ドクター三宅と神戸アイセンターへ

平成31年2月9日(土)、神戸市立神戸アイセンター病院のビジョンパークにて開催された視覚障害者の就労を考えるイベントに参加してきた。非常に学ぶことの多い旅となったため、さっそく研究コラムにしておきたい。
招待してくれたのは大学時代の同級生であり、現在は眼科医・産業医として全国規模で活躍しているスーパードクターであり、何より友人である三宅くん。このホームページが始動したことを年明けに連絡したところ、せっかくなのでもしよかったらと誘ってくれた。昨年の『終わりと始まりの講演』をきっかけに、今年はそういう場にどんどん赴こうと思っていた僕は二つ返事で決断した。

1.フライトの研究

飛行機のチケットはいつもどおり事前に電話で購入。2月8日(金)はまず朝一番で出勤して少し仕事をしてから早退し、雪模様を案じながら無事昼前に新千歳空港到着。そして搭乗に際して配慮を要する乗客専用のカウンターへ。
いつも思うことだが、空港のスタッフのみなさんは本当にあたたかい。目が悪いこと、誘導をお願いしたいことを伝えたら嫌な声色一つせず明るく優しくアシストしてくれる。誘導技術も見事で、僕は誰にもぶつかることなく飛行機の座席までたどり着くことができた。

座席は必ず窓際を取ることにしている。景色が見えないのに申しわけないが、それはできるだけ他の乗客の邪魔にならないための工夫だ。そうしないと通路から奥の席に入る人がいたり、奥の席から通路に出ようとする人がいた場合に立ったり座ったりしなければならない。立つことは別によいのだが問題なのはそのタイミングがわからないということ。無言で会釈されてもこちらはそれを知る術がないのだ。
今回は残念ながら窓際席が取れなかった。しかも国際線に乗ったのかと思うくらい外国の乗客が多かったので言葉も手掛かりにならない。そんなわけで常に通路と隣の席に意識を向けるフライトとなった。通路に誰かが足を止めたら立ち上がってみたり、隣から視線を感じたら足をどけてみたり…とまあほとんど空振りであったが非常に良い研究となった。これからはできるだけ早くスケジュール帳性をして確実に窓際席のチケットを取ることにしよう。

午後2時過ぎ、無事羽田空港に到着。しかしここで痛恨の誤算。三宅くんと待ち合わせだったのだが彼がいるのは第1ターミナル、僕が到着したのは第2ターミナル。そう、羽田空港は利用する航空会社によってターミナルが違うのだ。北海道に移住して十年余り、僕はこの東京の常識をすっかり失念していた。
そんなわけで地上係員さんにお願いして第1ターミナルまで徒歩移動。係員さんは「私も第1ターミナルに行くことがほとんどないので緊張します」と和ませてくれた。敵陣に乗り込む感じですかと訊くと係員さんは笑っていた。そして航空会社のイメージカラーに合わせて第2ターミナルは青、第1ターミナルは赤が基調の内装となっていることも教えてくれた。ぜひ弱視の方は参考にして頂きたい。

2.ビジョンパークの研究

無事三宅くんと合流し第1ターミナルから神戸へ飛ぶ。そして神戸空港からモノレールで移動して今回の舞台である神戸アイセンター病院に到着した。眼科の医療や福祉に特化したこの病院が一年前に始動したこと、そこに三宅くんが大きく関わっていることはもちろん知っていたが、ようやくそこに足を踏み入れることになったわけである。
翌日のイベントの打ち合わせで忙しいのに彼は院内に設けられたビジョンパークと呼ばれる空間を案内してくれた。ホテルで言えばロビーラウンジに当たるのか、患者さんたちが自由に過ごしてよい場所。精神面に配慮されており、落ち込んでいる患者さんが一人で過ごしやすいスペースもあれば、読書や談話ができるスペース、全体が見渡せる小さな丘など、椅子一つのデザインから音響に至るまで工夫とユーモアが凝らされている。広い面積と高い天井、そこには壁やガラスによる仕切りはなく、統一性よりも多様性に重点が置かれている。なるほど、確かにこれはパークだ。待合室という名称より公園と呼ぶのが相応しい。ここが病院の中であることを忘れてしまいそうだった。

