医学部のあり方

大学受験のシーズンである。医学部進学を目指して頑張っている受験生もいるだろう。僕も二十年以上前にその荒波の中にいたわけだが、実際に門をくぐった医学部という世界は、少なからずイメージしていたものとは違っていたように思う。

医学部教育がどうあるべきか。大学に残らず町医者をやっている人間に偉そうなことを言う資格はないのだが、今回はあえて青い戯れ言を書いてみたい。もちろん実際に教育に携わっておられる方々は、僕の何十倍も検討を重ねているはずだし、理想はわかっていても現実はそうもいかない事情が多々あるのだとも思う。それでも不正入試問題で医学部のあり方が再検討されている昨今、かつてそこで学んだ人間として一考してみたい。

医学部は医者を育てる環境としてはともかく、人間を育てる環境としては難あり。それが僕の印象だ。あくまで二十年前の経験をもとに書くので、もし今がそうでないのなら、昔話だと笑い飛ばしてくれればよい。

1.大学のはずなのに

他の学部と医学部の大きな違いとしてまず浮かぶこと。それは学生のほぼ全員が医師免許取得を目指していることだ。本来大学とは学問を探求するための場所であり、高校までのようにただ教科書をそのまま受け入れるのではなく、何が正しいかを自分で模索して見極めていくための学校だ。だからこそ『生徒』ではなく『学生』と呼ばれる。

しかし医学部はそうではない。医学の基礎を学び国家試験合格を目指すことがまず第一であり、自由に医学を探求するなんてことはできない。つまるところ、医学部は大学でありながらその実態は医者の職業訓練校なのだ。だからこそ入試における男女不平等問題で指摘されたような、将来の医師数を意識しての手心なんぞが加えられてしまう。

現状では、例えば医者になる気はないけど純粋に医学を学んでみたいとか、自分が難病を患ったのでそれを知りたいとか、そういう動機で医学部に入学するのは難しいと言わざるを得ない。仮に入学したとしても、大きな温度差を感じることになるだろう。

僕も入学式で学長から、「君たちは将来医者になるんだから」うんぬんという話を当たり前のようにされて面食らった。え?もうそれは決定事項なの?、と思わず心で問い返してしまった。

そんなわけで医学を探求するのは大学時代ではなく、大学院や現場に出てからとなる。基礎知識がなければ探求もできないから、大学時代はとにかく知識を詰め込め、とにかくまず免許を取れというのなら、それはそれで仕方ないとも思う。
しかしそうなると、一つ大きな問題が生じる。

2.引き返せない一本道

医学部入学時点で医者になる覚悟を決めておかねばならないとすれば、何を根拠にその覚悟を決めればよいのだろう。医学のことも医者の仕事も何も知らない18歳が、一生の決断をどうやってすればいい?

もちろん歌手になりたいという人が歌手の仕事を全部把握してオーディションを受けるわけではないから、これ自体が珍しいことではない。ただ医学部の問題点は、入学してしまったら人生の路線変更が極端に難しいということだ。とりあえず入学してみて医者になるかどうかは医学を学びながらゆっくり考えよう…なんて、そんな悠長にはいかないのである。

当然ながら人間には向き不向きがある。医者の仕事を知ってみて、やっぱり自分は違うなと感じる学生がいてもおかしくない。実際に5年生の病院実習で初めて患者さんと触れ合い、そこで自分には無理だと痛感する学生もいる。しかし医学部にはそこから医者以外の道を検討する分岐点がない。ゆっくり立ち止まって考えられる分かれ道がない。多くの学生は医学部に入った以上医師免許を取らなければ生きる道はなく、向いていようが向いていまいが、飛び込んだプールをとにかく向こう岸まで泳ぎ切るしかないのである。

まあ百歩譲ってそれもよしとしよう。よくわからないうちにその道に乗せられもう路線変更できないなんて話は、伝統や世襲制がはびこる日本社会ではさほど珍しいことでもない。

僕が思う医学部教育の最大の問題点は、周囲と足並みを揃えることばかりを学生に習慣化させてしまうことだ。

3.恐怖の均整

病院は組織だし医療はチームワークが基本なので、確かに協調力は必須だ。だが同じくらい必要なのは決断力、そしてその決断をするための信念ではないかと思う。

大学時代、みんなと同じようなレポートを書けと指導されたことがあるが、それだけはどうしても納得できなかった。自分の実習の記録なのに、どうしてみんなと同じ文面にしなくてはならないのか。

進級試験においてもそうだった。みんなと同じ資料を使い、同じように勉強すれば受かる。逆に独自のやり方で勉強して、他のみんなが解けなかった問題を自分だけが解いたとしても、その問題は不適当とされ得点にはならない。正しいことも間違えることも、とかくみんなと同じでなくてはならないのだ。

研修発表会の時もそうだった。各班が壇上で自分たちの研修を報告し、その後は会場の学生から質問を受けるのだが、ここでも全ては茶番であった。あらかじめ質問の内容を友人に頼んでおき、あらかじめ用意された答えを返す。せっかくしっかり研修してそれを発表しているのにどうしてこんな日和見なことをするかというと、この発表会は教授の先生方も見ているから。質問に答えられなければ評価が下がるという不安が学生に働いているのだ。質問も答えも決まっているのだから客席は真剣に発表を聴く必要もなくなってしまい、みんな国家試験の問題集を解いていた。なんて不毛な発表会。もし僕が突然手を上げて想定外の質問をしたら、どうなっただろう。裏切り者として袋叩きにでもなっただろうか。

