型破りな医者というと僕が思い浮かべるのはこの二人、ブラック・ジャック先生とパッチ・アダムス先生だ。今回は偉大なる先輩であるこの二人を研究させて頂きたい。以下、ブラック・ジャック先生をBJ、パッチ・アダムス先生をPAと記します。
1.僭越ながら
まず簡単にご紹介すると、BJは漫画の神様・手塚治虫氏が生み出した架空の天才外科医。困難な手術を引き受ける代わりに患者に法外な治療費を請求する悪名高き無免許医だが、その生命に向き合う姿勢や葛藤は多くの読者の心を揺さぶり、現実の医療現場でもその名は何かと引き合いに出される存在だ。原作漫画は大ベストセラーであり、アニメ化や実写化もくり返し行なわれている。おそらく日本一有名なもぐりの医者だろう。
一方PAは実在のアメリカの医師。自らピエロに扮して患者を楽しませる臨床道化師でもあり、エンターテイメントの手法を医療に持ち込んだことで知られる。ロビン・ウイリアムス氏主演で映画化されその存在は広く知られるようになった。現在も独自のスタイルを追究し多くの医療従事者に影響を与え続けている。ちなみに僕の友人のドクター三宅は直接会いに行き一緒に泥に浸かるセラピーを体験したそうだ。
ただ僕は実在のPAについては詳しく知らない。そのため今回のコラムで研究しているのはあくまで映画の中の架空のPAであることを断わっておきたい。
2.治療費
BJは必ず患者に報酬を請求する。大抵はお金でありしかも数千万から数億円といった大金だ。どうして高額医療にこだわるのか。彼が医師連盟に語ったその理由は「私は自分の命を懸けて患者を治している。それで治ればけして高くはない」。つまり技術の安売りはしない、金額に見合うだけの仕事はしているということだ。また本人から明言はされていないが高額の治療費をふっかけることでそれでも治したいかという患者の本気を試しているようにも見える。
一方PAはお金が払えないという理由で治療してもらえない医療制度を批判している。そして自ら無料の診療所を立ち上げ、どんな患者でも歓迎して一切治療費を請求しない医療を行なっている。
高額医療と無料医療、果たしてどちらが望ましいのか。日本は社会保障によって患者が支払う医療費の減額や完全免除になる制度がある。行倒れでどこの誰だかわからない一文無しの患者だとしても日本の病院は治療に応じる。これは困っている人にとってはとても有難い。
しかし無料だということで治療に対して負真面目になったり、気軽に薬の処方を要求し過ぎてしまう患者もいる。病院は強引な取り立てができないということを逆手にとって頑として支払いに応じない患者もいる。医療費未納が高騰しているのも日本の大きな社会問題だ。そう考えるとBJの姿勢はそれらの問題を起こさせない。
一方アメリカでは支払や保険などの条件を満たしていない患者に対してはシビアに治療を断わるという話を聞く。どの程度シビアなのかはよく知らないが映画でもそのような描写があり、だとするとPAの姿勢はそれらの問題を解決している。
BJとPA、治療費について彼らが真逆の極端な方法に到達したのはもしかしたら日本とアメリカの社会保障制度の違いによる所も大きいのかもしれない。
3.治療スタイル
BJは基本的に一人で治療をするスタンスをとる。協力者や理解者はいても横に並んで立つ仲間はいない。実際に弟子入りを志願する者が現れても「私は誰の助けもいらない」「こんな人に嫌われる医者にはなるな」と追い返してしまう。その意味では手術の技術には自信を持っている一方で医師としての自分の在り方については正しいとは思っていないことが伺える。
また患者に対する姿勢としては、治療をする者とされる者の境界線をしっかり引き、自分のやり方に文句を言わないことを治療の条件として患者に提示したりする。
医療業界から認められる、歴史に名を残す、自分の技術を後世に伝える…BJはそういったことに一切興味を示さない。ただ自分が出会った患者を治すことにだけ自分の手法で全力を尽くす。その生き方しかできないことは彼の「切るだけが人生なんだ」「それでも私は人を治すんだ、自分が生きるために」という言葉に表れている。
一方PAは一人ではなく多くの仲間と一緒に治療をすることをスタンスとしている。周囲の理解や協力を積極的に求め、今の医療制度は間違っていて自分のやり方の方が正しいと明言する。そして友人や恋人も説得し多くの人を仲間に巻き込んでいくのだ。
