先月の末から今月の上旬にかけて、僕の暮らす北海道の街は思わぬ災厄に見舞われた。今回は真冬の北国で経験した非日常について研究したい。
1.予兆
●2月24日(水)
その日の朝は、昨夜から降り続いた雪が交通機関に大きな影響を及ぼしていた。僕はいくつかの勤務地で仕事をしているがこの日は遠方の病院への出勤、もしやと思いつつタクシーに乗り込む。高速道路が止まっていると聞いた時点で悪い予感はしていたが、予想どおりの大渋滞。夏場なら四十分で行けるところを三時間かかって到着した。
幸い…というのも変だが、外来の患者さんも雪の影響でキャンセルだったり遅れて来たりでなんとか帳尻が合う。午前業務を午後の空き時間にスライドしてひとまず定時で勤務終了。さすがにもう大丈夫だろうとタクシーを呼んだが…これが甘かった。
帰りは朝以上の大渋滞、帰宅した頃にはもうテレビで『相棒』が始まっていた。さっさと風呂と夕食を済ませ、なんだかどっと疲れたので早々にベッドに入る。
実はこの時点ですでに異変は始まっていたのだが…僕は知る由もなかった。
2.第一の衝撃
●2月25日(木) 午前
その日の朝は、なんだかトイレの流れる音がいつもより小さい気がした。そして手を洗おうと洗面台に立ち蛇口をひねった瞬間、僕は驚愕する。水が出ないのだ。慌てて台所や浴室の蛇口もひねってみるが全く同じ、プシュッとわずかに空気が漏れて数滴の雫が落ちるだけ。
まず最初に蘇ったのは三年前の北海道地震の記憶。あの時は朝起きるとテレビが点かず冷蔵庫の唸り声も止んでいた。まさかまた寝ている間に震災か?
急いで確認すると停電はしていない。テレビでもそんな報道はしていない。となると次に思い浮かぶ可能性は水道管の凍結。雪国では夜間に急激に冷え込むと水道管の中の水が凍ってしまうことがある。昨夜はそんなに気温が下がったのだろうか?まあそれならそのうち解けるだろう、洗面は職場ですればいい…そんなことを考えながら僕は歯ブラシをポケットに突っこんで出勤した。本日の勤務地は近所なので昨日のような大渋滞もない…とのん気なことを考えていた。
しかしスタッフから報告を受け想定外の事態が発生していることを知る。実は水が出なかったのは凍結ではなく、街へ水を供給する配管が破損したことによる大規模断水だったのだ。街を離れていた僕は何も知らなかったが、昨日の時点ですでに町内会単位で連絡が回り、夜を徹しての修復作業が始まっていたらしい。そして早朝から完全な断水。復旧の見通しは立っていないという。
当然職場も水は出ない。停電での診療は経験があったが今回は断水。コロナ対策の消毒アルコールは十分あるのでそれで手は洗える。心の医療なので水を使用する場面は基本的にはない。あとはスタッフにも患者さんにもなるべくトイレを控えてもらい、どうしても使用する場合のみ備蓄の水で対応した。
昼休みに一度帰宅。当然ながらまだ水は出ない。幸い昨夜お茶を沸かしていたので数日の飲料水は何とかなる。惜しむらくは皿洗いをしていなかったこと、米を研いで炊飯器にセットするのをサボッていたこと。
とにかくトイレの水を確保せねばと考え、思い付くのは空からの恵み。洗面器を持って家の周辺の雪をかき集めて来る。それを大きめの鍋に詰めて点火したストーブの上に置く。東京で物理学者をやっている友人が効率的な解かし方も教えてくれた。雪はまだまだたくさんあるのでこれでいけそうだ。
しかし料理や洗面の水はどうしよう。宮沢賢治の詩で病床の妹に雪を食べさせる場面が浮かぶが、さすがに今は時代が違う。山頂の新雪ならともかく市街地の降雪には汚れが多く含まれているだろう。北海道なのでエキノコックスの危険もある。
やはり別に確保せねば…と考えていたらインターホンが鳴った。ドアを開くと大家のおばさん。2リットルのミネラルウォーターと数回分のトイレ用の水を持ってきてくれた。ここに住んで十五年ほどになるが、本当に優しい大家さんに巡り会えたと思う。
●2月25日(木) 午後
買い置きのパンで昼食を済ませると職場に戻って午後の診療。夕方頃には復旧するのでは…と淡い期待も抱いていたがそれは叶わず。しかしオフのはずのスタッフが、自分の家は断水地域ではなかったからとタンクに水を詰めて持ってきてくれた。その心遣いが本当に有難い。