当たり障りなく物事をこなす、それが悪だとは言わない。でもそれでは決断力や信念は身に付かない。みんなと同じようにやる、無難にうまくこなす、それが僕が医学部で一番学ばせられたことだ。これが医師の理念なのだろうか。ヒポクラテスの誓いにそんなこと書いてあっただろうか。
足並みを揃えているといえば聞こえは良いが、集団無責任にもなりかねない恐るべき均整である。

4.闘わない理由

今回のコラムの内容は、実は斬新でも画期的でもない。ここで書いているようなことは、けして僕個人だけの見解ではないのだ。学生時代に何度も友人とも議論した。多くの学生がわかっている。医学部のあり方について、少なからず疑問を抱いている。

ならばストライキでも学生運動でも起こせばいいじゃないかと思われるだろうが、そうもいかない事情がある。なんせ学生の命運は大学が握っているのだから。おかしいと思いながらもレポートを書く、試験を受ける、研修発表をする。下手に歯向かったり目立ったりすれば、単位がもらえず留年になるかもしれない、退学になるかもしれない、そうなれば医師免許をもらえなくなる…その恐怖が学生を支配しているのだ。

冒頭にも書いたように、もし医学部が学問を探究するための学校であったならこんなことにはならないだろう。学生は高い学費を払っている、当然の権利としてよりよく学ぶための要望をどんどん大学に出して闘えばよい。でも医学生は医師免許取得がまず第一、卒業の許可を与えてくれる大学を敵に回すわけにはいかないのである。

だから、今はとにかく免許を取ることに集中すればいい、本当の勉強は医者になってからすればいい、なんて言い訳が横行する。僕も学生時代に友人から、今はとにかく割り切れと何度も言われた。

でも本当にそれでいいのだろうか。学生時代に医学知識だけでなく、ちゃんと決断力や信念を身に付けておくべきではないのだろうか。

試験の問題がリークされたり、優等生のノートが盗まれたり、カンニング事件が起こったり、一部の学生に故意に試験資料が回されなかったり…、そんなことがある度に思っていた。僕たちはここで一体何をやってるんだろうと。一番大切な人間性が失われては本末転倒ではないかと。
それでも闘わない。口だけ野郎の僕自身も含めて、医学生は大学と闘えないのだ。

5.失敗することの大切さ

医療は医者ではなく患者さんのためにある。命を預かっている以上、医者の勝手な挑戦や失敗は許されない。だから医学部で教え込まれる協調性の精神、失敗なくうまくやる技術は間違ってはいない。

でもだからこそ思う。失敗が許されない仕事だからこそ、学生時代くらいはしっかり失敗の経験をした方がよいのではないかと。どうせ医者になるからなんて言わないで、なるからこそ学生のうちに色々な挑戦をしておくべきではないかと。

僕が精神科医だから余計にそう思うのかもしれないが、この仕事は葛藤だらけだ。当たり障りないみんなと同じ答えでは通用しない局面が多々ある。今になって、学生時代にもっと挑戦しておけばよかった、もっともっと失敗しておけばよかったとつくづく思う。

先ほど医学部には医者の道以外に進む分岐点がないと書いたが、正確に言い直そう。実際には分岐点はいくらでもある。路線変更の道はいくらでもある。ただそれがまやかしによって見えなくなってしまう環境なのだ。

仮に留年したとしても、退学したとしても、それで不幸が決定するわけがない。医者になるしかない運命、そんなものは自意識過剰な思い込みだ。にも係わらず、医学部マジックによって、多くの学生は自分には一本道しかない、この道を外れたら転落人生だと信じ込まされてしまうのである。

6.それでも医学部を愛してる

とまあ医学部をボロクソに書いてきたが、僕はやはり医療という営みを敬愛している。そして命を扱う度胸が必要な仕事なのに、留年だ免許だと器の小さな価値観に囚われて、ヘナチョコな青春を送っている医学生という存在が可愛くてならない。医学部への文句が尽きないのも、なんやかんやで母校に感謝しているからこその苦言、医療が好きだからこその不平なんだと思う。

確かに周囲に合わせることでしか動けないつまらない連中もいたが、素敵な個性やしっかりした信念、あたたかい人間性を持った素晴らしい人たちにもたくさん出会った。足並みを揃えたふりをしながらも、野心や疑心も忘れない、ブラック・ジャックやパッチ・アダムスが大好きな医学生はたくさんいるのである。

そう考えれば、もしかしたら大学は恐怖の均整を行ないながらも、心の奥底で期待しているのかもしれない。医学部マジックを打ち破り、新しい時代を切り拓いてくれる、そんな維新志士のような医学生の登場を。

7.研究結果

医学部がもっと身近で、敷居の低い場所になりますように。
子供たちが「将来はお医者さんになりたい」と思ってくれる社会でありますように。

僕も大学時代を医学部で過ごしたことに後悔はしない。あの頃の仲間たちに、ちゃんと業界の片隅にいるぞと言える生き方をしたい。

医学部を目指す受験生諸君、健康と人間性に注意して、この愚かで愛しいゲームを存分に頑張って頂きたい。受験が戦争ではなく、お祭りになるように。

令和2年2月2日  福場将太