心の名作#12 南くんの恋人

もう何回も見て何回も泣いたのに、また見てみるとやっぱり涙が出てしまう、そんな心の名作を研究するシリーズの12回目です。

研究作品

3学期、卒業生にとっては最後の学生生活。今回は毎年この季節になると思い出してしまうテレビドラマ『南くんの恋人』の研究です。原作は漫画ですが、その魅力的な設定からこれまでにも様々な脚本で何度も実写化されています。その中でも一番大好きな1994年版について書かせていただきます。南くん、男はね…研究だ!

ストーリー

堀切千代美はもうすぐ卒業を控えた高校三年生、昔から約束を大切にする女の子。幼馴染の南くんにずっと恋心を寄せているが、二人にそんな雰囲気はなく、むしろ南くんはクラスメイトのリサコから甘いちょっかいを出されている。彼の18歳の誕生日を一緒に過ごす、という約束さえ前日になっても完全に忘れ去られている始末。さらに、死んだ母親だけを一生愛すると約束していたはずの父親まで再婚すると言い出した。
そんな夜、千代美にとんでもないことが起きる。車に轢かれそうになって目を覚ますと、身体が10分の1のサイズになっていたのだ。命からがら南くんに助けを求め、なりゆきで始まる秘密の同棲生活。はたして二人の恋の行方は?

福場的研究

感動は理屈ではありません。「○○だから感動」ではなくて、まず理屈抜きの感動がそこにあって、一体どこに心が反応しているのか、理由は後から探していく。何度見ても泣いてしまう本作も、正直嬉し涙なのか悲し涙なのか、自分でもよくわかっていません。だから今回の研究は、感動の理由を探る、あくまで仮説といったところです。

1.ファンタジーからリアリティへ

物語の序盤は、女の子がリカちゃん人形のサイズになってしまったという可愛らしいファンタジー、そしてその女の子をかくまって暮らす高校生男子が周囲から見たらいかに奇妙で滑稽化を描いたコメディになっています。この楽しい空気はもちろん作品終盤まで続きますが、本作では二人の前に立ちはだかる現実の壁はしっかりとリアリティを持って描かれていきます。

話が進むにつれ、徐々にファンタジーよりリアリティの色が濃くなっていき、物語の中盤からは楽しさよりも苦しさや厳しさの方が増えてきます。軽い気持ちで始めた同棲生活は、次第に離れ難いものとなり、友人やお互いの家族さえ騙し裏切りながら、それでも一緒にいようとする二人。視聴者にとってそれは微笑ましく応援したい姿であると同時に、とてもせつなく痛々しい姿でもあります。
まずはこの、甘いコーヒーが徐々に苦みを増していくような、ファンタジーとリアリティの濃度の絶妙な調整が本作の魅力です。

2.愛に溢れた人たち

千代美と南くんの物語がけして罪深いものにならないのは、二人を囲む人たちの誰もが愛に溢れているからでしょう。
突然いなくなった娘を心配し、時々かかってくる電話に一喜一憂しながら、それでも我が子を信じる千代美の父。様子がおかしいことに気付きながらも、信頼して見守ってくれる南くんの家族。千代美に片想いし南くんを疑いながらも、友情を見せるクラスメイトの竹原。南くんを巡って牽制し合いながらも、千代美にだけ本心を語るリサコ。お前らいい加減にしろと言いつつも、生徒たちを笑顔で包む担任の先生。挨拶もなく消えた千代美を、変わらぬ友情で理解してくれる親友。
本作のメインキャラクターの数には一切の過不足がなく、全員に優しい役割が与えられています。しかもキャスティングもバッチリ、今や超大物の俳優さんやタレントさんが、とっても素敵な名演を見せてくれています。

ちなみにメインではないサブキャラクターや、一回しか登場しないゲストキャラクターまで、本当に優しい人ばかり。まったく、どいつもこいつもいい奴過ぎるぜ!
千代美と南くんは本当に恵まれています。みんなが許してくれる、譲ってくれる、信じてくれるから二人の物語は成立する。やっぱり幸福を生み出すのは優しさなんだなあと思わされずにはいられません。人間のあたたかさを描いているのも、本作の魅力でしょう。
なんだか昨今の社会情勢を見ていると、他者を思いやる人たち、というのが最大のファンタジーのようにも感じてしまいます。家族はもちろん、よそ様の親や子供のことまでお互いに思いやっていた時代…取り戻したいですね。

