歌を封じられた世界

1.夢の記憶

春眠暁を覚えず、というわけで休日の一つの楽しみは二度寝である。いつもの時刻に目が覚めた後、少しうだうだしてからまた眠る…睡眠リズムを作る上ではあまり望ましくないが、昼まで寝られるのはやはり嬉しい。先日こんな夢を見た。

場所はどこかの古い講堂。正面のステージに向かってパイプ椅子がたくさん並べられている。そこではアマチュアの音楽イベントのようなものが行なわれていて、僕も出演者の一人。今自分より少し年上の男性がステージで演奏しているが、客席は閑散としていて、一人また一人と席を立っていく。やがて誰もいなくなった頃、ステージ脇で見ていた僕は何を思ったか自分のギターを取り出して演奏に合わせ始める。そしてそのままビートルズやカーペンターズの名曲を二人でどんどん演奏し、終わった頃にこんな会話を交わすのだ。
「お客さん来ませんね」
「そういえば新型コロナウイルスが流行してるんでしたね」
「ああそうでした、忘れてましたね」

2.最愛の遊戯

別に夢を分析する趣味はないが、音楽を演奏している夢を見るのは随分久しぶりだったような気がする。そしてその理由も何となくわかる。
新型コロナウイルスの感染拡大が騒がれるようになり、特に北海道は知事が緊急事態宣言を出し、仕事でも日常でも自粛を心掛ける生活となった。
僕のストレス解消法は大きく二つ。一つはこうやって文章を書くこと、そしてもう一つはギターを弾きながら歌うこと。特に後者は少なくとも週に一度は必ず行なうことにしており、全員退勤した後の夜の社員食堂をお借りして、二時間ほどランダムに演奏して帰る。大きな声を出すことで心はスッキリするし、日中活動の少ない自分にとっては汗をかいて体に疲労を与える貴重な運動の機会でもある。目が見えなくなったことを忘れて自由に動き回れる時間であり、自分の命を支える上で不可欠な趣味だと確信している。
ただ今回の事態によって、この最愛の遊戯も自粛せざるを得なくなった。一人で熱唱することがどれだけ感染リスクを高めるのかはわからないが、少なくとも体力を消耗し、喉を酷使し、汗だくで帰宅するので、風邪を引く可能性は高まる。医療に携わっている人間としては、ここはあきらめるしかないと判断した。

おかげで執筆の方の趣味にいつも以上に没頭できはしたのだが、やはり二週間も経過すると心と体がうずうずしてくる。自宅でポロンポロンとギターを鳴らして小声で歌ったりもしてみるが、余計に大きな音と声で演奏したいという欲求は高まるばかり。
3月19日、知事が緊急事態宣言を解除してくれ、もちろんまだまだ予断は許さないけれど、職場にも生活にも少しだけほっとした雰囲気が生まれた。翌日から連休ということもあり、この日の夜、三十分だけと決めて僕は久しぶりに音楽の趣味を解禁した。

3.歌う理由

素直に楽しかった。喉も手も八割の力加減だったけれど、それでも当たり前のことができるということがどれほど幸せ化を思い知った。もう一曲だけ、もう一曲だけとついつい延びてしまいそうになったが、やはり今は無理は禁物、名残惜しかったが早々に終了した。冒頭に書いた夢を見たのはその翌朝の二度寝である。

もちろん、今回の感染騒動によって社会にもたらされている数々の問題に比べれば、僕個人の趣味の悩みなど考えるにも値しない。ただやはり音楽によって人生を救われている人間からすれば、ライブハウスやコンサートが感染拡大の槍玉に上げられてしまうのはとても胸が痛む。
みんなで歌う、みんなで踊る、みんなで歓声を上げる…確かに感染リスクは高いので今はすべきではない。でも歌を封じられた世界はあまりにも息苦しい。
過酷な肉体労働者も、みんなで歌を口ずさむことでその激務をこなしたという。海や山で遭難した者も、歌うことで正気を保ち希望を維持できたという。キャンプファイヤーを囲んでみんなで歌う、この学校行事がなかった年の生徒はそうでない年の生徒より一体感や団結力に乏しいという。ハミングにはイライラや不安を弱める作用がある、と大先輩の精神科医もおっしゃっていた。
人間はきっと、楽しむためだけではなく、生きるために歌を生み出したのだ。

4.研究結果

また大声で歌いたい。大声で笑いたい。
今は我慢するしかないけれど、その気持ちを失わないようにしよう。

令和2年4月1日  福場将太