人生はボイスレコーダー

僕の生活を支えてくれている三種の神器。音声パソコン、音声携帯電話、そしてもう一つがボイスレコーダーである。特にボイスレコーダーは目が悪くなるずっと前から一緒に暮らしてきた。今回はこの愛しい相棒について研究しよう。

1.最初は音楽に

初めてボイスレコーダーを持ったのは中学生の頃。当時は今のようにデジタル録音ではなくカセットテープに録音するテープレコーダー、いわゆるテレコというものであった。ポケットサイズとはいえそれなりに大きさも重さもある代物で、常時携帯するのではなく自室に置いていた。
では何のために持っていたかというと、自分で作った曲を録音するため。中学に入って嘉門達夫氏の影響でギター少年となった僕は、3年生頃から曲作りの真似事を開始。楽譜を書けない僕にとって、テレコは思い付いたメロディを記録してくれる有難い存在だった。

初号機はモノラル録音のテレコであったが、高校に入ってからはちょいと奮発してステレオ録音の物を購入。これは曲作りだけでなくバンドの練習を録音したり、友人との会話を録音したりと大活躍してくれた。

2.そして勉強に

大学に入って世間はMDの時代に変わったが、僕は相変わらずアナログなテレコを愛用していた。所属した音楽部では楽譜が売られていないマニアックな曲を演奏することも多く、その際には『耳コピ』と呼ばれる自分で音を取る作業が必要になるが、その際もテレコは活躍してくれた。特に速弾きのパートなどはテレコの回転速度を落とすことでゆっくり聴くことができるので、音を取るのに重宝した。
また音楽部の同期であった山田くんとは、お題を決めてお互い曲を作ってくるという遊びをよくやっていた。彼がシンセサイザーで打ち込みの曲を作ってくるのに対し、僕はテレコで弾き語りの曲を作ってくる、そのコントラストが面白かった。

部活引退後は音楽以外の用途も生まれた。それは勉強。どこまで効果があったかはわからないが、教科書で重要な部分は読み上げて録音し、試験前には一気にそれを倍速で聴いて頭に入れるという方法を講じていた。

3.徐々に生活に

やがて卒業し、放浪期間を経て北海道に就職した頃にデジタル録音できるボイスレコーダーを購入。胸ポケットにも入るスマートで軽い代物で、テレコと違って頭出しもできるためとても便利だった。
曲が思い付いたら録音する、歌詞が思い付いたら録音する、小説のネタが思い付いたら録音する…そんなライフワークだけでなく、この頃から視力の低下が進行したこともあって、日常のメモ帳代わりとしてもボイスレコーダーは活躍してくれた。スケジュール、ゴミ出しの曜日、買い物リストなどなど、ちょこっと録音しておくと大いに役立つ。電話で飛行機のチケットを取る際も日付や時刻・便名や座席をその場で録音、友人にパソコンの操作法を教えてもらう時もその場で録音、テレビで重要な情報が流れればその場で録音…メモ魔という言葉があるが、さながら録音魔といった感じであり、ボイスレコーダーは失った視力を随分補ってくれた。

一度乗っていた車が横から追突を受けた際、幸い誰にも怪我はなかったが後でもめても嫌なので、その際のドライバー同士のやりとりを録音しておいた。まあそのデータを使うことは結局なかったが、もしかしたらドライブレコーダーの先駆けだったのかもしれない。

4.ついに仕事に

視力低下に伴い、音声パソコンや音声携帯電話を使うようになったが、そこでもボイスレコーダーは見事なジョイントを見せてくれた。インターネットやメールを閲覧する際、どうしても音声ソフトは頭からお尻まで全てを読み上げてしまうため、特定の箇所だけを読んではくれない。一度聴いただけでは頭に入らない情報もある。そこでボイスレコーダーの出番、音声ソフトが読み上げたものを録音することにより、その後は早送りや巻き戻しをしながら何度でも聴きたい箇所だけを聴けるのである。

