あまり男らしくないがアニバーサリー好きである。そして平成31年3月は僕がアカシアを卒業してちょうど20周年だ。
改めて説明すると『アカシア』とは広島大学附属中・高等学校のこと。断わっておくがけして僕が勝手にそう呼んで居るわけではなく、これは学校公認の愛称だ。卒業生の会をアカシア会と呼んだり、優秀な業績を残した生徒に学校からアカシア賞が贈られたり、会報の名前がアカシアだったり、学園歌にアカシアというフレーズが頻出したりと、とにかくもうわかったよというくらいこの学校はアカシアづくしなのである。かといって僕の記憶では校内にアカシアの木はなかった。ではどうしてアカシア?
有難いことに僕はこの母校が大好きなのだが、好きだからといってマニアかと言われるとそうでもない。アカシアに関する知識や蘊蓄はほとんどない。そんなわけで、今回はアカシアの歴史について研究してみたい。
1.現在開校114年
アカシアを知る上でうってつけの本がある。それは100周年を記念して編纂されたのだが、確か全三巻ほどからなる分厚い書であり、いくらアカシア好きでもそうやすやすと読破できる代物ではない。
そこで楽をさせてもらうことにして、100周年記念式典に参加した時にもらったDVDを今回は研究資料にすることにした。このDVDがすぐ手元にある時点ですでにアカシアマニアな気もするが。
それによると、アカシアの源流である広島高等師範学校の附属中学校が第一回の入学式を挙げたのが明治38年4月17日。日露戦争が熾烈を極めロシアのバルチック艦隊が東に進行していた頃である。明治38年は西暦1905年なので、今年の4月で開校114年ということになる。
そして第一回入学式で初代主事である長谷川校長が示した品位を重んじる生徒の心得は、現在の生徒手帳に記されている心得にも受け継がれているという。
2.とにかく母校愛
DVDを観賞し始めてまず思ったこと、それはとにかく母校への愛情が並はずれているということだ。明治41年に宿泊を伴う初めての修学旅行を決行したとか、一部歌詞を修正しただけで戦前・戦後を通じて同じ校歌を愛唱しているのは珍しいとか、課外クラブを部ではなく班と呼び特にサッカー班の全国制覇は誇りであるとか、臨海学校やマラソン大会にもこだわりがあるとか…、勝手な思い込みではないのかと思うことまでとにかくアカシアは特別な存在であるという話が語られ続ける。ちなみに卒業生の会にアカシア会という名前が付いたのは大正7年、由来は校舎や校庭の周辺に十数本のアカシアの木があったからだそうだ。
そこまで愛さなくてもと思ったりもしたが、DVDの観賞を進めるうちにそれも納得できた。そう、アカシアは広島にある。昭和20年には原子爆弾の被害を受けている。生徒も、教員も、アカシアの木も犠牲になり校舎も倒壊した。教育の復興にまで手が回らなかった時代、焼け野原に集った生徒と教員は決起して自分たちの力で昭和22年には男女共学の新制中学校、その翌年には新制高等学校を立ち上げたのだ。もちろん復興の魂はアカシアに限ってのことではないが、それが母校愛にも宿っていることは間違いないだろう。
100周年記念式典で白髪のOBの方々が万遍の笑みで祝杯を掲げ、肩を組んで歌っている姿を見た。そこまで嬉しいのかと当時は温度差を感じたりもしたけれど、戦後のアカシア復活の努力を想えばあれは当然の姿だったのだろう。
僕が通った現在の校舎が稼働したのは昭和45年。もうそこに昔のようにアカシアの木はなかったとしても、やはり母校にはアカシアの香りがしていたのだ。恋愛、家族愛、友愛など人間は様々な愛しさを感じるが、母校愛というのもまた負けないくらい強い愛情のようである。
3.僕が知っているアカシア
100年を超える歴史の中で僕が知っているのはほんのわずか。中学・高校を合わせても6年間しか通わないのだから仕方ないが、それでも先代たちから受け継がれたものは確かにそこにあったと思う。
僕らの世代のアカシアといえば何と言っても学校祭だ。体育祭と文化祭、当たり前のように生徒主体で開催していたが、それができたのも培われたノウハウとそれをよしとする魂がちゃんと生徒と先生方に受け継がれていたからに他ならない。体育祭と文化祭については語り出すと夜が明けるのは確実なのでまた改めて研究コラムを書きたいと思う。
ちなみにDVDによれば、僕が文化祭で人生初のオリジナルライブをやった研修館という建物の完成は昭和61年。僕がライブをやった時は築10年ほどだったわけだ。
もちろん本来は音楽演奏をするための設備ではない。研修室という広井部屋を文化祭用のステージにしていたが、その正面には『飲食厳禁』という紙がでかでかと貼られていた。そのため撮影したライブの写真を見ると、まるで飲食厳禁という名前のグループみたいだったのも懐かしい思い出である。
4.研究結果
母校愛、ちょっと暑苦しいけどいいじゃない。だって100年以上も好きなんだから。
平成31年3月17日 福場将太