今月は、たまたま二回もオンラインでのイベントを体験する機会に恵まれた。新型コロナウイルスの影響で様々な場面で用いられているこの技術。オンライン授業、オンライン診察、オンライン面会、オンライン会議にオンライン飲み会などなど、直接会わずして人とふれあうことができるのは確かにすごい。今回はこの新時代の技術を研究してみよう。
1.This is IT
とはいえ僕自身はあまりITに積極的な人間ではない。もし携帯電話は全面禁止と発令されても、まあいいやと思う程度だろう。
確かにインターネットは、作品を発表したり閲覧したりする場として有用だが、人と人がふれあう場としては心許ない。メールも、連絡事項を伝えるには便利だが、気持ちのやりとりをするにはやはり不十分だと感じる。SNSにしても、そのおかげで懐かしい人と再会できたり、繋がりが増えたりという利点はわかるが、どうしても交流としては不自然で薄っぺらく、余計に孤独な気がしてしまう。
もっといえば、携帯電話での会話も僕は苦手。固定電話に比べて携帯電話は音声が届くまでのタイムラグが大きい。1秒以下の話だとは思うが、相手のリアルタイムの声より遅れて届いたものに対してこちらも声を返す、それがまた遅れて相手に届いて相手は返す。つまり自分と相手が聞いている会話のリズムが異なるわけで、例えばこちらは間髪入れずに相槌を打ったつもりでも、相手には一瞬待って相槌したように聞こえる。これは致命的だ。有名な話だが、携帯電話では一緒に歌を歌うことができない。やってみるとあまりにずれていてビックリするが、このずれは会話でも生じているわけで、だから業務連絡ならともかく、心を通わせる語らいにはやはり僕は難しさを感じてしまう。
そんなわけで、僕はITを扱うのにやたらと慎重だ。このコラムにしても、一度書いた後に時間をおいて複数回読み直しと修正をし、最期の最後に署名して掲載する。メールも、かつての手紙の用にしっかり吟味して文面を書き、必ず読み返してから送信する。SNSの類は一切しないし、電話にしても相手が大丈夫ならできるだけ固定電話の方が嬉しい。
もちろんこれはいささか極端な考え。それに時代は変わるのが当たり前、人と人の関わり方だって変化する。一度も会ったことがないSNSだけでの交流でも、相手を友人や恋人と呼ぶ感覚には当初面食らったが、それも理解していかなければと思っている。
2.オンラインセミナー
6月9日(火)、来月の第21回ロービジョン学術総会のプレイベントとして開催されたウェブ講演会。登録すれば誰でも無料で参加でき、メールで送られてきたURLを定時にクリックすれば閲覧できるという手軽さだった。テーマは『視覚障害者の就労』。友人の眼科医かつ産業医の三宅くんが司会を務めることもあり、僕は人生初のライブ動画を見た。
良かった点としては、まず会場まで足を運ぶ手間がないこと、そして何よりリラックスして見られるということ。通常の講演会では、当然周囲に人もいる中である程度の緊張感をもって会場で演者の話を聞く。何時間も座っているとお尻が痛くなるし、時には誰かのいびきや動きが気になることもある。しかしオンラインならパジャマ姿で自宅のソファでも見られる、疲れたら背伸びしたり肩を回したり、何ならギターをポロンと鳴らしながらでも見られる。我が家にはネットに繋がるパソコンがないので、今回は勤務終了後の職場のパソコンで閲覧したが、もちろん内容が面白かったこともあるが、ずっと寛ぎながら気を逸らさずに見ることができた。
手間と緊張感の少なさ、確かにこれはオンラインの利点。実際に不登校だった学生がオンライン授業なら参加できたという話も聞く。ちょうどこの度のセミナーの内容にもあったが、勉強は通学しなくてはできない、仕事は出勤しなくてはできないという既成概念を、確かにオンラインの技術は覆そうとしている。新しい暮らし方、新しい働き方を認めることで活躍できる人たちもたくさんいるのだ。
逆に難点としては…どうだろう。やはり一緒にセミナーに参加している人たちとの一体感はほぼない。会場から爆笑が上がったり、スタンディングオベーションが起こったりすることもない。会場の雰囲気に合わせてアドリブを言うこともできないので、演者の方々としても手ごたえを感じにくいのではないだろうか。