そしてこの空間で驚くべきは、段差や障害物がそれなりにあるということ。視覚障害のバリアフリーを安直に考えればそれらは排除すべきなのだろうが、ここにも素敵な意図が込められている。転んだり迷ったりしそうになるからこそ、そこで会話や助け合いが生まれる、人と人との関わりが生まれるのだ。
僕の専門とする精神科医療でもそうだが、とかく支援者は安全ばかりに気を取られてしまいがちだ。しかし、転ばないことより転んで立ち上がったからこそ成し得る回復もある。何不自由ない環境より苦労があるからこそ生まれる繋がりがある。精神科医療でも大切なキーワードである『失敗するチャンス』や『支援しない支援』がこのビジョンパークにはちゃんと意識されていると感じた。
自分で造った夢の公園の中にいるのはどんな気持ちなんだろう。三宅くんの説明を聞きながら僕はそんなことを空想して密かに癒されていた。

3.友情の研究

その夜は三宅くんと同じ部屋に泊まった。友人と二人で泊まるなんて学生時代以来ではないだろうか。彼も「合宿みたいだな」と言っていたがまさにそんな感じ。ただ翌日重要な仕事を控えた社会人であるので少しだけグラスを交わして就寝することにした。
ただほんの小市次官ではあったがとても楽しい語らいだった。思い出話よりも不思議と話題は現在のお互いの仕事のことになった。医者としても、視覚障害の当事者としても、そして福場将太としても気兼ねなく話せるというのは本当に嬉しい。日々のストレスなど次々と笑いに変わって飛んでいく。

思えば学生時代、僕は同級生との人間関係をあまり頑張っていなかった。部活の交流ばかりで同級生とプライベートで遊びに行ったりした経験はほとんどない。卒業旅行のシーズンさえ参加せずにスタジオでレコーディングに一人篭っていたくらいだ。
一方三宅くんはいつも同級生の中心にいた。クラス委員のようなこともやっていて、先輩にも後輩にも顔が広かった。なのに僕のこともたくさん見ていてくれたようで、彼の口からは僕も忘れていた僕のエピソードがたくさん語られる。そういえば音楽部の引退ライブの時も同級生代表としてプレゼントを持ってきてくれたっけ。卒業後も僕が北海道にいることを知って仕事で来る時は声をかけてくれたっけ。僕が所属している視覚障害を持つ医療従事者の会『ゆいまーる』に彼が講演に来た時は親友と呼んでくれたっけ。そんなことをしているうちに今一番連絡を取り合っている同級生になっている。
そんな彼が眼科医療の最先端に関わってくれている。いつも明るい彼だが大変なこともたくさん抱えているのだろう。医者としてでもいい、当事者としてでもいい、あるいは単純に友人としてでもいい。彼の夢に少しでも協力していつかちゃんと恩返ししたいと思う。

4.カミングアウトの研究

そしていよいよ迎えた2月9日(土)の当日。僕は一ヶ月前に急遽来ることになった言わば飛び入りなので本来は傍聴席にでもいればいいのだが、ここでも三宅くんがスペシャルゲストとして壇上に上げてくれた。
そして始まる視覚障害者の就労に関する討論会。会場からは様々な意見や疑問が出た。それを聞きながら感じたことは、苦労しているのはみんななんだなってこと。もちろん僕だけではない、僕が専門としている精神科の患者さんだけではない、人間はみんなそれぞれの理解されない苦労を抱えている。
だから大切なのは相手にわかってもらうための技術、同時に相手をわかってあげるための技術。その二つの技術の向上こそが一番の課題だと思う。

今回の討論会でもカミングアウトが大きな話題となった。目が見えなくなったことを言うべきか言わないべきか、言うにしてもどの段階でどんな言葉でどこまで言うのか。実際にカミングアウトしたことで職場で合理的配慮を受けられたという人もいれば、カミングアウトによって冷遇されたという人もいた。障害者の雇用に積極的な職場も増えてきた一方、不利化否職場もまだまだ多いのも事実。メリットしかないカミングアウトなんてない。だからすればいいとかしない方がいいとかそんな単純な話ではない。僕自身こうやって障害を話したり書いたりできるようになるまでに何年もかかった。
だからこそ研究が大切なのだ。偉い学者さんがパソコンや試験管とにらめっこする研究ではない。こうやって当事者と支援者が集い、知識と経験とアイデアを出し合って考えていく研究だ。そうすれば一歩ずつ近付いていくだろう。深まっていくだろう。今よりも上手なカミングアウトに。そしてウエルカムに。

