サービス終了のお知らせ

今回のタイトル、もちろんまだ始まったばかりのこのサイトがサービスを終了するわけではありません。この『サービス終了のお知らせ』という文言、実は恐怖のメッセージなのです。そう、僕のようなガラケー愛用者にとっては。

1.時の流れに身をまかせ

視力が低下してガラケーの画面が見えなくなった時、しばらくはメールやインターネット機能は一切使わず、記憶している電話番号だけで通話をしていました。それはそれで何とかなってはいましたが、やはり不便さも感じていました。

その後、音声ガイド付きのガラケーがあることを知りさっそく購入。これは本当に優れもので、パソコンの音声ソフトと同様に画面を読み上げてくれます。おかげでメールの送受信やサイトの閲覧に加え、通信販売やレンタルDVDの注文もまた自力でできるようになったのです。

しかし、時代は徐々にスマートフォンへと移り変わりました。指の感触がないタッチパネルの操作は難しいので僕はそのままガラケーを使用していたのですが、スマフォ普及率がどんどん高まるにつれ、ガラケー向けのサービスが終了を始めたのです。特にここ数年はその動きが激しく、これまで閲覧できていたサイトが次々に利用できなくなっていきました。

そして冒頭の文言です。この春も『サービス終了のお知らせ』のメッセージがいくつかのサイトに表示、3月末をもってガラケー向けのページはなくなるとのことでした。

そんなわけでもはやガラケーのインターネット機能では、閲覧できるサイトがほとんど残っていないのが現状です。もちろん打開策がないわけではありません。最近では、スマフォの機能を持ちながら形状はガラケーというガラフォがあります。音声ガイドも付いているので、これを習得すればまたインターネットも活用できます。

ただ異なるのは、スマフォ向けサイトでは一画面に表示されている情報が多いということ。そのため目当ての送信ボタンやリンクボタンがどこにあるのかを探すのに骨が折れます。また音声ガイドは片っ端から全てを読み上げるのが基本なので、目当ての記事が画面の半ばにあったりすると、なかなかたどり着けないわずらわしさもあります。

情報量は少なかったかもしれませんが、ガラケー向けサイトの方が表示がシンプルだった分、操作も単純明快だったのです。まあ何事も一長一短といったところでしょう。

2.別れても好きな人

携帯電話に限らず、パソコン然り、家電然り、進化を続ける物はたくさんあります。もちろん新しい物の方が機能が充実しているのでしょうが、使い方を習得するまでが一苦労。目の悪い人間にとって、使い慣れた物というのはかけがえのない相棒なのです。

例えばテレビやラジカセ、本体もリモコンもできるだけボタンがシンプルな方が有難い。特に最近は電源を入れてもすぐに番組が映らず、まずメニュー画面から始まるテレビもあるので、ホテルのテレビがこれだった時は宿泊しながら四苦八苦します。電子レンジも最近はボタンがたくさんで、どこをどう操作すれば動き出すのかさっぱりわかりません。昔のように、ツマミをねじってチーンで出来上がりの方がよっぽど助かるわけです。

身近な話ではこの1月でWindows7の保証期間が終了、新しいOSにすると新しい音声ソフトをインストールせねばならず、新しい手触りに難儀している視覚障害者は全国にたくさんおられるのではないでしょうか。できれば慣れた機種をずっと使っていたいのが本音ですが、セキュリティやサポートの観点からそうもいかないのがつらいところですね。

だから新しい機種を頑張って練習する。しかしせっかく習得しても、使い慣れた頃にはまた別れがやってくる。そう思うと、この追いついてもずっとは併走できないマラソンが、虚しくなる時もあります。

3.An old-fashioned love song

もちろんこれは仕方のないこと。世の中は大多数の人を基準に動くのが常です。例えば楽器屋さんに置いてあるギターはほとんどが右利き用。左利きの人口より右利きの人口が圧倒的に多いから、そうなるのが当然です。目が悪い人もいるからといって、スマフォの開発をしないでくれというわけにいかないことはよくわかっています。

それに、視覚障害があってもちゃんとスマフォを使いこなしている人もいる。結局は習得するための努力と苦労をどれだけ寛容できるかという話なのです。

ただこう思う時もあります。目が見えるとか見えないとかは別にして、新しい物が必ずしも良い物だろうかと。大量生産・大量消費、これが今の日本の経済構造。コンビニのお弁当やジュース然り、家電然り、ファッション然り、どんどん新しい商品に変わっていきます。企業の商品開発部は一体どうなっているんだろう、もしかしたらこれが過労問題の一因ではないのかと思ったりもします。

どんどん新しい物に乗り換える、それも一つの楽しみ方ですが、古い物をずっと大切に使い続ける…これだって立派な楽しみ方ではないでしょうか。お父さんから受け継いだ自転車に乗ったり、お母さんから受け継いだ味付けで調理したり…新しくなくても、それはとっても良い物だと思うのです。

僕の家には、広島から東京生活を経て北海道まで連れてきた物がたくさんあります。ギター、ラジカセ、テレビ、ビデオ、洗濯機、筆箱にペン立て。そして日清焼きそばとLEEの激辛カレーも、小学校時代からの定番食。

これらに囲まれているからでしょうか。自分の家にいる時は、目が見えないことを忘れて暮らしているのです。

4.研究結果

愛用の品には安心がある。愛着も人間にとって大切な心。
新しい物も追いかけなくちゃいけないけれど、古い物を追い出すこともない。
機能は少なくても、流行りじゃなくても、幸せをくれる物はたくさんある。

令和2年3月4日 福場将太