBEなどで自分の楽曲を手軽に配信できる時代でもなかった。
そこで僕はインターネットで出演者を募集しているイベントを検索してみた。すると、都内で開催され、なおかつ格安で演奏できる『ドリームライブ』という野外ライブ企画を発見した。
とはいえ申し込むには不安も大きい。アウトローに憧れながらも自分が世間知らずの苦労知らずの小心者であることは自覚していた。でもせっかくこんな状況になったんだから同級生が経験していないことをやってやれ…そんな負けず嫌いと怖いもの見たさで僕はメールを送ってみたのである。

2.集結

そして当日、ギターを背負って指定された場所へ。錦糸町駅前、歩行者が行き交う広場にそのステージはあった。近付いてみると何やら楽器を抱えた人たちがたむろしている。少し離れて様子を伺っていると、「みなさん揃ってますか」と一人の男性が点呼を取り始めたので、慌てて僕も輪に加わる。
彼は「オフィスドリームのフセマサオです」と名乗った。このイベントを取り仕切っている音楽プロデューサーらしい。集まった出演者の中には、もう常連で毎月ステージに上がっている人もいれば、僕と同じく今回が初参加という人もいた。

お互いの簡単な自己紹介が終わると、次はみんなでセッティングを開始する。スピーカーを置いたり、ケーブルを繋いだり、マイクを立てたり、さっき出会ったばかりの人といきなり共同作業。でもそれが当たり前のように行なわれ、みんなも、そして僕自身も自然にそれを受け入れているのがなんだか不思議だった。
セッティングが終わると今度はリハーサル。いわゆる逆リハというやつで、トリの出演者から始まり、ライブとは逆さまの順番でステージに上がって音の調整をやっていく。20組くらいの出演者が一人数分ずつリハをするのだが、PAを担当するフセさんとやりとりして、「それでは本番よろしくお願いしまーす」で終わるのが定番。僕はとにかくあれよあれよという感じで、右も左もわからずやっていた。

3.知新

そして始まる本番。このイベントにはチケットの販売はない。正式な客席もない。ステージの前は遊歩道、そこを行き交う歩行者がこのライブのお客さんなのだ。
駅前という事情もあって、ドリームライブではドラムスやエレキギターの使用は禁止されている。そのため多くの出演者は僕と同じアコースティックギターの弾き語り、あるいはピアノの弾き語り。他にはカラオケを流しながら歌ったり、ダンスやコーラスワークを披露するグループもいた。

正直、なかなか足を止めてくれる歩行者は少ない。立ち止まってもちょっと耳を傾けてそのまま通り過ぎていく人がほとんど。それでも出演者の中には芸能事務所に所属していたり、ここ以外でもライブ活動をしていたりで、固定ファンを獲得している人もいた。
ちなみに僕はといえば…一応学生時代の自信作を披露してみたのだが惨憺たる有様。やっぱり内輪受けと一般受けには大きな落差があると痛感。それでも久しぶりにステージで歌えたことがまずは嬉しく、高校で初めて文化祭のステージに立った時のような新鮮な緊張感も味わうことができた。フセさんも「福場くんはビブラート歌手だね。野口五郎の私鉄沿線をやったら?」なんて言ってくれた。

自分の出演後は遊歩道を歩いたり、ベンチに座ったりしながらみんなのステージを観賞する。「こうやってイベントに出ながら全国を回っています」と座ってギターをつま弾く細身の青年、「みなさんに会えて最高です!」とボサボサ頭でギターをかき鳴らすおじさん、ほとんどMCをせずにただしっとりとバラードを歌い上げる陰気な女性シンガー、「みなさん手拍子お願いしまーす!」とちょっと際どい衣装で飛び跳ねながら観客をあおる若い女の子…本当に色々な出演者がいてとても勉強になった。ちなみに一番反響が大きいのはやっぱり若い女の子、どんな時もアイドルは強いということだ。

全員の演奏が終わると、出演者一同でステージに上がってカーテンコール。その後はまたみんなで撤収作業。ステージスタッフも兼ねているところがまさしくアマチュアミュージシャンであるが、これはこれで楽しい。それも終わるとお互いにお疲れ様を言い、フセさんにもお礼を伝えて僕は帰路に着いたのである。

4.言語

それからは時々ドリームライブに参加するのも僕の生活習慣になった。フセさんも「福場くん、またビブラートよろしく」と言って迎えてくれ、顔なじみの出演者とも談笑できるようになった。ステージも錦糸町だけでなく、その近くのショッピングモールの屋上、水槽で魚が泳いでいるナイトバー、芦花公園のお祭りなど、色々な場所で演奏させてもらった。時にはみんなでティッシュとチラシを配ったり、お客さんを呼び込むために即興でセッションをしたり、桜になって客席で踊ったりと、色々な経験をさせてもらった。
音楽というのは本当に未知数で、もちろん楽曲そのものが持っているパワーもあるが、演奏した時の空気感と不思議な化学反応を起こす。ある女性シンガーさんが毎回歌ってらっしゃったオリジナル曲、ある日のライブでは夕暮れの出演順になり、少し冷たい風も吹く黄昏の中での熱唱が妙に情景とマッチしてすごく心に響いたのを憶えている。

朝集まって夕方に解散するドリームライブの仲間たち。どこから来てどこへ帰るのか、普段どのように過ごしているのか、お互いによく知らない。本気でミュージシャンを目指している人もいれば、思い出作りで出演する人、僕の様な流浪の民もいる。世代も立場も生き方もみんなバラバラ。それでも音楽が好きという一点は同じ。この唯一の共通項によって、一緒に準備し、一緒に演奏し、一緒に笑い合うことができる。
そうこれは言語だ。音楽という共通の言語で人は繋がれるのである。それを実感した。

そしてもう一つ感じたのは、自分はまだまだだということ。世界は僕が思っていたよりずっとずっと広い。そして音楽も生き方も果てしなく自由なのだ。医学部の中にいる時はなんだか人生は一本道でそこからはずれたら生きられないように錯覚していたけど、ちっともそんなことはない。ほんのちょっとの勇気があれば、新しい世界はそこに待っていてくれるのだ。

かくしてドリームライブに飛び込んだおかげで少しだけ度胸がついた僕は、調子に乗って色々なことに挑戦し始めるわけだが…実は思いも寄らない事件が足元まで迫っているのであった。

5.研究結果

勇気と刺激をありがとう、ドリームライブ。いつかあの時の出演者の誰かがドドーンとテレビに登場するのを楽しみにしております!

令和3年7月3日  福場将太