心の名作#3 爆裂スーパーファンタジー

愛しい作品たちを研究するシリーズの三回目。今回も敬愛と感謝を込めて書かせて頂こう。
この世には無数の作品が溢れている。その中のいくつかがどうして唯一の名作となって深く心に刻まれるのか。それは作品の発信とこちらの受信、その二つの波長がぴったり一致した時に起こる現象。逆に言えば少しのずれで名作になることなく通り過ぎている作品が人生にはたくさんあるということだ。だからといってタイミングを計算すれば名作に出会えるというものでもない。その大部分はたまたまの偶然によってもたらされる。

研究作品

平成31年3月はアカシア卒業二十周年。今回研究するのは、中学・高校時代にたまたま巡り会えたラジオ番組『爆裂スーパーファンタジー』、通称爆裂である。アカシア時代の思い出はいつもこのラジオがBGMだったと言っても過言ではない。

番組内容

メインパーソナリティはギャグシンガーの嘉門達夫(現・嘉門タツオ)氏。「替え唄」「おるおる」「あったらコワイ」などの嘉門ワールドのネタをリスナーから募集し番組で紹介するのが主な内容。アシスタントパーソナリティは当時同じ事務所に所属していた鈴木彩子氏とイングリーズ。一時間の放送はほとんどがネタコーナーで構成され、流れる楽曲も彼らを中心とした同じ事務所のアーティストがほとんど。時には事務所の社長や社員まで登場するかなり内輪の雰囲気が強い番組であった。

福場的研究

1.始まりは中1

中学1年の時たまたまクラスの何人かがこの番組の話をしており、それでこれまでほとんど聴いたことのなかったラジオというものに耳を傾けてみたのが出会いだった。いつしか毎週番組を録音し何回も何十回も聴くようになり、そして自らもネタを投稿するハガキ職人になっていった。初めて自分のハガキを読んでもらえた時の興奮は今でも鮮明に憶えている。そして翌日クラスメイトから「昨日お前読まれたな」「賞品が届いたら見せてよ」と言われるのがとってもくすぐったかった。

どうしてあんなにも爆裂の波長は僕の心のアンテナをビリビリ震わせたのだろう。まずはやはり嘉門達夫という存在自体が中学生にとってたまらない魅力を多く含有しているのだと思う。
嘉門氏は中学時代に自らも深夜ラジオに熱中、ハガキ職人となり将来はラジオで話せる人になりたいと落語家に入門するが破門、やがて音楽と笑いの融合という独自のスタイルを確立させる。芸人であって純粋な芸人ではなく、ミュージシャンであって純粋なミュージシャンではない芸能界でも特異な存在。中途半端とも言えるが、在り物にならわず当たり前を疑うその姿勢はどこか反体制。テレビなどの目立つ舞台では不器用だが、自分のラジオ番組の中でなら誰にも負けない。そんな姿がきっとモラトリアムの中学生にはかっこよく映るのだ。
嘉門氏はラジオの中で自分のことを「ポテトチップスあんきも味」と例えたことがある。つまり、あんきものように一部の愛好家にはたまらない珍味として好まれるが万人受けするわけではない、それでもポテトチップスのような身近なテイストでもありたいといったところだろう。まさに言い得て妙、嘉門達夫とはそういう存在なのだ。
また嘉門氏の楽曲には学園生活への愛情に溢れたものが多い。これもまた、母校愛に燃えるアカシアソウルとの相性が良かったのだろう。

2.終わりは高3

爆裂は全国どこでも聴けたわけではない。もともとは瀬戸内のみのローカル番組『脳天爆発ファンタジー』だったのが東京・名古屋・大阪を含めた全国規模の『爆裂スーパーファンタジー』になったのだが、それでもネットされていない地域の方が多かった。そしてやがて三大都市の放送は終了し再びローカルのみのネットになるなど、極めて放送局の増減が激しい番組であった。
そんな中僕の住んでいた広島は継続的に放送してくれていた。残念ながら最終回の三ヶ月前に広島FMの放送も終わったが、僕は海の向こうのFM愛媛の電波を拾うことで雑音と闘いながらなんとか最後まで聴くことができた。最終回はちょうど高校3年の誕生日のタイミングだったので、何か人生の一つの時代が終わったような寂寥感があったのを憶えている。

