髪と気持ちとコウモリ傘

ひとまず解除された緊急事態宣言、とはいえまだまだ手放しではしゃげる状況ではないが、ようやく散髪に行けたのはよかった。そんなわけで今回はヘアースタイルについての研究と思い出話を少々。

1.髪と心

頭髪には霊力が宿る、なんて話を聞いたことがあるが、霊力かどうかはさておきヘアースタイルが気持ちに与える影響は大きい。失恋したら髪を切るというのは青春ドラマの定番であったし、恋をしてから髪を伸ばし始める、願いが成就するまで切らないなんてのも少女漫画で何度か見かけた。髪は女の命という言葉もあるが、バッサリ短く切ることで気持ちまで軽くなったり、髪の色を変えることで心機一転できたり、女性において髪と心の繋がりは深い。女性陣が「ポニーテールは一歩間違えるとおばちゃん縛りになるから注意」とか「前髪切ったのを気付いてもらえた時めっさ嬉しい」とか「寝癖がひどいから編み込みで誤魔化したわ」なんて話しているのを聞いて、色々大変なんだなと思った。

また男性においても、ロックミュージシャンや学校のはみ出し者など、髪を奇抜に染めることは反体制の尖った気持ちの表れだったりする。かつては野球部は坊主頭が基本、長髪や茶髪の多いサッカー部とのコントラストがあった。出家する時に頭を丸めるのも、心身を清めると共に、揺るぎない覚悟を表しているのだろう。

懐かしい話だが、将棋の羽生名人が結婚していつもついていた寝癖がなくなったのも、生活だけでなく気持ちの変化が表れているようで微笑ましかった。

またフィクションのキャラクターにおいても、ヘアースタイルの果たす役割は大きい。漫画『ドラゴンボール』で主人公の孫悟空が超サイヤ人に変身したが、黒髪が金髪に染まって逆立つというビジュアルの変化によって、内面の変化も見事に表現した。映画『エイリアン3』で主人公のリプリーが坊主頭になるが、あのポスターはすごい衝撃だった。まさにシリーズ最終章にふさわしい戦慄を表現したといえるだろう。

さらに漫画においてちょくちょく見られる手法だが、前髪で目を隠すことで内心の悲哀や憤怒が表現されるのは興味深い。口は笑っているのに目が描かれないと、どこか不気味さや欺瞞を感じたりする。ただ単に目を描かないのではのっぺらぼうになってしまうが、前髪があることでその不自然さが消えるのである。

前髪とはなんと効果的なアイテムだろうか。『名探偵コナン』や『るろうに剣心』においても、特に男性キャラクターに効果的な前髪が多く用いられ、その魅力に貢献している。

2.髪と人

アニメにおいては、キャラクターの髪の色がやたらにカラフルになることもある。『美少女戦士セーラームーン』や『ママレード・ボーイ』ではすごいことになっていたが、あれも各キャラクターを際立たせるための手法である。現代日本の普通の女の子という設定なのに髪の色が黄色や赤というのは本来おかしいが、髪を染色しているという意味ではなく、アニメだけに許される個性の表現なのだ。恋愛シミュレイションゲームにおいても、カラフルな髪の男女が登場するが、これによってキャラクターを差別化し、それぞれの魅力をより際立たせているのだろう。まさに十人十色である。

『姫ちゃんのリボン』に登場する少年・小林台地は、漫画では白髪(色なし)であるのに対してアニメでは黒髪。逆に『ドラえもん のび他の海底鬼岩城』に登場する海底兵士・エルは、漫画では黒髪でアニメでは金髪である。同じキャラクターなのに髪の色の違いで随分印象が異なるのはやはり興味深い。

他にも、ブラック・ジャック、ゲゲゲの鬼太郎、サザエさん、金田一少年など、独特のヘアースタイルがトレードマークとなっている魅力的な主人公は数多い。

ちなみに、僕が思うヘアースタイルを表現させたらピカイチの漫画家は日渡早紀先生。高校時代に夢中で読んだ『ぼくの地球を守って』のキャラクターたちは、誰もが印象的なヘアースタイルをしていた。時に緻密に、時にシンプルに描かれる様々な髪、特にたった数本の線だけでふんわりとした髪を表現する技術は芸術的だと感服したものである。

3.髪と自分

僕自身は毎日ヘアースタイルをセットするタイプの人間ではない。首周りを触られるのが耐えられないくすぐったい星人(命名は母親)だったので、幼少時から床屋に行くのが苦痛で仕方なかった。それでも父親に連れられて渋々行き、悶絶の60分を過ごし、セットされた髪がどうも落ち着かなくて、店を出るやいなやグチャグチャにしてようやくほっとしていたものだ。

そんなわけだから、伸びていようが寝癖がついていようが平気で学校に通っていた。音楽に熱中した高校時代には効果的な前髪を意識して、かけていた眼鏡を覆い隠すほどうっとうしい前髪をしていた。当時の写真で確認すると効果的どころか完全に逆効果、漫画と異なり、実生活で両目が隠れているのはただ異様でしかなかった。