3.ハンディキャップの心理

僕が本作を初見したのはリアルタイムで放映された中学生の頃。その頃の感動は、単純に主人公の二人に対する嬉しさや悲しさの気持ちだったと思います。でも、自分自身が視力を失って、また障害を持つ人たちを支援する仕事に就いた今は、別の感慨も湧いてきています。
本作における「身体が10分の1のサイズになる」という要素、これは現実の世界における「身体の障害を抱える」ということに置き換えて考えられるのではないでしょうか。
小さくなった千代美は、自分一人では食事の準備もできない。行きたい場所に行くこともできない。南くんの助けなしには生きていけません。言うなればかなり重度の障害です。
最初は好意と甘えで助けを求めてしまった千代美も、次第に自分が彼の負担になっていることに悩むようになります。そして迷惑をかけまいと自分から姿を消したりもしてみますが、当然それにより南くんは寝る間も惜しんで千代美を捜索することとなり、余計に迷惑をかける結果に至ります。「好きな人には迷惑をかけてもいいんじゃないか」という恩人の言葉もあり千代美は彼の所へ戻るわけですが、当初は小さくなれたおかげで南くんと一緒にいられる、と少々浮かれていた彼女も、心から元の姿に戻りたいと強く願うようになるのです。
これは僕も含め、障害を負った多くの人がたどる心理のプロセスだと思います。深く考えずに助けてもらう、それが悪いことだと気付いて助けを拒絶、相手のためには自分はいない方がいいと思って距離を置く、でも結局助けてもらわないと生活できない、だから障害を克服したいと強く願う。

小さくなったことで、千代美は大好きな人と一緒に暮らせるという幸福を得ました。同時に、それ以外の世界は閉ざされてしまいました。でも南くんは違う。彼には別の世界もある。彼が友人や家族と笑い合っている時、千代美は遠くからそれを聞いていることしかできないのです。どうしようもない『差』という現実がそこにはある。
落第しそうになった南くんの勉強を手伝って彼が試験に受かった時、千代美はとても嬉しそうでした。僕も心からわかります。たくさんの助けを借りて生きている人間ほど、相手の役に立ちたいという欲求が強いのです。
障害を持つ人間はどうあるべきか…、なんだかそんなことも学ばせてくれるドラマです。

4.ハンディキャップの魅力

千代美の恋のライバルとして登場する野村リサコについて。昔は彼女のことを二人の間を邪魔する意地悪な女の子としか思えませんでしたが、今は千代美に匹敵する魅力を持ったもう一人のヒロインとして認識できます。
彼女は家庭崩壊という千代美とはまた違う生き難さを抱え、そして南くんの優しさに惹かれやがて本気で恋をします。千代美の秘密に気付いても周囲には言わず、南くんの前で直接対決に出るのです。
リサコは問う…「ずっとこのまま南くんが面倒を見て暮らすのか」、「こそこそ隠れるようにして生きていくのか」、「南くんにやりたいことも我慢させてそれでも平気なのか」と。初見の時はなんて嫌なことを言う性格の悪い奴だと思いましたが、彼女の言葉は現実です。不遇な家庭に育った彼女だからこそ、生きていくことの大変さを千代美や南くんよりも知っている。そして何より、彼女自身南くんを大切に思うからこその訴え。
リサコの言葉で痛烈なのは「生まれて初めて本気で男の人を好きになったの。だから小さくなるなんて反則使われて負けたくないのよ!」。千代美が望んで小さい姿でいるわけではないことも彼女はわかっている。それでもずるいと咎めずにはいられない。

そう、不謹慎なのも承知であえて書きますが、障害というものには健常な者がけして手に入れられない魅力が内在しているのです。そして人間はおそらくは無意識なレベルも含めて、その魅力に惹かれる生き物なのだと思います。
例えば『ドクター・スランプ』の則巻アラレはいつも明るく元気な女の子ですが、本当はロボットであることをみんなに隠して生きています。『名探偵コナン』の江戸川コナンも、恵まれた能力をいくつも持つ一方で、本来の姿を失い同級生と同じ青春を送れずにいます。それらの悲劇性は前面に押し出されてはいませんが、キャラクターの人気の高さに確実に影響していると僕は思います。本作における南くんのポケットに入ってしまう小さな千代美の姿も、たまらなく可愛らしく、そしてさり気なく悲しい。ほのかな悲劇性とでもいうのでしょうか。
もちろんリサコだって千代美が可哀想だと思っている。それでも自分の恋心に向き合った時、南くんに守られている彼女が悔しくてたまらない。結果として南くんはこの時点ですでに千代美との間に絆が生まれており、そちらを選んだ。でももし少しタイミングが違っていたら、彼がリサコを選ぶ結末も十分に有り得たように思います。

ただ最初はハンディキャップを利用していたかもしれないけど、最終的には千代美がちゃんと一人の女性としてリサコに勝利した、と描かれているのも本作の見事なところ。千代美とリサコはそれぞれの強さと弱さを持ったライバルとして成立し、南くんを巡る恋愛模様は好き合う二人とお邪魔虫ではなく、れっきとした三角関係だったのです。