学校や職場に置き換えて考えると、授業や業務はオンラインでできても、心やチームワークを育てるのはオンラインでは難しいように思う。学校行事まで全てオンラインでやるとしたら、例えばオンラインキャンプファイヤーにオンラインクラスマッチ、オンライン部活にオンライン学園祭、オンライン修学旅行ではオンライン枕投げ、そしてオンライン卒業式でオンライン第2ボタンをあげることになる。社会人も、オンライン朝礼にオンライン外回り、昼休みにはオンラインバレーボール、年末にはオンライン忘年会で二次会はオンラインカラオケ、下手すればオンライン接待やオンライン贈収賄、オンラインオフィスラブにオンライン不倫なんてことになるのだろうか。
さすがにそんなはずはない。オンラインでカバーできるのは、あくまで学校や会社の持ち味のほんの一部なのである。
3.オンラインミーティング
一方こちらはとある自助グループ。AA(アルコホリック・アムニマス)でアルコール依存症患者が集ってお互いの苦労を語らうように、医療・福祉などの支援職をしている者が集って語らう会。クローズドなので詳細は言えないが、友人の精神科医が主催し、月一回道内某所で行なわれてきた。僕も時々参加していた会だが、コロナの影響で休止となって数か月、先月からオンラインで復活した。
6月某日、復活後二回目の会に僕も参加。とはいえ僕にはその会議アプリを使う技術も知識も環境もないため、同じく参加する人たちと某所に集い、距離を置いて座ってそれぞれのパソコンに向かった。画面の中には他にも複数名の参加者、各自自室や職場のパソコンから参加しているようだった。
良かった点としては、思ったよりも普通に語らえたこと。多少のタイムラグやノイズはあったが、自助グループにおいては通常誰かが話している間は他の者は黙って聴くので、それほど難しさは感じなかった。そして各自リラックスして参加できていたようにも思う。一人で自室にいるからこそ、肩の力が抜けて素直になれる部分もあったのだろう。
しかし何といっても最大の利点は、遠方の人でも参加できたこと。普段は会場に来れなければ当然語らいに参加できない。しかしオンラインであれば北海道各地はもちろん、日本各地、それこそ世界中からだって参加できてしまうのだ。参加人数だけ見れば、オンラインになってからの方が盛況ともいえる。
逆に何点としては、やはり空気感・雰囲気といったものを感じ取るのが難しいということ。今回は同じ室内に実際に三人一緒にいたし、画面の中にも面識のある人が多かったのでそれほど難しさはなかったが、それでも普段よりは相手の発言の意図を察してコメントするのが大変だった。これが初対面の参加者だらけだったらどこまで素直な語らいができたかわからない。また自助グループの主旨を全員が理解していたから共有できた会話のテンポもあり、これが普段の雑談のようなテンポで各自自由に発言したらどこまで会議アプリで対応できたのだろうと思う。
4.食わず嫌いせずに
こうして一方通行のオンラインセミナーと、相互交流のオンラインミーティングの両方を経験したわけだが、僕の感想としては、オンラインによるふれあいは実際のふれあいとは質が異なる別物ということだ。いうなればラーメンとカップ麺みたいなもので、似ているけれど全く別の料理である。
そうなると、確かにオンラインによって新しい暮らし方は広がるかもしれないが、この世界が全てオンラインにならない限り、「オンラインでしか交流できません」ではやはりまずい。ラーメンもカップ麺も両方食べられる人がカップ麺を選んで食べるのと、カップ麺しか食べられない人がカップ麺を食べ続けるのとでは、意味が全く違う。好みはあってよいが、いくらカップ麺が簡便でも、少しくらいラーメンを食べる技術も習得せねば心の栄養が偏ってしまう。逆にラーメンしか食べません、カップ麺は絶対嫌ですと意地を張って餓死してもまずいわけで、これからの時代はどちらも味わえる器量が求められるのだろう。
僕も北海道地震の時に経験したが、カップ麺は非常時においてはとても役立ち普段の何倍もおいしい。今オンラインがとても有難く魅力的なのも確かなのである。この機会に、一歩ITに歩み寄ってみようかな。
5.研究結果
実際のふれあいも、オンラインのふれあいも、やっぱり大前提は人間が好きなこと。
令和2年6月20日 福場将太