大学時代では音楽部に入ったこと、なおかつ医学部への妙な反骨精神も作用して、一時期はとんでもないヘアースタイルになっていた。3年時はもみ上げだけを鎖骨に届くほど伸ばしていた。4年時は右側の前髪だけを金髪に染め顎まで伸ばし、襟足は刈り上げていた。自分としてはブラック・ジャックを目指したつもりだったが、先輩からは「CCBか」と突っ込まれた。

引退ライブで斬髪式を行ない、5年生からの臨床実習では当然黒の短髪。いきがっても結局組織に屈する、やはりブラック・ジャックにはなれなかった。

卒業後、放浪期間は人生で一番髪が伸びていて一時期後ろで縛っていたが、僕のように顔が丸い男がそんなことをすると見れたものではない。金田一少年になれるはずもなく、国家試験の勉強を再開した頃にはバッサリ切った。

就職してからはもちろん黒、伸びたらちゃんと床屋にも行く。社会人になってから書く文字が自分しか読めない悪筆では許されないのと同様に、ヘアースタイルもやはり自己満足ではいけないのである。

4.コウモリ傘の思い出

思い出のこうもり傘の写真 ところで僕の家には寝室の押し入れにしまっている一本のコウモリ傘がある。骨部分は錆びつき布もくたびれていて、もう実用は難しい。どうしてそんな古い傘を保管しているのかというと、それには散髪にまつわるちょっとした思い出があるからだ。

大学時代、僕は3年生まで学生寮に暮らしていた。築数十年というその古びた寮の隣には、これまた江戸時代の名残のような小さな下町通りがあった。車一台やっと通れるくらいの細い道、両脇には肉屋にパン屋、金物屋、家具屋、銭湯…。幼い記憶の中の昭和の町並みと重なるその通りが、僕はとても好きだった。そして、あの床屋もそこにあった。

とても物腰のやわらかい店主のおじさんは、僕の髪を切りながら色々な話を聞かせてくれた。学生寮の歴代先輩たちの珍事件、昔はもっと活気があったという町内会のお祭、床屋業界の裏話などなど。前述したような僕のとんでもないヘアースタイルの注文にも、おじさんは苦笑いで応えてくれた。

おじさんの娘はまだ幼く、散髪中の僕の周りを走り、僕の頭を指差して「変!」と笑っていた。「遊びに行ってきます」とその子は飛び出し、「車に気を付けるんだぞ」とおじさんが僕の頭の上で言う。やがて「遊びに来たよ」と入ってくる娘の友達の男の子、「肉屋のケンちゃんのとこへ行ったぞ」と僕の頭を洗いながら答えるおじさん…。平和を絵に描いたような穏やかな時間がそこには流れていた。僕は学生寮を出て一人暮らしを始めた後も、ずっとその店に通い続けたのだった。

北海道への就職が決まり、東京を発つ前日も僕はその床屋に行った。相変わらずの穏やかな時間が流れ、店を出ようとしたら外には雨が降っていた。おじさんは傘を貸してくれようとしたが、僕はもう家も引き払っていて翌日早朝の便で飛ぶから返しにこれないことを伝える。「いいから持って行きな」と握らせてくれたおじさんの傘…それが今も押し入れにしまってあるコウモリ傘である。

あれからもう随分と時が流れた。あの床屋は今もあの小さな通りにあって、おじさんはあの穏やかな時間の中でお客さんの髪を切っているのだろうか。あの娘さんも大きくなって、ケンちゃんとの関係におじさんをヤキモキさせていたりするのかもしれない。なんだかややこしい世の中になってしまったけど、あの通りだけはそのままでいてほしいと思う。

結局お互い一度も名前を名乗ることはなかったけど、おじさん、この傘の恩は忘れません。なんとか今も北海道で働いております。もしかしたら精神科医の仕事も、患者さんが帰る時に傘を渡してあげるようなものなのかもしれませんね。

5.心の散髪

幸いくすぐったい星人を克服した僕は、北海道でも馴染の床屋を見つけた。もう鏡の中の自分の顔は見えないけれど、それでも自分と向き合う時間として、そしてあれこれ思索にふける時間として、髪を切ってもらうのは日常のオアシスとなっている。外出自粛で散髪に行けないのがストレスだったのは、髪がうっとうしかっただけではなく、この癒しが欲しかったからなのかもしれない。

いきがっていた若い頃のように目を隠すほどの前髪にはもうできないけれど、戸惑ったり誤魔化したりする時に髪を触ってしまう癖は変わらない。短髪だとなんだか無防備で不安になるのもそう。だから今でも、少しだけ前髪ともみ上げは長めにとこっそり注文しているのである。

6.研究結果

オカッパとポニーテールが似合うのは美女の証明。

令和2年6月1日  福場将太