業務終了後、本来は残ってギターを弾いて遊ぶ予定の日だったがもちろん中止。友人の車に乗せてもらい市役所へ向かう。駆け付けた給水車の前に街の人たちが列を作っていた。外で並ぶのは寒いしコロナの三密予防も気になるが、今はそんなことは言っていられない。10リットルの飲料水の袋をもらい、帰る途中コンビニにも寄ってもらったが、やはり弁当はほとんどない。するとその友人の母親が煮込みうどんを作って差し入れしてくれた。なんだか僕の好きな西日本風の味付けで、懐かしさと有難さで胸がいっぱいになる。さらに大家さんが今度は夫婦で追加の水を持ってきてくれたりもした。
本当に…どうしてこんなにこの街の人たちはあたたかいのだろう。
その後は水を大切に大切に使って過ごす。トイレを一回流すのに5リットル以上も水がいるのには驚いた。コロナ予防で手洗いやうがいもしっかりやりたいが、それも水をなるべく節約して行なう。入浴はあきらめるしかなかった。
夜も更けた頃に東京の物理学者が電話をくれたので、節水の苦労を冗談も交えて話す。そして共に過ごしたアカシア時代の思い出話で談笑。普段にも増して元気をもらえた。
電話を終えて洗面台へ。まだ水は出ない。蛇口をひねるだけで水が飲める…この当たり前がなんと有難いことだったかを思い知る。
漫画『ドラゴンボール』で、ナムという武道家が水を買うお金を稼ぐために天下一武道会に出場した話があった。水不足の地で暮らす彼は、都会では公共の蛇口から無料で水が出ると知ってとても驚いていた。人間は水なしでは生きられない。子供の頃はギャグシーンのように思っていたけれど、きっとナムの感覚こそが正しいのだ。
今は耐えるしかない。今夜も徹夜で復旧作業をしてくれている人たちがいる。少しだけお茶で喉を湿らせてベッドに入る。今夜はBonnie Pinkさんの名曲『Water Me』でも聴いて眠るとしよう。
●2月26日(金)
アラームで目が覚めた。あまり疲れはとれていないが体を起こし洗面台へ。蛇口をひねると水が出た。ほっと胸を撫で下ろす。一日ぶりの水の音と肌触りが愛おしい。静香ちゃんよろしく鼻唄でシャワーを浴びた。
そして出勤。すると再びスタッフから驚愕の報告。一応水は出ているがまだ復旧作業中で、みんながたくさん使用してしまうとすぐに赤水に変わるのだという。はたして今朝僕が浴びていたシャワーは何色だったのか。赤いシャワーだったとすればスプラッター映画である。こんな時、視覚障害に不便を感じてしまう。
トイレを最小限にしながらその日も勤務終了。帰宅後もまだ水は使えないのでペットボトルの水で手を洗いうがいをする。冷凍食品を中心に夕食を済ませる。やはり入浴できないのがつらい。コロナ情勢になってから毎日欠かさずにいた習慣だ。しかしテレビでは栃木の山火事の報道。避難所にいる人たちはもっと不便な生活を強いられているだろう、贅沢は言えない。
●2月27日(土)
まだ使用許可が出ていないので蛇口はひねらず出勤。この日は通常診療を休止したため、職場にいたのは僕と電話番のスタッフ一名のみ。
正午頃、「水を使用して大丈夫です」と車外スピーカーで触れ回る市の広報車が窓の外を通り過ぎた。市役所からの水道使用許可の一報も入る。ようやくですねとスタッフと蛇口をひねると、僕には見えないがそれは赤くない水だった。思わず手を取り合ってマイムマイムを踊りたくなる…が拒否された。ただスタッフの話では赤くはないが白濁しているという。その後の連絡では、空気が多く含まれているから白いだけで異常ではないらしい。
今度こそ胸を撫で下ろして午後を過ごすが、またもや不穏な情報が。一部の家庭で赤水が出ているという。どうやら復旧の際には仕方のないことらしく、徐々に綺麗になっていくだろうとのこと。飲むのはもう少し控えて、もし赤水が出た場合は蛇口を止めてくれとのお達しだったが、僕にはその色がわからない。「人生と言う透明な糸の中に紛れ込んだ殺人という赤い糸を探り出す」とシャーロック・ホームズは言ったが、いやはや、どんな名推理をすれば水の色を識別できるだろう。まさに緋色の研究であった。
●2月28日(日)
この日はしばし別世界へ逃避。前回のコラムで書いたNEXT VISIONのイベントだったのだ。オンラインとはいえギトギトの髪で参加するのは気が引ける、一か八かで朝にシャワーを浴びた。そして迎えたイベントでは参加者やNEXT VISIONの仲間たちと触れ合い、疲れた心と体に元気を給水してもらったのである。
いずれ赤水も落ち着くだろう。こうして断水騒動は静かに幕を下ろしていった。
3.次なる予兆
●3月1日(月)
久しぶりに通常どおりの診療。病院食堂のおいしさを改めて噛みしめる。ただまだ地域によっては赤水が出るらしく、夕方には市の広報車が節水を呼びかけていた。それでもこのままゆるやかに日常へ回帰していけるだろう…と思ったのはまたもや甘かった。
