産業医・眼科医として全国を飛び回っている友人の三宅くんが先月仕事で北海道に来たので共に夕食を囲んだ。参加したのは三宅くん、僕、そして北海道で外科医をしているミツくん。今回は欠席だったがここに麻酔科女医が加わることもある。実は年に一回あるかないかくらいの頻度でこのヒポクラテスたちの宴は開催されているのだが、今回は酔狂にもそれを研究してみたい。
1.マイ フレンド
この専門も年齢も異なるメンバーの唯一にして最大の共通項は大学の同期であるということ。ただそれだけ、ただそれだけなのだが同期という絆は想像以上に強い力を持っていることを、卒業して十五年近くが経過した今になって思い知らされている。
考えてみれば同期という概念はとても不思議だ。それまでどう生きてきたのかは一切関係なく、たまたま同じ春に入学すればその刻印は押される。有効期限は一生であり、その後どう生きようが同期は同期、いつまでも敬語なしで言葉を交わせる気の置けない仲間なのだ。僕のように人間関係を開拓するのに消極的な者にとって、自動的に仲間入りさせてもらえるこの風習は結構有難かったりする。
2.運命のルーレット廻して
実はこのメンバーで卒業後もずっと懇意にしてきていたというわけではない。お互い忙しかったせいもあり、直接会う機会は少なかった。それが今のように時々集うようになったのには一つの偶然が作用している。
六年前、三宅くんが当直の仕事を頼むメールをミツくんに送る。しかし遠方のミツくんが東京の病院へ当直に行くわけはなくこれは誤送信だった。しかし真面目なミツくんは「北海道にいるから無理です」とちゃんと返信。すると三宅くんには直近で北海道へ行く仕事があり、それなら会おうと話が進展、確か北海道にいるはずだからと僕にもお呼びがかかったというわけだ。あれよあれよという間に都合もついて第一回の宴は実現。すると運命の連鎖は面白いもので、間もなく僕が仕事で麻酔科女医と再会。三人で会ったことを伝えるとどうして呼んでくれなかったのと抗議され、いやいや北海道にいるなんて知らなかったよという話ではあるのだが、次回から彼女にも声をかけることとなった。
かくして誤送信メールから始まった偶然の産物は、三宅くんの来訪に合わせて集まるという不定期特番のようなイベントとして定着したのである。
3.心を開いて
今回もとても濃密で寛げる時間を過ごした。学生時代の武勇伝や失敗談、懐かしの店、同級生の近況、最近熱中していること、困っていること、これからの野望などなど、話題は尽きることはない。ミツくんがツールド北海道に出場した話では大笑いし、仕事の話では真剣にアドバイスし合い、昨年母校で起きた騒動の話では苦笑いし、とある先輩が料理人になったという話ではまた大笑いしたりしながら、時間はあっという間に過ぎていった。
特に興味深かったのが仕事についてのこと。お互い自分にとっては当たり前の話をしているだけなのだが、専門外の者にとってはそれはとても新鮮で目を覚まされる内容だった。気を遣わずに本音で発言しているせいもあるだろうが、学会に一日参加するよりはるかに得るものが多かった。
それに、「その考えは俺も正しいと思う」とか「それはお前の思い上がりだ」なんて叱咤激励もすんなり受け入れることができた。同じ言葉でもおそらく同期以外に言われたらこうはいかない。ここにも同期という不思議な絆が作用しているのだ。
本人と職場の最大幸福を考える産業医、見えない心を解釈する精神科医、目の前の生命と格闘する外科医…視点も価値観も働き方もまるで違う。一人の経験と発想には当然限界がある。まさしく三人寄れば文殊の知恵、時にはこうやって意見交換することがこの仕事には必要だと痛感した。
まあちょこっとはそんな真面目な気分にもなったりしながら微笑みの中で宴は終了。その後はミツくんの自宅にお邪魔させてもらった。その玄関には確かに競技用自転車が置かれていた。
久しぶりに奥さんとも会い、コーヒーをご馳走になりながら結婚式で僕がギター弾き語りをした際のお礼を言われる。そういえばそんなこともしたなと有難いやら恥ずかしいやら。奥さんも加わって再び会話に花が咲いた。
それぞれが心に留めている大切な記憶の欠片。それを持ち寄ってパズルのように組み合わせていくと、足りない欠片も思い出されて埋まっていく。そして記憶と共に懐かしい気持ちも蘇る。アルコールなしでも心はそれだけで十分に酔える。これはきっと人間だけに許された幸福なのだろう。
4.君に逢いたくなったら…
今回三宅くんがくり返し言っていた。もう根性で無理ができる年齢ではない、無理がたたれば命だって縮める、いつまでもこうやってみんなで会えるようによい力加減で元気に働こうと。
さすがは産業医、まさにそのとおりだ。手を抜いたり弱さを見せたりするのが難しい仕事なのは百も承知だけど、やっぱり無理は禁物。時には免許も白衣も投げ捨ててありのままの自分に戻る時間も必要だ。そして少なくとも同期の集いではそれが許される。
教授になろうがアウトローになろうが、表彰されようが後ろ指をさされようが、そんなのはこの会では関係ない。みんなには何よりも元気でいてほしい。次に会えるその日まで僕も元気でいたい。
そして来年こそは三宅くんの仕事に何か協力したいと思う。今回も三宅くんとミツくんのさり気ない優しさにたくさん助けられて僕はそこにいられた。まだ全ての同級生の前に顔を出せる勇気はないけれど、三宅くんの隣でなら怖いものはない。彼がやっている視覚障害を持つ人たちへの新しい支援、もし少しでも力になれるのなら自分がこの業界に居残り続けた意味もあると思うから。
5.研究結果
勝ち組も負け組もなく、僕らは同期の桜組。
令和元年11月1日 福場将太