5.ハンディキャップの克服

さて、本作を象徴する名場面として挙げられるのは、千代美と南くんが二人でカラオケをするシーン。歌うという行為においては千代美には何の障害もない。南くんと対等に、思いのままに伸び伸びと楽しめるのです。障害の有無に関わらず誰もが同じように楽しめる舞台をどれだけ作れるか、これは医療や福祉の支援者の永遠のテーマですね。
障害とはその人が持つ物ではなく、環境の側にある物。本人が能力アップの訓練に励むことももちろん大切ですが、同じくらい社会環境作りが大切。

本作ではカラオケマイクや電話、ビデオカメラなどの機器が、千代美が障害を乗り越える上で役立っています。小さくなるというファンタジーを、魔法の力などではなくリアルな文明の利器で解決しているところも、僕がこの作品に肌が合う部分です。
この研究コラムを書けるのも、パソコンと音声ソフトのおかげ。開発してくれた人にはどれだけ感謝しても足りません。

6.選ばれた結末

カラオケボックスの場面、二人の顔のアップではそこには幸福しかありません。しかし少し離れて見てみると、二人には身体の大きさの違いという現実があります。大胆だけどどこか後ろ向きで、純粋だけど刹那的で祈るような幸福。本作最大のクライマックス、千代美が卒業式で語った言葉はどうしてこんなに胸を打つのでしょうか。
今は楽しくても、千代美がずっと元の姿に戻れないとしたら、二人の未来は過酷です。普通の恋人、普通の夫婦と同じ生活はできません。愛さえあればどんな苦難があっても幸福…それはファンタジーなのでしょうか、リアリティなのでしょうか。

物語には二つの結末が用意されています。ドラマシリーズの最終回としての結末と、その後に追加で製作された『もうひとつの完結編』。それぞれの結末において、千代美と南くんの出した答えは全くの正反対となっています。
障害を持つ者、共に生きる者、二人のハッピーエンドはどうあるべきなのか。これからも世界で一番素敵なこの二人の姿、そしてその周囲にいてくれる世界で一番素敵な人たちの姿を見ながら、考え続けたいと思います。

好きな場面

様々な状況証拠から、千代美は小さくなって南くんの部屋にいるという結論に至ったリサコは、ついにそれを確かめにやって来る。一見南くんしかいない部屋に向かって彼女は叫ぶ…「いるんでしょ、堀切千代美さん!出てきなさいよ卑怯者!」。そのまま身を隠し誤魔化すこともできた。南くんもそうしようとした。しかし千代美はついに自らその姿を現す。そして堂々と言い放つのだ…「南くんを好きな気持ちは誰にも負けない」と。

→物語が佳境に突入するきっかけとなるシーン。何もできない自分に悩んでいた千代美が、ここだけは譲れないと立ち上がり、誰にも見せたくない姿をさらけ出したその勇気が本当に大好きです。勇敢なBGMも相まってまさに威風堂々。自分はこんな現状だけど、でも気持ちだけは負けない。本当に気持ちだけなんだけど、それこそが未来を切り開く最大の武器になる。
この時点では勢い任せの行動だったのかもしれないけど、ここから確実に千代美の成長が始まります。そして登場人物の中で一番子供っぽかった彼女が、最終的に誰よりも大きな心にたどり着くのです。

現実の世界でも、障害を抱えると人は恋や幸福の追求に臆病になってしまいがち。偉そうに書いている僕もまさしくそうで、同窓会一つなかなか顔を出せないでいます。我儘でいいから恋をしよう、無謀でいいから夢を見よう…なんて、歌詞では書けても全く実行できていません。
障害だけじゃない、様々な生き難さを抱えているみなさん、堂々とリサコの前に現れた千代美の勇気を、ぜひみんなで灯しましょう。毎回このシーンが来ると、テレビに向かってスタンディングオベーションをしてしまう僕です。

福場への影響

本作の主題歌『友達でいいから』、もちろん僕の弾き語りレパートリーの一つですが、その歌詞に「真夜中の2時でも駆けていくからね」という箇所があります。実はずっと「真夜中の虹でも」と勘違いをしていました。今でもこの曲を聴くと、どうしても夜空に架かる七色の虹、好きな人のためにその上を駆けていく千代美の姿が浮かんでしまいます。もしかしたらマリオカートのレインボーロードのイメージが重なっているのでしょうか。
昨年末、たまたまつけたテレビでなんと高橋由美子さんが久しぶりにこの曲を歌ってくれていました。そしてやっぱり、僕の網膜は夜空の虹を映すのでした。録画できなかったのが残念!

好きなセリフ

「贅沢すぎるよ」
堀切千代美

令和3年2月2日