テレビが明日の記録的豪雪を警告、JRもすでに計画運休を発表し始めていたのだ。
新たな脅威がすぐそこまで迫っていたのである。
4.第二の衝撃
●3月2日(火)
予報どおり大量の空からの恵み。しかしその被害は僕の予想を大きく上回っていた。
風が強く駐車場に停めたスタッフの車はみるみる雪に埋まっていく。道を走行中の車さえ雪を浴びて動けなくなる事態が街のあちこちで発生。当然出勤できないスタッフもおり、予約キャンセルの患者さんも多数。さらには湿った雪が電線を圧迫しているので停電になる危険もあるとラジオが報じていた。
コロナに節水に雪害に停電まで重なっては各家庭も一大事。なんとか来院してくれた患者さんの診療のみ行ない、定時より早く退勤とする。車を掘り出して帰るスタッフ、今日は放置して徒歩で帰るスタッフ。僕はなんとか来てくれた馴染のタクシーに乗り込むが途中で雪にはまり込んで走行不能、応援に来た別の車両に乗り換えて命からがら帰宅できた。僕の視覚障害を気遣って送り届けてくれた運転手さんたちには心から感謝を伝えたい。
買い物に行ける状況ではないので今夜も備蓄食料で夕食。カップ麺と冷凍食品はもとより、ラスクやポテチ、食パンや無洗米が思わぬ形で役立ってくれた。ニュースでは雪の影響で公立高校受験の日程をずらすと報じている。
…本当になんという、今回はなんという冬だろう。自分が雪国に暮らしていることをここまで強く実感したことはなかった。
●3月3日(水)
雪国の除雪力はすごい。まだ昨日の名残雪は多かったがそれでも街も人も動きだせる程度にはなっていた。そういえば今日はひな祭り。思えば激動の一週間だった。
●3月4日(木)
通常どおりの勤務を終え、一週間遅れでギターで遊ぶ。思う存分弾いて、思う存分歌って…やはりこれ以上の心の潤いは僕にはない。
季節もやがて春めいていくだろう。こうして大雪騒動も静かに幕を下ろした。
5.予兆なき第三の衝撃
●3月5日(金)
一昨日の大雪によって倒壊した家屋の情報をいくつか聞く。もちろん降雪の最中に建物が潰れることもあるが、怖いのは気温が上がって雪が解け始める時だという。つまりかまくら状になっていれば、地面に足が着いているのでその分建物にかかる重さは分散される。しかし雪が解けて足を失えば全ての重さが建物にかかる。それによって一気に倒壊することがあると馴染のタクシー運転手さんが教えてくれた。瀬戸内育ちの僕にはない知識である。
そしてまったく予想外だった連絡が届く。なんと大雪の影響でガス管が故障し、街の広い範囲でガスが使えなくなったというのだ。当然それはガスストーブなどの暖房設備が使えなくなるということであった。まだ一面真っ白の雪国で、特に病院などの大きな建物ではそれは致命的な事態であった。
●3月6日(土)
最低限の暖房で診療を行なう。午後に予定していた治療プログラムは中止するしかない。悪夢はいつ終わるのだろう…そんなことも思ってしまったが、それがおこがましい悔しさであることをすぐに思い出す。テレビでは首都圏の緊急事態宣言の延長の報道。未だに本来の働き方ができずに苦しんでいる人たちはたくさんいるのだ。
帰宅後に点けたテレビでは『名探偵コナン』がついに放送1000回。第1回からリアルタイムで見ている世代としては感慨深い。感染予防をしながらの番組製作は本当に大変だろう。
そう、みんな闘っているのだ。
●3月8日(月)
無事ガスも復旧し今度こそ日常へ。明日には穏やかにレミオロメンのあの名曲が聴けるだろう。週末の土曜日に依頼されていたオンライン講演会もこれでなんとかなりそうだ。職場から配信する予定であったが、さすがにストーブの使えない寒い部屋で話すのは厳しいと思っていたので。
こうしてガス騒動も静かに幕を下ろし、壮絶な二週間は終わったのである。
6.研究結果
平穏や安定、それは時として退屈でつまらないもののように感じる。しかし、水、電気、ガス、そして当たり前の日常…突如として奪われた時、それがどれだけ有難いものだったかを知る。わずらわしくもある社会とのつながり、それがどれだけ自分を支えてくれていたかを思い知るのだ。
自分のことで余裕がなかったのであまり意識できていなかったが、あの東日本大震災から十年が経過した。被災とは、復興とは、そんなに生易しいものではない。
今回僕が経験したのはほんのわずかの生活支障。それでもこのタイミングで経験できてよかった。この世界がガラス細工のように儚く、美しいことを忘れずにいたい。
令和3年3月11日 福場将太