目が悪い人間にとって苦手とすることの一つに探し物がある。世の中には目当ての物や失くした物をすぐに見つける名人がいるが、目を使わずに発見できる人は稀だろう。
例えば机の上にある一枚のコイン。これを探す際にも目が見えていれば文字どおり一目瞭然、ピンポイントでつかみ取れる。しかし目が見えないと手で机の上を端から端まで探し回らなければならない。その手が当たってコインが床に落ち、なおかつコロコロ転がって行ってしまったりするとかなり絶望的だ。耳をそばだててコインの消息を予測するもなかなか想定した場所にはなく、今度は床の上を端から端まで手を使って探し回らなければならない。コインを見つけた頃にはすっかり手のひらがホコリだらけになっていたりするのである。
今回はそんな視覚障害者の探し物について研究してみよう。
1.事件発生
ある朝、家から財布が消えていた。いつも置く場所にないのだ。周辺を探し回るが見つからない。出金時刻が迫ってくる。ひとまずお金を使う用事もなかったのでその日は財布を持たずに出掛けた。帰ったらゆっくり探そう、家の中で自分が財布を置く場所は数カ所しかない、そこを順に探せばすぐに見つかるだろう…そんなふうに思っていた。
しかし帰宅してシャワーを浴びたら財布探しの予定はすっぽり頭から抜け落ちてしまい、夕食を摂った僕は7月に更新予定の小説の執筆に入ってしまった。思いがけず筆が進んで楽しかったのだが気付けば午前1時が近い。そろそろ寝ようかと腰を上げたところで財布のことを思い出した。さっさと見つけようとさっそく深夜の捜索に乗り出す。
まず朝探して見つからなかったいつもの場所をもう一度念入りに探す。やっぱりここにはなさそうだ。となると第二候補はあの棚の上、そこを探すが…手には何も触れない。少し不安が込み上げてくる。棚から落ちたのかもしれない、と立てかけてあった折り畳み机をどかして床を探る。しかし…そこにもない。
では第三候補のソファの上か?探してみるがここにもない。第四候補の冷蔵庫の上、第五候補の食卓の上や仕事机の上まで探したが見つからない。
いよいよ焦ってきた。思い当たる場所は全て探したのに出てこない。これまでこんなことは一度もなかった。まさか外で落としたのか?いやいや、帰宅した時にポケットに財布がなければ必ず気が付いたはず。財布は絶対この家のどこかにある。
では部屋をぐるりと見回して…ということができないのが悲しき視覚障害者。時刻は深夜1時半を回っていた。
2.推理の展開
こんな時に役立つのが何だかおわかりだろうか。それは論理的思考、つまり推理によって理詰めで場所を絞るということだ。
実は東京で暮らしていた頃、新宿御苑の中で家の鍵を落としたことがある。出口付近でそのことに気付き、僕は愕然とした。行ったことのある人ならおわかりだろうが新宿御苑は地平線が見えそうなほど広い。しかも遊歩道だけでなく、僕は芝生の上から林の中まで気ままに一時間以上も散歩していたのだ。そこから小さな鍵一つを見つけるのは到底不可能に思えた。
しかしここで論理的思考。鍵が自然にポケットから落ちるはずはない。となるとポケットから何かを取り出した時に落ちた可能性が高い。思い当たるのは散歩中にメールの着信が鳴って携帯電話を取り出したこと。その着信時刻と記憶を頼りにその場所に向かうと、まさにそこには鍵が落ちていたのである。
まああの時はまだ目が見えていたが、今回は新宿御苑に比べれば限りなく狭い敷地、きっと推理だけで場所を特定できるはず。僕は考えることにした。
推理①
普段と違う場所に財布を置く可能性は低い。なのにその場所にない。ということは置いた後で財布が移動したのではないか?勝手に動くはずはないから何か外部からの力を受けたに違いない。
となると可能性は二つ、冷蔵庫の上に置いていたのが冷蔵庫を開けた時に落ちて中に入ってしまった。あるいはソファの上に置いていたのが僕が座った拍子に落ちてクッションの間に挟まってしまった。
→僕はさっそくこの二か所を探す…しかしどちらも空振りだった。
推理②
床のどこかに落ちている。しかしそれならこれだけ歩き回っているのだから足に当たるはず。それが当たらないということは、僕の足が通らない場所にある。それは食卓の下、仕事机の下、廊下や階段の端、あるいはトイレの便器の脇。
→僕はそれらも確認したが…財布の影も形もなかった。
時刻は深夜2時を過ぎた。たまらなく眠たい。しかしここで寝るわけにはいかない。もし本当に家の中のどこにもなければ、外で落とした可能性、あるいは泥棒が入った可能性を考えて警察に相談しなければならない。
僕は第一候補からもう一度おさらいする。それでも見つからないので、後はもう闇雲に探すしかなかった。取り込んだ洗濯物の中、ベッドの中、本棚と本棚の隙間、収納の中、フォークギターの穴の中、ゴミ箱の中、テレビの上、流し台の食器の山の中、鞄の中も机の中も探したけれど見つからない。間もなく3時、僕は捜索を断念して夢の中へ行くしかなかった。
3.謎は全て解けた
翌朝はアラームで少し早く起きて捜索を再開。しかし同じ場所を何度探してもないものはない。初心に還ろう…そう思ったところで僕はひらめいた。
推理③
人間は週刊の生き物。やはり財布は第一候補か第二候補のどちらかに置いたはずだ。それ以外の場所に置くことはまずない。財布は必ずその周辺に落ちている。それなのにどうして見つからないのか?それは落ちた後でさらに移動したからだ。では誰が移動させたのか?我が家にペットはいない。独り暮らしで同居人もいない。となれば犯人は僕自身しかいない。僕自身が探している最中に財布を気付かずに動かしていたとしたら?
★読者への挑戦状
全てのヒントは出そろった。はたして財布はどこにあるのか?直感ではなく論理によってぜひともそれを推定していただきたい。
4.事件解決
僕が床を探るためにくり返し動かしていた物。それは…第二候補の棚に立てかけてあった折り畳み机だ。あれしかない。机をどかした床は何度も調べたが、机そのものはノーマークだった!
→僕はその机の折り畳まれた脚を恐る恐る触ってみる。そこには…財布が挟まっていた。出金時刻直前の解決であった。その日の勤務が眠気との闘いだったのは言うまでもない。
5.研究結果
見えれば一分で見つかる物が、見えないと一晩かけても見つからない。
でもおかげで棚の上や床の上が綺麗に磨かれ、洗濯ものは畳まれ、皿洗いもすっかり終わっている。それが捜索の副産物。これはこれでいいんでないかい?
令和3年6月3日 福場将太