心の名作#7 笑点40周年スペシャル

寒い冬でも元気と笑いで暖めてくれる、そんな心の名作を研究するシリーズの七回目です。

研究作品

今回は半世紀以上も愛され続ける国民的演芸番組『笑点』を、40周年スペシャルを中心に研究します。山田くん、座布団全部持っていきなさい!

福場的研究

1.楽しそうな大人たち

最初の記憶は小学生時代。日曜日の我が家の夕食は午後6時からだったので、僕は父と妹と笑点を見ながら母のごはん仕度を待っていた。画面には、先代圓楽さんの司会のもと活き活きと回答するメンバー。カラフルな着物に身を包んだその姿は、子供心にとても華やかで楽しそうに見え、一人一人の笑顔が強く印象に残った。

中学校に上がってからはその時刻に家にいなかったり、他に夢中になれることを見つけたりして、少しずつテレビを囲む家族の輪には加わらなくなった。そのため笑点に向かう頻度も減っていき、それは高校・大学と進むにつれてますますそうなっていった。
それでも時々目にする笑点は、幼い頃の記憶と同じ顔触れが変わらずその明るさを放っていた。

2.感動の40周年

毎週また見るようになったのはそう、大学を卒業する前後からだ。将来を見失い一人あてもなく東京で暮らしていた時代…今から思えば笑点は孤独を和らげてくれる貴重な笑いの供給源だった。気付けば僕は毎週録画し、何度も見返し、一人で笑っていた。
ただ久しぶりに見た笑点には昔と異なる所があった。それは回答者席の一つの空席…こん平さんが病に倒れたのだ。その空席に置かれた座布団には、主人の帰りを待ち続けているような寂しさを感じた。やがて弟子のたい平さんが代打回答者として登場。こん平さんに届けと言わんばかりに、そこからの笑点は本当に毎回お腹が痛くなるほど面白かった。
しかし今度は先代圓楽さんが病に倒れる。メンバーは交代で司会を務めながら、また一つ空いてしまった回答者席を埋めんとばかりに、飛んだり跳ねたりの名演を見せてくれた。

そして僕が最も印象に残っている笑点40周年スペシャルが放送されたのが2006年5月。この回の大喜利は本当に…こんな言葉しか思いつかない自分が悔しいが、本当に頂点に達した面白さだった。メンバー全員天使に扮して死後の世界で行なう『昇天大喜利』、それぞれの弟子と共演した『師弟大喜利』、そして先代圓楽さんが復帰後最初にして最後の司会を務めた『最後の大喜利』。メンバーの瞳にはうっすら涙も見えたように思うが、全員がそれ以上の笑顔を見せていた。誰も悲しみは口にしない。悲劇など演出しない。先代圓楽さんは「一度死んだ奴が生き返りました」と笑わせ、メンバーも相変わらずの無礼なネタを連発。お互いを罵倒しながらも、その瞳には愛しさと優しさが滲んでいた。
番組の最後には、病床のこん平さんからの手紙も紹介された。第一回から出演していた笑点の40周年に参加できず残念としながらも、いつかその舞台に帰る、弟子のたい平さんをよろしくと、希望で締めくくられたメッセージだった。そして新たな回答者として、昇太さんも登場したのである。

この回の録画は今でも僕の宝物になっている。自分の行き先を見つけ、精神科医として歩き始めたのはこの放送の半年後。どれだけ勇気をもらったことか。

3.新たな始まり

それからの笑点にも色々あった。先代圓楽さんのご逝去、楽太郎さんの六代目圓楽襲名、全国公募による木久扇さんの親子襲名、メンバーの病気療養による番組欠席…それでも舞台はいつも笑顔で溢れていた。

慣れない北海道での新生活の中、笑点は変わらず僕に元気をくれた。視力はこの十年で大きく低下してしまったが、その渦中で気付いたことがある。ボンヤリとしか画面が見えなくなっても、あのカラフルな着物のおかげで笑点は楽しめるのだと。誰が映っているのかわかるようになっているのだと。
さらにほとんど見えなくなっても変わらず楽しめるのにも驚かされた。ほんのちょっとの想像力さえあれば、メンバーの姿が変わらず頭に浮かぶ。笑点が長年に渡り愛されている理由の一つは、この楽しみやすさにもあるのだとわかった。

