人類史に残る新型コロナウイルスの猛威。数々の非日常、学びを得たと呼ぶにはあまりにも悲しい出来事ばかりだが、それでも今だからこそできる研究をするしかない。はたして、我々のように視覚に障害を持つ者たちは、この情勢においてどう立ち振る舞えばよいのか。
1.触らずにいられない
新型コロナウイルスの感染経路の一つは接触感染。目が悪いと、まずはそれの事情が異なる。
聴覚や臭覚もそうだが、とりわけ手指の触角は視覚障害者にとって物を認識する情報源として大部分を占めている。例えば机の上の1本のペンを取るにも、目が見えれば一目瞭然だが、我々は机の上に手を這わせて探り当てなければならない。建物の中を歩く時も、椅子の背もたれや机の隅、廊下の曲がり角、壁のスイッチや手すりなど、まるでツバメが軒先を経由しながら飛ぶように、慣れ親しんだ場所であってもちょっと触って確認することで我々は動くことができている。つまり健常者よりもたくさんの物に触れているわけで、ウイルスが手に付着するリスクも、それをどこかに運んでしまうリスクも高いといえる。
もちろん手にウイルスが付着しただけで感染するわけではない。重要なのはそれを体内に入れないこと。だから不特定多数の人が触れているお金を扱う会計係の人がそうしているように、我々もより頻回の手洗いを心掛けなくてはならない。そして触るならできるだけ同じ場所だけを触るようにしなくてはならない。
2.寄り添わずにいられない
そしてもう一つの感染経路である飛沫感染。マスク着用や咳エチケットを心掛けるのは同じとして、「2メートルの距離を保つ」というのは結構な難題である。
白杖や盲導犬を相棒にしている人も少なくないが、やはり家族や友人・介助者に寄り添ってもらって屋外を歩いている視覚障害者は数多い。その際に2メートル離れるというのは現実的に無理がある。また赤の他人だったとしても、そこに誰かがいる気配や歩いている気配を感じて我々は動いているので、周囲に人がいなくなってしまうと途端に外出が困難になる。ではどうすればよいだろう。
不要不急の外出をしないのは大前提として、食料品や日用品は買い出しに行かねばならない。単身で無理して出掛けて人にぶつかったり、商品を見極めるために手に取ってベタベタ触るのもかえって悪い。となれば買い物に行く頻度はなるべく減らし、行く際に寄り添ってくれる人に対しては顔の向きや触れる部位など最大限の工夫をすることが我々にできる心掛けとなる。もちろん通信販売や配送サービスを利用するのも一つだが、郵便・宅配の負担が増えてきているとの報道もあるので、できるだけ一回にまとめるなどの配慮は必要だろう。
3.働かずにいられない
目が悪いからといってみんなが引きこもっているわけではない。神戸アイセンターのビジョンパークで毎年開催されている『I see! Working Awards』の受賞者を見てもわかるように、今多くの視覚障害者が就労に挑んでいる。
まずネックになるのは通勤。自宅や近所で働けている人ばかりではない。交通機関を利用するとなると、どうしてもドアノブや吊り革・手すりに触れざるを得ない。そこには当然感染のリスクがある。
また業務内容もネックだ。パソコンや電話が主体の仕事ならまだしも、視覚が使えない分、身体の接触や直接の声でのやりとりに重きを置いた仕事をしている視覚障害者も多い。接触感染・飛沫感染の予防を考えた時、それらは自粛を求められてしまうということだ。
しかし働かなければ生きていけない。現実的な生活の支えとしてはもちろん、就労は心の支えでもある。特に障害を持つ者にとって、仕事で誰かの役に立てることはかけがえのない生きがいなのだ。なんとかして働こうとするのも当然である。
ただしこの度のウイルスは自己責任・自業自得で済まされない。予防を怠れば周囲の人にも危険が及ぶ。やはり自粛が第一、それでも働き方を工夫して仕事を続けられる道を模索する…あきらめず葛藤し続けることが、我々にできる心掛けだろう。
4.願わずにいられない
ここまで視覚障害者の弱みについて主に書いてきたが、最後に強みも考えてみたい。この情勢において、我々の方が有利な場面はあるだろうか?
まずは趣味の充実。アウトドア派やスポーツマンの視覚障害者もいるので一概にはいえないが、多くの視覚障害者はインドアの趣味も持っていて、外に出られなくなると途端に何もすることがないという人は少ないと思う。例えば音声図書や音楽観賞、調理やグルメなんてその代表だ。今こそそれらを存分に楽しめばよい。
ここからは希望的観測。中途失明者の場合、目が見えなくなってこれまで当たり前だったことが当たり前ではなくなる、好きだったことができなくなるという経験をすでに踏んでいる。もしそれを乗り越えている人ならば、その人には失うことに対する免疫がある。そしてあきらめずに人生を立て直した知恵がある。それは心のノウハウだ。
今ウイルスのせいで、予定していた楽しみやチャンスを棒に振るしかない。その現実は変えられなくても、心は変えることができる。視覚障害者が提供できる希望のワクチンがあるかもしれない。もしそうなら、それを誰かに届けたいと願わずにいられない。我々に備わっている勇気を信じたい。
5.研究結果
光を失っても笑って生きている人たちがいる。八方塞がりから歩き出せた人たちがいる。永遠の忍耐を受け入れた人たちがいる。希望を見失わずにいる人たちがいる。
見えざる敵が相手でも、障害があろうがなかろうが、人間のすべき最善はいつの時代も変わらない。それは、自分にできることを必ずやることだ。
令和2年5月2日 福場将太