僕にとっての創作活動

この度念願であった自分のホームページを開設するに当たり、改めて一つの疑問について考えてみたい。僕はどうして創作活動を続けているのだろう?
頻繁に連絡を取り合っている友人はもちろんそんなことはないが、年単位でご無沙汰した同級生や先輩から言われることは決まって「まだ曲作ってんの?」である。かつては一緒にやっていた仲間からさえもそう尋ねられるのは正直複雑な気持ちで、こちらからすれば「どうしてやめちゃったの?」なのだが、しかし同様の疑問を僕に投げかけたのは一人二人ではないので多数決で判断すればやはり続けている方が少数派なのだろう。
確かに楽曲にしても小説にしても、学生時代はまだそれを発表する場があった。しかし社会人となった現在はなかなかに発表の場が見つからず、特に視力が低下してからは自力でそういう場に出向くのも難しくなったのでなおさらだ。にも関わらず僕は相変わらず学生時代と同じことをしている。メロディが思い付いたら録音して、物語が浮かんだらそれを膨らませて。しめ切りや報酬があるわけでもないのに、連休があればずっとレコーディングに篭ったり、徹夜でパソコンを叩いたりしている。いい加減飽きそうなものだが、どうもそんな兆しはない。
一体何のために?もちろん「好きだから」という単純明快な理由でも十分説明できるし、あるいはそれが全てなのかもしれないが、せっかくなのでもう少し自分の心を研究してみたい。

1.自由と無責任

まず一つは「音楽や小説の中では自由に動けるから」というのがあると思う。日常においては誰かの介助なしには行きたい場所に行くのも難しい。でもギターを弾いて歌っている時、物語を綴っている時は視覚のハンディキャップを忘れて自由自在に動き回れる。心から楽しんでいる自分、飛び跳ねている自分がいる。
もう一つは「音楽や小説の中では言いたいことが言えるから」というのもきっとある。普段相手の話を傾聴するのが仕事であり、自分のしたい話をする仕事ではない。とても有難い仕事であることは重々わかっている。けれど、時にはやっぱり自分の思っていることを言いたくなる時もある。音楽や小説の世界はそんな無責任を許してくれる。様々なキャラクターに憑依しながら、僕は気分次第で勢い任せのメッセージを放てるのだ。

2.タイムカプセル

でもおそらく、創作を続ける最大の理由は「心を少しでも保管したいから」だと自覚している。生きていて一番難しいのは心を留め置くことだ。感情・感慨・感性…それらは砂時計の砂のようにさらさらとこぼれ落ちていく。どんなに憶えていたいと願っても心は変化し、変わりゆく心自身はそのことになかなか気付けない。
しかし、作品を一つ残すことでそこに心を封じ込めることができる。自分が作った作品はタイムカプセルのように、いつか大切だと思った考え方を、いつか一緒にいた仲間たちを、いつか覚えた感動を呼び覚ましてくれる。もちろん100パーセントではない。それでも少しだけあの頃の心を取り戻せるような気がするのだ。
仕事で迷った時、プライベートで迷った時、僕は何度も過去の自分に助けてもらってきた。きっとこれからもそうやって生きていくと思う。だから、未来の自分に届けるためのタイムカプセルを製造し続ける。それが僕にとっての創作活動であり、やめられないライフワークなのだ。

3.そしてこれからも

そんなわけで福場の創作活動は福場自身にとって既に十分な意味と価値を持ってくれている。しかしやっぱり欲は出てしまうもので、人知れず眠る作品たちを表に出してみたい気持ちもあった。その気持ちがいっぱいになって、この度のホームページ開設に繋がったんだと思う。
まあ下手の横好きなのは百も承知。されど好きこそ物の上手なれ、継続は力なりってわけで、愛しい作品たちが僕以外の心にも少しは何かを届けられるのかを楽しみにしたい。
でも大前提はずっと変わらない。僕はただ好きだからやっている。

平成30年8月27日  福場将太