4.堂々の50周年

2016年5月、第一回から番組を支えた歌丸さんが50周年を節目に大喜利の司会を引退した。新司会者に昇太さんを指名し、「ありがとうございました」と挨拶した姿に、思わずテレビの前で拍手した。この回は生放送だったこともあり、なんだか歴史的瞬間に立ち会っているような気がした。

歌丸さんは回答者時代もメンバーを牽引し、40周年スペシャルにおいても病み上がりの先代圓楽さんをさり気なくサポートしながら盛り立てていた。そして自分が司会者になってからの十年間も何度も入退院をくり返し、おそらく体力の限界はとっくに過ぎていたのだろうけど、50周年の節目まで舞台に立ち続けた。
最後の大喜利もいつもどおりの罵倒合戦で、まるで40周年の大喜利の再現。あの時先代圓楽さんを盛り立てた歌丸さんを今度はみんなが盛り立てる…、受け継がれているのは伝統芸だけではなく、何よりも信頼と尊敬に満ちた人情味だ。結局全員の座布団を没収してしまったのも、「過去にこだわらず新しい笑点を作れ!」という歌丸さんらしいメッセージだったように思う。

5.そしてこれからも

その後も僕は毎週の楽しみとして笑点を見ている。先月の番組では、出演50周年を迎えた木久扇さんがみんなに祝福されていた。「五十年間回答者をお疲れ様でした。司会者にはならないでください、なったら次々死んでいくから」というたい平さんのネタに会場が笑い、昇太さんが「俺はまだ死んでない」とつっこみ、さらに主役の木久扇さんの「俺は五人送ってるからね」の一言で爆笑が巻き起こった。

胸がいっぱいになる。そう、これが笑点なのだ。木久扇さんも圓楽さんも、癌を患い一時番組を休んだが今ここにいる。こん平さんも闘病しながら、師匠としてたい平さんの心を支え続けている。そしてもうこの世にいない先代圓楽さんと歌丸さん、その存在感もほのかに舞台の上にある。「司会者が死に続ける」というネタで起こった爆笑の中、二人の笑っている姿も見えたような気がした。

研究結果

1.一番大切なこと

そう、笑っているのだ、どんな時もあの人たちは。メンバーが難病に倒れても「お前が毒を盛ったのか」と言い、「もう一人倒れたら俺が司会者だ」と笑わせる。高齢・泥棒・スケベ・貧乏・仕事がない・馬鹿・独身・友達がいない・腹黒・浮気者・オカマ・お家騒動・親の七光り・もうすぐクビ…そんな一歩間違えれば不謹慎になってしまいそうな題材さえ、愛すべきキャラクターに変える。身近に迫った病苦や老い、死さえも笑いに変えて罵倒の言葉を浴びせ合う。そしてそれを見ている誰もがわかっている…彼らがどれだけ強く、思いやりに溢れ、お互いをいたわっているかを。
だから笑点を見ていると心が暖かくなるのだ。人間の素晴らしさを感じるのだ。言葉一つを捕まえて不適当だ・不謹慎だと批判する昨今の風潮が、いかに馬鹿らしいかを思い知らされる。

素敵だと思う。素直に素敵だと思う。どんな悲しみや苦しみの中でも笑う…そんなふうに僕も生きていきたい。一人の人間としても心の医療者としても、笑点には教わることが多く、尊敬の念は尽きない。

2.ありがとうございました

先代圓楽さんは司会者時代、必ず「ありがとうございました」の言葉で番組を締め括っていた。そしてそれに合わせてメンバーは客席に向かって頭を下げていた。長きに渡り、暖かい笑いをこちらこそありがとうございます。みなさんが元気にしている心の数は、精神科医の比ではありません。

笑点から教わった心を大切にしていきたいと思います。

好きなセリフ

「そういうわけで私はこの笑点を卒業致しますが、しかし笑点はまだまだずっと続くわけでございます。どうかますます笑点をご贔屓くださいますように、心より私からお願いする次第でございます。ありがとうございました」

五代目圓楽さん 40周年スペシャルにて

令和元年12月8日  福場将太