そしてついに三種の神器は仕事にも参戦。例えば外来業務において、まず一日の予約を看護師さんに読み上げてもらいそれを録音する。届いた手紙や検査データを読み上げてもらう際も同様だ。自分がくり返しじっくり聴けるからというのもあるが、それ以上に同じ物を何度も読み上げてもらうのは相手に対して申し訳ないからというのが大きい。人に頼らなければ働けない自分を受け入れてはいるが、やはり最小限で頼るというのが鉄則である。
外来が混んでいてカルテを打つ時間がない時は、僕は忘れてはいけない重要情報だけとりあえず声で録音しておく。そして外来終了後、それを聞きながらカルテを音声パソコンで打ち、届いた手紙のお返事を打ち、朝に録音した予約表と照らし合わせて抜けがないことを確認してから業務終了。「お疲れ様」とボイスレコーダーに声を掛け、録音データを消去してから帰宅するのが僕のワークスタイルである。

またこの仕事はどうしても勉強もしていかねばならないため、講演会や勉強会も録音させてもらうことが多い。そしてくり返しくり返しそれを聴き、重要な個所はパソコンに文字で打って抜粋する。
自分が講演をする際もそう。ある程度内容がまとまったらまずは思うままに話してみてそれを録音する。そして聴き直してみてわかりづらい箇所を修正したり、余計な箇所を削除したりしながら、少しずつ完成形に近付けていく。喋りながら音声腕時計を時々鳴らせばそれも録音されるので、時間調整にも役立つわけである。
看護学校の教壇に立つ際も、まずは昨年自分がした講義の録音を聴き、学生の反応を確認しながら今年の内容を詰めていく。同じ話をしても反応が大きかった年もあればそうでもない年もある。かと思えばずっと無反応だった話にすごく食いついてくれる年もある。音楽や演劇のステージ同様、生の講演はそこが面白く、また奥深い。

まあこのようにして、僕はボイスレコーダーと二人三脚で働いているわけだ。

5.更なる趣味に

もちろんボイスレコーダーは音楽プレイヤーとしても活用できる。昔は携帯用プレイヤーと共にテープやCDをジャラジャラ持ち歩かねばならなかったが、今はこの小さなボイスレコーダーに何十曲も入る。時々曲を入れ換えてそれを移動中に聴くのが日々の楽しみである。

また楽しめるのは音楽だけではない。ラジオ番組やラジオドラマも聴けるのは言うまでもなく、最近は文章を読み上げてくれる音声図書がかなり進化している。医学書はまだ少ないがそれでも仕事に役立つ本も増えているし、話題の新刊、僕の大好きな推理小説も続々と音声化されてきている。単純に朗読したものだけでなく、声優さんが熱演してくれて聴きごたえあるものも多い。新しい本をダウンロードしてボイスレコーダーに入れ、それを初めて聴く時のワクワクはたまらない。読書の楽しみはもう半分あきらめていたので、このような形でまた文芸に触れられたのは本当に幸せである。

6.気付けば人生に

そんなわけで僕のボイスレコーダーには色々なものが詰まっている。サザンからドラえもんまで好きな曲はもちろん、自作の曲や学生時代の仲間たちの曲、嘉門達夫氏のラジオ番組、金田一少年のラジオドラマ、かと思えば医学や心理学の書籍に講演会の音声、有栖川有栖氏の推理小説から太宰治氏の短編集まで様々な文芸、そして自分のスケジュール帳に祖母との会話、音楽や小説のアイデアフォルダには「今度抱きしめたらもう一生離せない」と呟く恥ずかしい声や、「ネイルサロンで殺人が起こり犯人が死体にネイルアートを施す」なんて物騒な話も出てくるし、仕事のアイデアフォルダには「今度の依存症勉強会では俳句をやってみよう」とか「点字毎日の原稿の締め切りは何月何日」なんて自分への申し送りも入っている。
ああなんてカオスな世界。だが改めて考えると僕の人生そのもののようにも思える。仕事、趣味、好きなもの、ライフワーク…それらは優劣なく並んでおり、互いに影響を与え合い、互いに役に立ち、それら全てで僕という人間が形成されているのだ。

7.研究結果

ボイスレコーダーとはなんて愛しい機器だろう。ギターを録音しようと思ったら隣の犬の鳴き声まで入っちゃったり、もういない大切な人の声をたまたま録音してくれていたり、昔のテレコなんてテープが回る自分の音まで録音しちゃっていた。
それでよいと思う。それがよいと思う。
誰かが伝えてくれた大切な気持ちを録音し、時々そっと再生し、いつかまた誰かにその気持ちを伝えていく…そんなボイスレコーダーのような心で生きていきたい。

令和2年9月12日  福場将太