流浪の研究第二楽章 西丸與一先生を訪ねて

生きる場所を求めて放浪していた時代を振り返るシリーズの2回目。今回はあの偉大な方との出会いについて書いてみたい。

前回までのあらすじ:
医師国家試験に落ちて学生デモ社会人でもなくなった。ひとまず故郷の広島へ帰省しそこでたまたま参加したアカシア100周年記念式典に元気をもらい、僕は再び東京での生活を開始するのであった。

1.贖罪

僕がまず始めたことは二つ。一つは家計簿をつけること、もう一つは予備校に通うこと。正直一年後にまた国家試験を受験しようという決意はまるでなかった。だからといってただ生活費だけを送ってもらいながら東京で暮らすというのはさすがに親に対して申し訳ない。自分探しの旅といえばかっこいいが、その旅費が親のお金というのはかっこ悪い。そのため、僕は家計簿をつけて節約を心掛け、予備校に通って講義の時間だけは勉強に集中することにしたのだ。良く言えばせめてもの償い、悪く言えばアリバイ工作である。

2.奇縁

季節が初夏へと傾いた頃、頭に一つのひらめきが生まれた。そうだ、時間がある今ならあの人に会いに行けるんじゃないか。僕はさっそく広島にいる友人…前回も登場した元図書委員長の男…に連絡を取った。
前々から会いたいと思っていた人物、それは西丸與一先生である。高名な法医学者であり、作家としても活動、著書の『法医学教室の午後』シリーズは『法医学教室の事件ファイル』として長年テレビドラマ化も続いており、しかも時々ご本人もタクシー運転手や屋台の親父役で出演されているお茶目ぶり。近年は船医として海外を渡航しておられると聞いていた。実はこの先生、僕の親戚筋に当たる人なのだ。親族で集まる際にもいらっしゃっていたのだが、たまたま僕が行けなかったり、行った時には先生は帰っていたりとずっとすれ違いが続いていた。身内では一番の有名人ということもあって、一度は会いたいとかねてから思っていたがずっと実現されずにいた。
ではどうして友人に電話したのかというと、この友人にとっても先生は親戚筋に当たり僕よりも血縁は濃い。つまるところ友人と僕も遠い親戚ということになるわけだ。そもそも西丸といえば広島の生理学会では知られた名らしく、血縁は置いておいても西丸家に福場家は代々学術の方面でもお世話になっていたらしい。僕が生まれる前の話で虚言癖のある親父の言うことなので眉唾かもしれないが、少なくとも祖父母の口からよく先生の話や西丸のお名前は聞いていた。世が世なら僕も友人に臣下として仕えなくてはならなかったのかもしれないが、偶然にもアカシアの同級生というポジションだったわけである。

そんな事情で僕は友人に先生の所在や動向を確認。海の彼方にいらっしゃるのならあきらめるしかなかったが、幸い帰国中とのことだった。その後は祖母にもとりなしてもらい、僕は西丸與一先生を訪ねて横浜へ赴くこととなった。

3.邂逅

もう遠い記憶なので道中のことはあまり憶えていない。ただ電車の窓から見た海が陽光を浴びてキラキラ輝いていたのは記憶にある。
先生は僕が着いた駅まで車で迎えに来てくださった。当時で八十歳近かったはずだが、先生は明るく気さくで、携帯電話もホイホイ使いこなし、道もひょいひょい歩いて車もスイスイ運転していらっしゃったのがとても印象的だった。友人が先生を「與一おじさん」と呼ぶのも納得。どう見ても、どう考えても、おじいさんではなかった。

一緒に道を歩いていると色んな人が先生に声を掛けてきたのも憶えている。医療関係以外でも、確か手品師とか歌手とか、とても幅広い交友関係だった。友人は先生を「人生を楽しむのがうまい人」とも称していたがそれもまた納得。隣で会話を聞きながら、先生には人生の楽しみがいっぱいあるんだろうなと思った。

4.魅力

その後は横浜中華街を案内していただき、先生の馴染のお店で夕食をご馳走になった。いくら遠い親戚とはいえ僕は初対面、なのにあんなにリラックスして楽しい会話ができたことは今から思えば全て先生の包容力、そして人間力のおかげだった。先生はこんな若輩者の言葉にも耳を傾けてくださり、友人と僕が中学時代からの腐れ縁であることを離すとたくさん笑ってくださった。

自分の視覚障害について相談したかどうかは憶えていない。おそらくそのことには触れなかったと思うが、それは気が引けたからではなくその必要がなくなったからだ。先生とお話しているうちに十分に求めていた答えの一つは見つかっていた。
…医師免許は自分を縛るものではない。僕が医療業界に対してモヤモヤしていたことの一つに、免許至上主義ということがあった。医学部における免許が取れればオールオッケーという風潮、人間性よりも免許の有無で扱いが大きく変わる病院という世界、存在価値は本人ではなく免許にある…そんなふうに思っていた。確かにそれは一つの現実として今なお君臨している。
でも西丸與一先生の魅力は免許から放たれているわけではなかった。それは先生自身の人間の魅力、生き方の魅力。この人はちゃんと医師免許を超えた人だ、こういう人も実在するんだ…と僕は心の底で感じていた。

生き方は自由なのだ。仮にもう一度国家試験を受けて医師免許が取れたとしても、それで何かが不自由になるわけじゃない。免許が足かせになるかアイテムになるか、結局は自分次第なのだ。
思い切って会いに行って本当によかった…僕は帰りの車中で心からその喜びをかみしめていた。

5.着火

それからは前よりもちゃんと集中して予備校の講義を聞くようになった。自習室も利用して、家でも勉強の時間を作るようになった。全てのモヤモヤが取り払われたわけではなかったが、それでも未来に小さな火が灯ったのは間違いない。
そして…勉強以外のこともしていいんだと自分に許せるようにもなった。先生の魅力には医者であるということ以外の要素がいくつも含まれていた。執筆もそう、ドラマ出演もそう、異国での経験もそう、きっとそれ以外のこともたくさんたくさんある。人生に医療以外の要素を増やすことだって今大切なんじゃないかと僕は気付けたのだ。

かくして先生との出会いで罪悪感が薄まった僕は、学生時代の相棒・フォークギターに久しぶりに手を伸ばすのである。

6.研究結果

西丸與一先生、身勝手な来訪をあたたかく歓迎してくださったこと、一生忘れません。僕はまだまだ医師免許にすがりついて生きていますが、いつか少しでも先生のような魅力を放てる人間になりたいと思います。本当にありがとうございました。

令和3年6月5日  福場将太