5.コロンブスの研究

討論会は午前で終了。午後の部は視覚障害の医療・福祉に貢献した人たちの表彰式だった。壇上には様々な当事者や支援者のみなさんが登場。ここでも三宅くんがインタビュアーとなってたくさん素敵なコメントを引き出していた。僕はすっかり傍聴人になって会場でみんなの話を聴かせてもらっていた。

もちろんそれぞれの授賞者の功績は素晴らしい。そしてこの式の存在自体がさらに素晴らしい。精神科医の悪い癖だが、どうしても見えない部分にまで効果を期待してしまうのだ。

当事者の回復を妨げてしまう大きな要素、それは支援者と当事者自身の偏見である。無意識に「きっと無理だろう」と思い込んでしまうと回復に見えないストッパーがかかってしまうのだ。

こんな事例がある。1920年代、とあるフィンランドの選手が陸上の世界記録を出した。この記録は『人類の限界』と呼ばれ、その後三十年間破られることはなかった。しかし三十一年後、イギリスの選手がこれを破る。するとどうだろう、同じ年に二十人以上の選手が世界中で記録を破ったのだ。誰か一人が達成することで『人類の限界』という見えないストッパーが外れ、「できるかもしれない」というプラスの思い込みに変わったのである。コロンブスのアメリカ大陸発見だって同様だろう。

昔は視力を失った者は按摩の仕事をするしかないと誰もが思い込んでいた。でも今はこんなにたくさんの人たちが社会で活躍している、しようとしている。この表彰式にはコロンブスが何人もいた。それを見た人、聞いた人たちの見えないストッパーをたくさん外してくれたに違いない。

さあ、陸地があることがわかった。みんなで大海原に漕ぎ出そう!

6.人間力の研究

今回のイベントに参加したことでたくさんの知識や経験、アイデアを得ることができた。そしてもう一つ得たもの、それは出会いである。変な話だが僕の場合は目が悪くなってからの方が明らかに出会いが増えている。公園の散歩道で挨拶を交わすように、僕はビジョンパークで色々な人と言葉を交わした。

勝手にお名前を出すわけにはいかないので承諾を頂いた方を一人だけご紹介する。

それは初瀬勇輔さん。柔道家であり、障害者就労支援の会社もされており、さらに今回のイベントを運営しているネクストビジョンの理事もされている。午前の討論会では三宅くんと並んで壇上に立ち、午後の表彰式では審査員として列席しておられた。初対面の僕にも旧知の間柄のように接してくれ、神戸アイセンター病院の歩みを教えてくださった。

話しているうちに実は同い年であることが判明。当然漫画の話題で盛り上がる。初瀬さんは弱視の当事者で、お互い漫画『ONE PIECE』のルフィの仲間の顔をどこまで知っているかという話になった。つまり見えなくなった時点でその後に加わった仲間は顔がわからないのである。こんなことが笑って話せるのも、当事者同士の気兼ねのなさ、そして初瀬さんの人間力によるものだと思う。

そう、結局はそうなのだ。就労でも日常生活でも同じ、健常者でも障害者でも同じ。一番重要なのは愛される人間力、一緒にいたいと求められる人間力。それを養うにはやっぱり出会いは大切にしなくてはいけない。

今回缶コーヒーをおごってもらった恩があるので、初瀬さんには必ず再会してお返しせねばなるまい。初瀬さん、楽しいトークを、あたたかいアシストを本当にありがとうございました。ヘナチョコ柔道部員だった僕ではお手合わせはできませんが、ぜひいつか80年生まれの会をやりましょう。