医者と患者に境界を作らず、彼の病院ではみんなで共同生活し時には患者の方が治療者となって別の患者を救う。これは近年注目されている自助グループやピアサポートに通じる手法であるからその先駆けともいえるだろう。実際に従来の方法では変化のなかったたくさんの患者がこれで癒されたのだから画期的だ。
ただPAは自分が正しいと信じるあまりそれ以外の価値観を軽視している面があり、例えば自分の無料診療所の医薬品が底をついたからといって大学病院から平気で盗んでしまう。さんざん大学のルールを破っておきながら卒業資格をくれないのはおかしいと大学に訴える。さらに最愛の人に悲劇が起った途端全てをやめると言い出した。ショックなのはわかるがたくさんの人を巻き込んでおいてその決断はかなり無責任であり、友人からそう非難されるがそれでも理屈を並べて考えを変えようとしなかった。
つまりPAの医療は彼の情熱にかかっているのだ。理屈は後からついてきている。もちろんこの悲劇を乗り越えて最終的には絶対に逃げないと言い切る永遠の情熱にたどり着くのだが。
その意味ではBJは最初から無法者であり誰にも理解を求めていない。気まぐれも多く自分勝手で間違っていることも自覚しているからこそ仲間も求めない。PAが情熱とするならBJは生きざまで医療をしているのである。
4.医師免許
BJは治療費をふんだくる孤高の医者。PAは治療費を請求しない友愛の医者。
BJは死に抗おうとする治す医者。PAは死を受け入れようとする癒す医者。
色々正反対の二人だが彼らに共通していることがある。それは「医師免許が医者の証明ではない」という価値観だ。確かにPAは医師免許を求めたがそれは医療に携わるための手段としてに過ぎない。まあPAはもともと実在の人物なのでさすがにBJのように無免許では逮捕されてしまうからこれはしょうがない。
BJは患者を治す技術を持っている者が医者だとし、PAは患者からあなたのおかげで癒されたと認めてもらえた者が医者だとする。考え方ややり方は違っていても彼らは間違いなく医者。それは医師免許と関係なく医者なのだ。
5.二人のすごい医者
とはいえ型破りで自分勝手なこの二人が名医として成立している前提には二人とも優秀であることが否めない。BJはエリート医師でもできないような手術をこなせるし、PAも無料診療所などあれだけ多忙な生活をしていながら学業成績は常にトップと作中で語られている。いくら生きざまがかっこよくても、いくら情熱が溢れていても、結局医者として腕がなければお呼びでないのである。
そう考えるとやはり彼らの存在は非現実的だ。現実世界には誰の助けもなしでどんな手術もできる医者、大学を批判する活動をしながら特待生の医者なんてまずいない。僕も含めて多くの医者はもちろんただの人間であり凡人であるから神のような超越的な存在にはなれない。だからBJのように一人で万能にもなれないしPAのように大学や病院を敵に回して信念を貫くなんてできないのである。
だからこそ彼らの存在から学ぶことは多い。彼らのような極端な存在にはなれなくても、現実の中でやれる生きざまや燃やせる情熱はある。そう、彼らの一番の魅力は貫いていることなのだ。
医療に絶対はない。時代によって考え方もやり方も変わる。だからこそ一人の意思が一つの手法をやり通すということはとても意味がある。その姿を見て、メリットとデメリットを学び、また別の医師が信じた手法をやり通す。そうやってより良い医療に近付いていくのだ。凡人の僕らでもやり通せることはきっとあるはずだ。
BJとPA、もし二人が対峙したらどうなるだろう。BJは「あんたのように慈善を売り物にする人間は好かん」とニヒルに言いそうだがきっとPAの情熱を認めるだろう。PAはBJという存在すらも笑顔で笑いにし、そのエンターテイメントでBJの心の傷さえ少し癒してみせるかもしれない。
まあ大学からすれば厄介な二人だが彼らがいるから凡人医師の刺激になり、凡人医師がいるから彼らのような際物が輝く。そうやって医療業界が活性化していけばよいのではないかと思う。
6.研究結果
僕はまだまだ揺れてばかりだがいつか自分のスタイルを見つけられたらそれを貫いてみたい。葛藤や批判は当たり前。それでもやり通したからこそわかることがきっとあると信じて。
令和元年8月3日 福場将太