その後大学進学で上京しても、番組を録音したカセットテープは持って行き、相変わらず僕の生活の中でヘビーローテーションしていた。
大学を卒業したものの次の道が見つからず迷っていた頃、ちょうど嘉門氏の新番組がインターネットテレビでやっていたので久しぶりにネタを投稿してみた。嘉門氏が僕のペンネームを憶えていてくれたことも嬉しかったし、その番組に電話出演したりポイント獲得一位になれたこと、嘉門氏のCDにもネタを採用してもらえたことは失いかけていた自信を取り戻させてくれた。
ハガキ職人と医療職は直接関係はないけれど、自分ならやれると北海道への旅立ちを決める一つの勇気になったことは間違いない。

3.デジタル化計画

そして平成29年、忙しさの中でしばらくご無沙汰にしていた爆裂のテープを聴いてみた。今回はせっかくなのでテープからmp3の音声ファイルに変換しながら聴いた。約半年かけて200本以上を聴いたことになる。カセットテープの山がこんなに小さなUSBメモリーに収まってしまうことに文明の利器の進化を感じた。

思えばもう二十年前の音声になる。だがそこにあったのは懐かしくて暖かくて幸福な空気だった。心を鷲掴みにされたあの時の感覚が蘇って全身を駆け巡る。当時の嘉門氏は今の僕くらいの年齢だ。リスナーのネタを大騒ぎしながら読んでいる。彩子氏はまだ20代前半、嘉門氏と良い意味で対照的なコントラストを放つメッセージコーナーでの文才が光っている。そしてイングリーズの二人もまだ30歳前であり、歌うことの喜びと笑うことの大切さを感じさせてくれる。
当時は電子メールが普及していなかった時代。リスナーからの投稿は全て肉筆のハガキで行なわれていた。常連リスナーは何千枚ものハガキを書いた。そして秘密基地(収録スタジオ)に招かれ番組に参加したリスナーもいた。
リスナーの大部分は中学生・高校生だったが、爆裂はリスナーとパーソナリティの距離が近く、心が通いあっている雰囲気があった。そう、まさに「爆裂の仲間」だった。

4.青の時代の仲間たち

爆裂の発しているメッセージは一言で言えば「青い」。頑張って夢を追いかけよう、悲しい時こそ笑おう、みんな幸せになれる…。そんな理屈では乗り越えられない苦難が人生にたくさんあることはやがて誰もが思い知らされる。
でも大人になった今聴いてもやっぱり思ってしまう。確かに青いけれど、自分は彼らのメッセージが好きなんだなと。思いどおりにはいかなくても、それでも自分の好きなことを大切にして生きていきたいと。

きっと爆裂スーパーファンタジーに胸を躍らせた仲間は日本中に今でもたくさんいるだろう。そして普段は忘れていても、またあの感覚を思い出せるに違いない。あの頃のペンネームを名乗り合っていつか爆裂同窓会ができたら嬉しい。

福場への影響

1.面白いことを探せ

思えば嘉門氏並びに爆裂から受けた影響は大きい。ギターを始めたのもそうだし、今でも部屋の棚には彼らのCDが並んでいる。当時独身であることをネタにしていた嘉門氏と同じ年齢になった僕も未だに独身で同じような理屈を言っている。まあそのせいで母親は「嘉門があんたをその世界に引き込んだ」と苦笑いしているが。

しかし嘉門氏からもらった一番の贈り物は、「何か面白いことはないかと思い続けながら暮らす習慣」である。番組にネタを投稿しようと思ったら、毎日24時間ネタを探し続けることになる。そうすると見慣れた風景も、なんてことない出来事も、全てが面白味を帯びてくるのだ。心に網を張って生きるとでもいうのか、そうすることによって色々なものが心に引っかかってくる、気付かされる、発想の材料になる、平凡な毎日が奥深く味わい深くなるのだ。発表するしないに関わらず僕が音楽や小説のネタを探し続けながら生きているのも、まさにハガキ職人だった名残なのである。
この習慣をつけてもらったことが爆裂を聴いてよかったと思う一番の理由である。