7.スマートフォンの研究

三宅くんが力を入れているのはデジタルビジョンケア。すなわちデジタル機器を活用することによる視覚障害の克服。実際に多くの当事者がスマートフォンなどの活用によってこれまでできなかったことが自力でできるようになっている。神戸アイセンター病院は再生医療など最先端の治療による臨床面からの回復だけでなく、デジタルビジョンケアという技術提供により社会面・生活面からの回復も支援してくれる病院なのだ。

本当に情報技術の進歩は凄まじく、そして有難い。僕もボイスレコーダー・音声携帯電話・音声パソコンを三種の神器として日々暮らしている。

しかしながら僕はまだスマートフォンを持っていない。初瀬さんにも笑われてしまったが、デジタルビジョンケアを推進する三宅くんの親友であるはずの僕がまだそれを使っていないのだ。

理由はいくつかあるが、一番は一人の人間としても依存症問題を扱う精神科医としてもこの情報技術の進歩に危機感を抱いているからだと思う。実はこのホームページを製作する時も業者さんに「二時間以上見ていたらシャットダウンするサイトにできませんか?」と頼んだ。それは廃案になったが、今後何らかの工夫はしようと思っている。

もちろんスマートフォンによる視覚障害克服とスマートフォン依存による健康被害の問題は二者択一ではない。アルコールやギャンブルと同様、結局は扱い方の問題でありスマートフォンそのものには何の罪もない。

彼がスマートフォン推進の講演活動をする一方で僕はスマートフォン依存症予防の講演活動をしている。もしかしたらいつかこのことで三宅くんと議論する日も来るかもしれない。その時は最高の対決をしたいと思う。そして二人で最高の答えを出したいと思う。

8.ホテルの研究

イベントも無事閉会し、東京に帰る三宅くんと別れて僕は神戸にもう一泊した。せっかくなので視覚障害者の単身ホテル宿泊についても研究しておこう。実は毎月仕事で札幌に一泊するのでそれ自体はかなり慣れている。

まず大切なことはそのホテルの電話番号を必ず携帯電話に入れておくこと。そしてフロントの内線番号も必ず教えてもらうこと。これでホテルの外でも中でも困った時にSOSができる。

僕が考える良いホテルを見分けるポイントは二つ、それはコンセントの位置と備え付けの冷蔵庫の冷え具合。これが良いホテルは接遇も設備も概ね良いように思う。今回三宅くんが用意してくれたのはさすがの高級ホテルだったのでいずれも申し分なかった。枕元に携帯電話の充電器を繋げるコンセントがあるし、冷蔵庫は持ち込んだペットボトルもしっかり冷やしてくれた。

しかし高級ならではの難関もある。それはオシャレなデザインによる弊害なのだが、例えばトイレのレバーや水道の蛇口がスタンダードな形をしていない場合があるのだ。石の置き物かと思ったらそれがレバーだったりする。今回もお風呂のシャワーとカランの切り換えボタンを見つけるのに少々手間取った。浴槽の中で土下座して頭を洗おうかと思ったが無事発見しシャワーを使うことができた。

タオルや寝巻きの配置もホテルによって異なるので注意が必要だ。ベッドの上だったり浴室だったり、クローゼットや棚の引き出しの中に入っている場合もある。まあこれらは探せばいつか見つかるので宝探しゲームと思えば苦ではない。さながらドラゴンクエストで宿屋の中を探索する感じだ。ただし、稀に歯ブラシや髭剃りが部屋に常備されておらずフロント横にセルフサービスで置いてあるホテルもあるのでご用心。

しかしなんといっても最大の問題はボディソープ・シャンプー・リンスをいかに見極めるかということだ。それらしき容器が三つ並んでいた場合、どうやって正解を見つけるか?これはもはや論理的思考を駆使するしかない。

通常シャンプーとリンスはセットであろうからこの二つを離して置いてある可能性は低い。つまり真ん中の容器がボディソープである可能性は低い。また思い込みかもしれないが通常は体を洗った後に髪を洗うだろうからボディソープの隣にシャンプーがある可能性が高い。そうなるとボディソープ・シャンプー・リンスの順か、リンス・シャンプー・ボディソープの順。人間は右利きが多いことを考慮すると後者の順のような気がするが、数字は通常左から1、2、3と並べることを考えると前者のような気もする。

