おめでとう、ゆいまーる!

先月末に吉報が届いた。僕も所属している『視覚障害を持つ医療従事者の会 ゆいまーる』が2019年度点字毎日文化賞を受賞したというのだ。歴代受賞者を見ると、視覚障害者の医療・福祉・就労・教育・文化活動などに功労された方々が名を連ねており、そこに『ゆいまーる』も仲間入りさせてもらえたのは素直に嬉しい。まあ僕はのほほんと籍を置かせてもらっているだけで特段何か貢献したというわけではないのだけど。
そう、この度の受賞は、何といってもこの会を発足させ今日まで十年以上も存続させた守田会長のおかげである。今回はこの『ゆいまーる』を研究してみたい。

1.同じ苦労を持つ仲間たち

病気で会ったり境遇であったり、同じ苦労を持つ者が集いお互いを支え合う会を自助グループと呼ぶ。古くはアメリカでアルコール依存症患者が教会に集って語り合うことから始まったアルコホリック・アムニマス(AA)が有名だ。その手法は世界へ広まり、近年は依存症に留まらず、摂食障害当事者の会、癌当事者の会、あるいは患者家族の会、犯罪や災害の被害者の会など、規模や形式は多少違っても様々な自助グループが存在している。

『ゆいまーる』に集っている仲間たちの共通の苦労は目を患っていること、なおかつ医療に携わっていることだ。今でこそピアサポーターと呼ばれる自らも障害の当事者である支援者の存在が注目されてきてはいるものの、まだまだ不理解は多い。
そんな中、あえてそれを掲げて『ゆいまーる』を創始した守田会長と立ち上げメンバーの勇気には感服しかない。

精神科医療の現場で集団療法のチームを作る際にも、あるいは中学や高校で同好会を作る際にもそうだが、一番大切なのは継続だ。メンバーが集まらず存続が危ぶまれたとしてもそれでも続けること。何故ならまずはそういう場がないことには仲間が増えることも発展することもないからだ。『ゆいまーる』がそこにあってくれたからこそ、僕のように途中で存在を知って会員になる人間もいるのである。
僕が入会した頃にはもうたくさんの仲間がそこにいた。だからとても安心できた。きっとそこに至るまでに『ゆいまーる』にも下積みの時代があったことは想像に難くない。今回の受賞は立ち上げメンバーにとってはより一層感慨深いものだっただろう。

2.集うことで生じる効果

自助グループにはいくつもの効果がある。まあ本来は言葉にできない見えない効果、意識することなくもたらされている効果こそが本質なのではあるが、ここではわかりやすいものを列挙する。

まずは単純に「悩んでいるのは自分だけじゃない」と知ることで孤独が和らぐこと。仲間と居場所ができることはそれだけで心を少し元気にしてくれる。
またお互いの経験を分かち合うことで知恵や技術を育むこともできる。三人寄れば文殊の知恵、それぞれのうまくいったことやいかなかったことを共有してそこから学ぶことでお互いが困っている問題に解決策が見いだされるのだ。もちろん日進月歩の医療情勢の中で病気や治療についての情報交換の場としても機能する。

そして何といっても、気付きを与えてくれる場として自助グループの意義は大きい。どうして自助グループが依存症患者から始まったのか、その一つの理由は依存症が不治の病だから。一度患えばもう適切にお酒を飲むことはできず断酒を一生続けるしか解決法はなくなる。よって依存症患者が目指すのはお酒がなくても幸福を感じられる新しい生き方。生き方を変えるためには何かに気付く必要がある。これまで知らなかった新しい何か、ずっとそばにあったけど意識していなかった何か、大切な何かに気付けた時に人は生まれ変わることができるのだ。
治療困難という点では視覚障害も全く同じ。もちろんまた目が見えるようになるのならそれに越したことはないが、例えそれが無理でも視覚障害は克服できる。目が見えない状態でも幸せを感じられる新しい生き方を見つければよいのだ。『ゆいまーる』はそのために必要な気付きを僕にいくつももたらしてくれた。

また『ゆいまーる』が特に興味深いのは、ここに集っている仲間は患者でもあり医療者でもあるということ。障害の当事者が集う自助グループ、支援者が集う自助グループは色々あるが、その両方を同時に成立させた自助グループというのは画期的だ。ここからどんな化学反応が起こるのか今後も楽しみにしたい。

3.今でもずっと迷ってる

ここで改めて考えてみる。医療従事者が視覚障害を持っているというのはどうなのだろうか。相手の表情がわからない、カルテを読めない、注射も打てない…そんな人間がちゃんと医療の仕事ができるのか、不安に思われても当然だ。
そしてそんなことは本人だってわかっている。「意地を張らずに引退した方がみんなのためなんじゃないか」「いつかとんでもない失敗をするんじゃないか」…、きっと『ゆいまーる』の仲間はみんなこの迷いと闘いながら毎朝出勤しているのだ。
ではその迷いを押してまでどうして医療従事者を続けているのか。その理由はそれぞれだと思うが、もしかしたら五体満足で医療に携わっている人間よりも腹をくくっているんじゃないかと思う。何倍も葛藤しているけど、だからこそ何十倍も覚悟しているんじゃないかと思う。
もちろんどんなに覚悟しても迷いは常にある。我を通すべきか身を引くべきか、やっぱり考えてしまう。それでも今は断言できる、視覚障害者だからこその医療もあると。視力を失ったからこそ気付ける痛み、生み出せる言葉、研究できるテーマがあると。
まさに『ゆいまーる』が継続は力なりで今回一つの成果を出したように、僕ら自身も、葛藤しながらでも、中途半端でも、危なっかしくても、逃げずにやり続けることに意味があると信じている。それがどんなプラスとマイナスをもたらすかは遠い未来で評価してもらえればいいのだ。

4.祝辞

そんなわけで、お祝いと感謝を守田会長に贈りたいと思う。会長は僕が書いた愚かなエッセイなどにもいつもあたたかいコメントをくださる。やはり一番大切なのは人間力なんだなとその度に感じる。視力じゃ勝てなくても人間力なら負けない、『ゆいまーる』にはそんな仲間がたくさんいる。そうあってほしいと、そしてそうありたいと願っている。
そしてもちろん『ゆいまーる』の活動には協力してくれる人たちの存在が不可欠。会長を舌って集った優しいスタッフのみなさんにはいつも頭が下がるばかりだ。

遠方にいるのでなかなか直接会合に参加できない僕だが、今年は『ゆいまーる』に所属している精神科医の先生方と点字毎日の連載を共著させてもらっている。これも自分にとって大きな励み。『ゆいまーるのこころだより』、残りの原稿も落とさないようにみんなで頑張りましょう!
守田会長、そして『ゆいまーる』のみなさん、この度は本当におめでとうございます!やったぜ!

5.研究結果

これからも時々『ゆいまーる』の集いに立ち寄ってエネルギーを充電しながら、自分の道を歩き続けたい。

令和元年10月7日  福場将太