2.空席を狙え

またもう一つ印象に残っている嘉門氏の言葉がある。当時はTKサウンドが一台ブームを巻き起こしており音楽プロデューサーという仕事が脚光を浴びていた。そんな中でとあるリスナーが「小室さんのようなプロデューサーになるにはどうしたらよいですか?」と質問したのに対し、嘉門氏はこう答えたのだ。
「小室さんみたいになるというより、小室さんがやっていない部分をいかにやれるかということが大切。この世の中、誰かが座っている椅子というのはなかなか空かない。まだ誰も座っていない別の椅子を狙うべきです」。
これこそまさに嘉門氏の人生観そのものなのだろう。真っ向勝負では一番になれない、でも自分の道を究めてそっちで一番になる。
嘉門氏は近年の替え唄のネタでこうも歌っている。「ナンバーワンになれない奴はオンリーワンにもなれないよ」と。さすがである。ただ人と違えばよいというわけではなく、オリジナリティで成功するためにも努力は必須なのだと知っているのだ。個性とかオンリーワンの意味を勘違いしている昨今の若者にはぜひこの言葉の意味を思い知ってほしい。

この「空席を狙え」の教えは今の僕にとっても大きな励みとなっている。視力が低下して健常な医者と同じ仕事はもうできない。同じフィールドで闘っても勝ち目はない。だったらまだ誰も座っていない空席を見つけてそこを究めてやる。そんな気持ちで僕は今も医療の業界に身を置いているのだ。

研究結果

1.理想のコミュニティ

爆裂の世界は青いかもしれない。しょうもないかもしれない。けして全国規模にはならない内輪の盛り上がりかもしれない。それでもあんなにワクワクして大笑いできるのならこれほど幸福なことはないだろう。

21世紀はインターネットが普及しあの頃より何倍も便利になった時代だ。でも匿名での誹謗中傷が飛び交い、それを恐れての日和見発言が横行する時代でもある。
爆裂はそうではなかった。顔も知らぬリスナー同士が互いを思いやり、自由に無鉄砲なネタで笑えた。不謹慎とか不適切とかはけして言葉だけの問題ではないのだろう。そこに優しさと暖かさがあれば、全ては受容され誰も傷つけることはないのだ。爆裂には理想のコミュニティが実現していたように思う。

2.ラジオの魅力

ラジオは一人で聴いている人が多い。顔は見えないけどだからこそ声と音楽、そしてリスナーがハガキに込めた思いが直接心に届くメディアだ。
昨今は電子メールでリスナーからのおたよりを募集している番組が多い。確かにその方が簡便だけれど、やはり肉筆で自分が書いたハガキを今まさに嘉門氏が手に取って読んでくれているという興奮はメールでは味わえない。
携帯電話もなかったあの頃。ラジオ越しに自分のネタで笑ってもらい、一人ベッドの中でガッツポーズしていた少女がいただろう。学校では目立てなくても爆裂の中ではヒーローだった少年がいただろう。偶然の検索でこの研究コラムにたどり着いたあなたも、もしかしたらそんな子供だったのかもしれない。

そしてもちろん、ラジオは目の良し悪しに関係なく楽しめる、視覚障碍の当事者にとってバリアフリーなエンターテイメントであることも特筆しておきたい。様々なメディアが発展しても、ラジオという文化がいつまでも残ってくれることを強く願う。

3.同じ時間の共有者

僕が爆裂に出会えたのは、たまたま放送されていた地域にたまたま放送されていた時期に暮らしていたからに過ぎない。全ては偶然であるが、青春時代にこのようなラジオ番組に出会えたことを幸運に思う。

嘉門氏らが所属していた芸能事務所は今はもうない。当時のリスナーも、パーソナリティも、それぞれの人生を歩んでいる。爆裂の仲間が全員集合することはもう有り得ない。それでも最終回で嘉門氏が言っていたように、僕らは爆裂を通して確実に時間を共有した。それは一生の宝物なのだ。
全てはたまたま。偶然だからこそ愛しくて、計算で手に入れられないからこそ価値がある。またいつかそんな素敵なたまたまがあったら、嘉門氏の番組にネタを投稿してみたいと思う。

好きなセリフ

「自分の好きなことを見つけた人間の勝ちなんですよ」嘉門達夫

平成31年3月6日  P.N.快感な男 こと 福場将太