まあいずれにせよ真ん中がシャンプーだからまずはそれで頭を洗う。そして次は左右どちらかを頭にかけて泡立たなければリンス、泡立てばボディソープと判断する…というのが僕のいつものロジック。ただホテルによってはリンスインシャンプーを採用していて二択問題になる場合もあるし、あっさり期待を裏切ってシャンプー・リンス・ボディソープの順に並んでいる場合もある。

ちなみに今回は高級ホテル過ぎて謎の容器が五個も六個も並んでいた。おそらく色々な用途の液体なのだろうがもはや推理のしようがなかったので当てずっぽうで使ったが、正解だったのかは今でもわからない。もしもっと簡単にシャンプーなどを見極めるテクを持っている人はぜひ教えて頂きたい。

あと宿泊で気を付けることはそう、靴を脱いだ場所、財布を置いた場所などをしっかり記憶しておくこと。焦ると探し物は見つからないので早起きして余裕を持ってチェックアウトの準備をすることも大切だ。

ちなみにスタッフさんにどれくらい誘導を頼めるかについて。ホテルマンさんはもちろんどのホテルでも誘導をしてくれる。頼めば部屋の構造やそれこそどれがシャンプーかだって教えてくれる。ただ小さなビジネスホテルだと誘導の経験不測だったり、夜は一人しかフロントにいないのですぐには動けないということがある。朝みんながチェックアウトする時間帯も同様だ。エレベーターが一つしかないホテルだとそこで誘導を頼むのはたくさんの人に影響を出してしまう。あらかじめ込まない時間帯を聞いておくのがよいと思う。

そんなわけで、ホテル宿泊一つとってみても研究することは多い。今回は高級ホテルということでどうしても我慢できずルームサービスを注文した。久しぶりに銀の食器に入ったカレーを食べた。食べやすさで言えば最初からごはんにルーがぶっかけてある方が楽なのだが、やはりあの魔法のランプのような容器から少しずつルーをごはんにかけながら食べる方が味わいがある。便利さと味わいの兼ね合いとは難しいものである。

一応書いておくと、勝手に食べたカレーの代金はちゃんと自分で払っておりますぜ。

9.医師免許の研究

2月10日(日)、神戸空港から新千歳空港へのフライト。機内で考えていたことは、そういえば最近は医師免許を持っていることがそんなに嫌じゃないかもということ。

親族に医者が多い家系で育った僕は、元来の天の邪鬼もあって医学部受験どころか大学進学自体を強く拒んでいた。流されるように医者になっている二世・三世を、そんな人たちがたくさんいる医療の業界を、勝手に嫌悪し軽蔑していた。しかし紆余曲折を経て迷いながらも医学部受験を決めて現在に至っている。

最初は自分は違う、自分はこの世界じゃなくてもやっていけるなんて息巻いていた。しかし視力も低下していく中で、できないことだらけの医者なのにそれでも結局自分にはこれしか人の役に立てる術がないと痛感。有難い仕事をさせてもらっていることは百も承知なのに、それでも自分が一番嫌っていた「免許にすがりついて生きる中身のない人間」になってしまったような気がして苦しかった。だから誰かの役に立ちたいと願う気持ちと免許を破り捨てたいと願う二つの気持ちがいつも葛藤していた。

最近はあまりその葛藤がない。そのことに今回の旅でふと気付いた。医師免許も嫌じゃない、むしろ僕なりの役立て方があるのかもしれないと模索したい気持ちが生まれている。

目が見えなくなってようやく医師免許に誇りが持てるというのもなんだかおかしな話だが、その発見が今回一番のお土産だ。まあ勘違いかもしれないし、また心は変わるものだと思うが、今はこの気持ちを大切にしてみたい。僕なりの医学も追究しながら、相変わらず音楽や執筆も続けながら、そんなふうに生きていけたらそれはそれで悪くない場所にたどり着けるのかもしれない。

10.今回の研究の結論

「人生は意外と何でもあり、とりあえずやってみろ!」

この度、突然の参加にも関わらずあたたかく迎えてくださった関係者のみなさん、来場者のみなさんに心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

平成31年2月11日  福場将太